第444話 緊迫のアガーム王宮
ユーリス達が遺跡の前で溜め息を付いている頃。
アガーム王宮の中でも最も格式が高い国王の執務室へ、無作法に駆け込む兵士がいた。
本来なら、決して許されない不調法。
それが許されたのはひとえに、兵士が掲げ持ってきた短剣に寄る所が大きい。
南東に領地を持つグラーツ公爵家の紋章が入った短剣は、兵士が公爵の代理人である証明として、十分に機能する。
「へ、陛下!
ぞ、造反にございます!」
転がるように入り込んだ兵士は、息切れを抑えつつもハッキリと要件を叫ぶ。
その内容に部屋の主は、思わず天を仰ぐのだった。
「……詳しく話しなさい。
息を整えてからで構いません」
視線を天井に向けて固まるアガーム8世の隣で、彼と政策の相談をしていた宰相が、兵士に指示を出す。
名君を支える優れた家臣の落ち着きに、意識を取り戻したアガーム8世は、
「……そうだな。
まずは状況が分からなくては話にならん。
……念のため、騎士団長を呼べ」
「はっ!」
側近へ命じて、騎士団長の召喚を命じる。
アガーム8世に、彼が信頼する文武の両長。
これがアガーム王国の最高意思決定機関である。
しかし、
「……失礼いたします。
ロッソ・ネイバー入ります」
側近が執務室の外へ向かうよりも、騎士団長自らが執務室へやって来る方が早かった。
当然と言えば当然の話で、兵士が国王の元を訪れる頃には警備担当者の主だった者には、連絡が入っている。
そこで平時の業務を優先するような、判断力しかない人間が騎士団のトップまで登れるはずがないのだ。
「ロッソ、良く来てくれた。
……さて、その方、名前は?」
「はっ! グラーツ公爵家従士隊で第2部隊を率いております。
ウインダー・ハロルと申します」
ロッソを労いつつ、兵士に名を訊ねるアガーム8世。
報告の裏を取る為にも、兵士の名前は必須の確認事項。
対する兵士、ウインダー・ハロルは名前を覚えて貰えるチャンス到来に、ハキハキと答える。
「……ハロル。
グラーツ公の寄子子爵家ですな」
そう言って、貴族家の勢力図をまとめた紙を、即座に手渡す宰相インベラート。
執務室の膨大な資料を把握する様は、まさに有能な文官の長そのものである。
「……うむ。
ではハロルよ、詳しい話をいたせ」
勢力図に記されたグラーツ公爵家の辺りを確認しつつ、問い質すアガーム8世。
主上である国王の問いに改めて背筋を伸ばしたウインダーは、
「はっ!
数日前の事になります。
突如、ケロック伯爵家の従士隊が、閣下の寄子にある貴族家に攻め込んで参りました。
その中には私の実家であるハロル家も含まれております。
攻め込んできた従士達は収穫前の田畑を焼き、グラーツ家の従士隊と剣を交えることもなく撤退。
それを幾度となく繰り返しており……」
「焼き働きだと!」
現在の南東部での現状を報告するが、激昂する騎士団長が、それを途中で遮る。
「ロッソ」
「失礼いたしました。
よもや、自国の他貴族家にそれほど卑劣な真似をするとは……。
いえ、自国ではなくなっているのか?
……ハロル卿」
遮ったロッソは、アガーム8世の非難を含む呼び掛けに謝罪しつつ、ウインダーを促す。
「はっ!
その通りにございます。
数日間行われたケロック家とのイタチごっこが、下火になってすぐ、南東部の穀倉地帯に大打撃を与えたケロック伯爵家から、使者がやって参りまして自分達は独立。
ケランド王国とケロック王国は、ケランロック連邦国になると宣言を受けました」
「……そうか」
ウインダーの報告を聞き終えたアガーム8世が肩を落とす。
焼き働きと聞いた時点で予想は出来たことだがそれでも、いざ聞くと憂鬱な気になる。
「……陛下。
私にケロック伯爵討伐を御命じください。
海洋の雄と呼ばれるケロック家とは言え、陸軍の弱卒具合は有名です。
王都より西の兵を糾合すれば、さほど難しい攻略とはなりません」
「ダメです!」
気落ちする主君に、自ら名乗り出る騎士団長だが、共に主君の憂いを感じているはずの宰相が止める。
同輩の想定外の拒絶に、恨みがましい目を向けるロッソであったが、
「ただでさえ、ケランド地方侵攻で食糧が不足しているのに、穀倉地帯が焼かれた状況ですよ?
兵糧を何処から捻出する気です?」
「……」
食糧不足を盾に取られては何も言えない。
文字通り、腹が減っては戦が出来ないだ。
「それどころか、ケランドへの侵攻も停めざるを得ませんね。
軍から飢え死に出すわけにもいきません」
「しばし待たれよ!
何故、ケランド侵攻まで停めるのだ?
