第24話 1月3日

 外は当然寒く、それに加えて冷たい風が吹いていた。彼女も俺も寒さで手が赤くなっていた。


 彼女は手を口元に持っていく。口から吐いた暖かい息は彼女の手をほんの少し温めた後、白い煙のように上に上がり、ゆっくりと消えていった。


「今日は一段と寒いですね」


 彼女は体を震わせながらもう一度手に息を吹きかける。


「これぐらい寒いなら、いっそ雪でも降ればいいのに」


 そう言いながら雲1つない夜空を見上げる。実家の方なら満面に星が当然のように光っているのだが、ここに来てからは久しく見ていない。


「村上さんの家では夜に星とか見えるの?」


 空を見上げながら聞くと、彼女は手を下ろして空を見上げた。


「私の住んでいたところはここと同じです。空を見上げても真っ暗で、街や家の明かりが眩しいだけです」


「じゃあ村上さんはもともと都会の人なんだ」


「ここほどではないですけどね。だから星をちゃんと見たことはないです。・・・一度でいいから綺麗な星空を見上げて見たいなぁ」


 彼女はそう言って暗い夜空をしばらく見つめていた。




 コンビニ内は暖房が効いていて外との温度差が激しかった。店内には人の姿はほとんどなかった。トイレ付近の雑誌コーナーで立ち読みをしている黒いスーツにサングラスを付けた怖そうな人と、レジで人が来るのを待っている白髪の女性店員だけ。


 俺たちはレジの横を通ってまっすぐデザートの棚に向かった。途中でアイスをチラッと見たが、今日はアイスを食べる気分ではないのでスルーする。


 コンビニのデザートは種類がそれなりにあるので迷う。プリンにシュークリームといった洋菓子から、みたらし団子やイチゴ大福といった和菓子まで。


 迷っているのは俺だけではないようで、彼女も中腰で棚の商品を端から端まで見ている。


 どれにしようか迷いながら棚を見続けていると、棚の隅にNEWと丸い紙に書かれたシュークリームを発見した。その横にもシュークリームはあるのだが、新商品の方は北海道産のクリームを使っているようだった。


 その商品が目に留まったので買ってみようと手を伸ばす。すると俺の取ろうとした商品にもう一つの手が伸びてきた。俺たちは商品に触れる直前で手を止めた。


「村上さんも?」


「秋原さんもですか?奇遇ですね」


「新商品って言われたら気になってさ」


「私もです」


 彼女はそのまま手を伸ばし、俺はその横の商品に手を伸ばした。幸い残り2個だったので、どちらかが譲ったりすることはしなくてよかった。


 一度手にした商品を彼女に預け、籠を持って来てから中に入れた。


「ついでに何か買って帰らないといけないものある?」


 聞くと彼女は少し首を傾げながら思い出し始めた。


「確か・・・卵がなかったです」


「卵ね」


 俺は真後ろにあった卵を手に取った。コンビニの食品はスーパーなどに比べ少し値が張るが、スーパーに行くより近いから買ってしまう。


「ほかは?」


「ほかは・・・ないと思います。あったらごめんなさい」


「いや、いいよ。そのときはまた買いに行けばいいから」


 これで買う物がなくなったのでレジに向かった。もちろん人がいないので並ぶ必要はない。


 レジの上に籠を置くと、レジの店員は「いらっしゃいませ」と軽く頭を下げると慣れた手つきで商品のバーコードを読み取っていく。


「490円になります」


 店員は卵の上にシュークリームを袋に入れながら金額を伝えてくる。


 俺はお金を出すために財布を開ける。小銭入れには大量の数の10円玉がジャリジャリと音を出す。たぶん財布の中には490円ピッタリあったと思うが、いちいち10円玉を出すのは面倒だし、数える側も面倒だろう。なので俺は500円玉を出した。


 店員は出された500円玉を受け取る。それをレジの上に置き、もらった額をレジに打ち込む。すぐにレシートが出てきて、お釣りの10円と共に差し出される。


「レシートとお釣りです」


 俺がそれを財布に入れている間に彼女が袋を受け取った。


「ありがとうございました」


 店員はさっきより深く頭を下げた。俺たちはそれを背に店を出た。


 自動ドアを通るときにさっきいた男性の方に目を向けると、男性はさっきいた位置から一歩も動かず、黙ってページをめくっていた。




 マンションに戻ってくるなり、俺たちは買って来たデザートを食べることにした。


「村上さんはなに飲む?お茶か牛乳かコーヒー」


「コーヒーでお願いします」


「わかった」


 コートを綺麗に裁たんでいる彼女の代わりにポットのお湯を入れる。食器棚からコーヒーカップを取り出してインスタントコーヒーを入れる。


 お湯が沸く間に着ていたジャンバーを脱いでベットの上に投げてキッチンに戻った。


「あとは私がやりますので」


 そう言って沸いたお湯をコーヒーカップに注ぐ彼女。


「座っててよかったのに」


 彼女がお湯を入れている間に俺は食器棚の引き出しを開ける。


「村上さんは砂糖とミルクは?」


「どちらも欲しいです」


「わかった」


 俺は引き出しからミルクを二つと砂糖の入った袋を持って彼女の横に並ぶ。


「はい」


 彼女の分のミルクと砂糖を置いてから、自分のコーヒーにミルクを入れてかき混ぜる。


「砂糖入れないんですね」


 ミルクと角砂糖を入れた彼女が聞いてくる。


「今日はね。たまに入れるけど」


 美智子さんが入れたコーヒーはミルクも砂糖も入れなくても美味しいのだが、市販の安いやつはどうしても苦味が勝っているので嫌いだ。


 美智子さんが入れるコーヒーを飲んだことがなければ、なんとも思わなかっただろうけど。


 コーヒーにミルクが溶けていく。真っ黒だったコーヒーが白茶になったところでかき混ぜることをやめた。


 まだ熱いコーヒーをこぼさないようにテーブルに運ぶ。


 テーブルにはさっき買った袋が置かれている。卵は彼女がキッチンに来た時に冷蔵庫に入れたようで、残っているのはシュークリームだけ。


 席に座ると彼女も熱いコーヒーをこぼさないように両手で持って来た。


 彼女が席に座る間に袋からシュークリームを取り出して配る。


「ありがとうございます」


 俺は何にも返事をせず、湯気を出しているコーヒーに口をつけた。


 やっぱり苦いな。


 コップを離し、シュークリームの袋を開けた。




 シュークリームは数分で姿を消し、残ったのはシュークリームが入っていた袋だけとなった。


「美味しかったね」


「そうですね、クリームも多く入っていて、途中こぼれそうになりました」


「それ、俺もなった」


 シュークリームの感想を言っている彼女の顔からは、さっきまで泣いていたとはとても思えない。


 コーヒーを飲んだ彼女は少し微笑んだ。


「ありがとうございます」


「なにが?」


「私を励まそうとしてくれて」


 彼女はコーヒーカップを両手で強く握った。


「私、就職諦めません、諦めたくないです」


 彼女のその言葉に俺はほっとした。


「その言葉が聞けてよかった」


「え?」


 呟いた一言に彼女が反応する。俺はコーヒーを一口飲んでから話を続ける。


「今回取り消されたって聞いたとき、村上さん、もうダメかもって思ったんだ。ごめんね、勝手にそんなこと思って」


 この世の中には彼女と同じような境遇の人は何人もいるだろう。その中で諦めた人たちがニートや引きこもりになっている。


 もしかした今回のことで彼女も・・・。絶対にないとは言い切れないから心配だった。


「でもそっか。・・・なら俺も全力でバックアップするよ。村上さんが諦めない限り」


「秋原さん・・・ありがとう、ございます」


 彼女はテーブルのおでこがつきそうなぐらい深く頭を下げた。

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