此処で停戦すればケランロック連邦、延いてはケランド王国を認めることになるぞ?!」
そうなれば、ラロルの威光なしでケランド王国を認めることになり、どのような要求を呑む羽目になるかも分からない。
運良く有耶無耶に出来ても、アガーム王国の権威は下がってしまう。
「多少の赤字に目を瞑っても、ケランド地方の制圧だけは……」
「無理です!
我が国へ穀物を供給出来るだけの量があるのは、ファーラシア王国の南部一帯くらいです。
その内、ゼイム領より北の交易路はラーセンとドラグネアを経由しますので、とても我が国へ回せる量は確保出来ないでしょう。
対して、ゼイム領以南の穀物を仕入れるルートはビジームの内乱で機能していない。
仕入れ先がないんですよ!」
悲鳴染みた声を上げるインベラート。
平民から宰相まで登り詰めた有能な宰相が、多少の赤字を恐れるような粗末な損得勘定をするはずもない。
「……」
「……こうなってくると、ビジームの内乱もケランドの手引きかもしれんな?」
黙り込むロッソに変わって、呟きを漏らすアガーム8世。
あまりにも、ケランド王国にとって都合が良すぎる展開である。
しかし、
「まず有り得ないかと……。
両勢力共に、ビジーム内乱を手引き出来る程の人材がいるとは思えません。
マウントホーク家の躍進を知る各勢力が、ついに我慢の限界を超えただけでは?」
「……ですな。
そもそも内乱を起こすと言うのは、将来的に不利益が大きいと思います。
我が国との国境付近に親ケランド勢力を興す方が、時間も労力も少なくすむのでは?」
インベラート、続いてロッソも反論する。
アガーム王家とケロック伯爵家では、ビジームへの影響力は、ケロック伯爵家の方が上。
これはアガーム王家直轄地とビジーム都市連合の間には、山岳地帯が横たわっているせいである。
南東迂回が必要であり、代々のアガーム王は直線距離で行ける北と西へ目を向けてきたから。
「……そうだな。
ビジームがケロック側に味方すれば、北東、南東に加えて南西も塞がれるわけだからな……」
「そうですね。
そうなれば、辺境伯殿に頭を下げるしかなかったとさえ思えます」
ビジームがなくなれば、守護竜領とアガーム南部が直接結び付き、マーマ湖経由で辺境伯領も接続する。
アガーム援助の名目で出張ってきても不思議でない状況だ。
「となると純粋な内乱か……。
テルマーマの富を独占したかった奴が暴走したと見るべきだな」
「……馬鹿げた話ですがね。
これでテルマーマに在留するファーラシア貴族が、怪我でもすればファーラシア王国の侵攻も有り得ます」
救援名目で軍を送り、治安維持名目で実効支配してしまえば、ファーラシアとビジームの国力差もあって、ビジーム併呑まで進んでも不思議ではない。
むしろ、
「……陛下。
ファーラシア王国は我が国の窮状を知りません。
本当にビジーム侵攻の手筈が整っていたのでは?」
「……どういうことだ?」
アガーム8世の言葉に、暗い顔になるインベラート。
それを怪訝な顔で訊ねるロッソ。
「私にはどうも腑に落ちないと申しますか、違和感があることがございます。
まず、ビジームの各都市が、これ程急に軍を起こせる背景です」
「それは経済的なゆとりが……。
インベラート!」
経済的なゆとりと口にして、アガーム8世も気が付く。
「ええ!
サザーラントとの争いがある程度落ち着いた時期にゼファート竜がニューゲート巫爵家を訪れ、我が国との航路を結ぼうとして取り止めたことがございました」
「そうだ。
採算が悪いからだろうが、それを知った殆どの者がアガーム―ファーラシア航路の設定がないことを知った」
ゼファートがやって来て、直ぐにニューゲート巫爵が船や海域の情報を集めたのだ。
交易事情に詳しい者が、聞けばピンと来る話であり、その話が直ぐに断ち消えたのならば、航路復興を断念したと知れる。
「はい。
そうなると必然的にビジーム街道の価値は跳ね上がります」
「当然だ。
ファーラシア王国が航路復興を望まなければ、大陸東部と南部を最短で繋ぐのはビジーム街道だからな」
「!
ビジーム各地の為政者を暴走させるために、一芝居打ったと言うことですな!」
こうして、アガーム首脳部の中で勝手にマッチポンプの構図が出来上がっていく。
「そして内乱のタイミングです。
本来なら1番近いマウントホーク卿が動くべき事案ですが……」
「本人も次期当主も遠征していて対応出来ないわけか!」
「そうです。
この形であれば、辺境伯家の兵を借りてファーラシア王国軍がビジームへ直接乗り込むことも……」
インベラートの言葉には、もはや脱帽しかない王と騎士団長。
同時に、
「……ロッソ、停戦交渉を頼む」
「はい……」
下手にファーラシアへ抗議するのも怖いので、速やかに停戦へ向けて舵を切ることにしたのだった……。
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