第361話 ベニア将軍の不幸

「隊の展開を完了しました」

「ご苦労。

 警戒態勢を維持しつつ、順番に食事を取るように」

「はっ!」


 部隊の準備が整ったことを報告に来た部下へ、新たな指示を出す指揮官。

 彼の名はベニア。

 将軍職を与えられた元平民である。

 元々は帝国軍の下っ端警備兵だった男は、帝都混乱時にアイリーン皇女の軍を匿い、その功績で将軍職を賜った。

 将軍とは言うが、率いている人間の数は部隊長クラス。

 従えている人間がほぼ食い詰めた平民であることを考えれば、むしろ部隊長と言うのも烏滸がましいレベルだ。

 では、何故将軍と呼ばれるか。

 帝都を征したアイリーン皇女軍のプロパガンダである。

 功績さえ挙げれば、平民でも将軍になれると言う喧伝のための広告塔。

 その1人がこの男だった。


 そんな無茶苦茶なアイリーン皇女軍であったが、その効果は非常に大きかった。

 歴史が長く制度の整ったサザーラントでは、生まれた身分が生涯付いて回る。

 その縛られた人生を変えるチャンスに、多くの中流下流に属した人間が群がる。

 結果、各地で皇女軍に味方する人間が増えて、たちまち皇帝ミルガーナ率いる正規軍を北東の端へ追いやる。

 風前の灯となったミルガーナ軍ではあるが、ダンベーイにも近い街へ大軍で進軍して、ゼファート領を刺激すべきではないと言う軍幹部の意見により、その進軍が遅くなる。

 ……さすがに参謀や作戦立案の担当官まで、成り上がりに任せる愚は犯さず、軍として真っ当な判断を下したのだ。

 しかし、敵との戦争と言う功績を稼ぐ場を奪われた現場の人間達は、自分達の支配域で鬱憤を解消する。

 今度は各地で将軍職を与えられた平民やその部下による横暴とそれに対する民衆の反発が発生し、アイリーン皇女に同情的だった民意も、徐々に離れる。

 そうなれば、裏で繋がっていただけの上級貴族達も沈黙を破って、ミルガーナ軍へ味方する。

 斯くして、泥沼の混乱期を迎えたサザーラント帝国。


 そんな折、軍部からベニアへ命令が下る。

 ルシーラ王国へ向かうファーラシア王国の使節団を襲えと。

 当然、反発した。

 正規の軍人が勝てなかった相手に自分のような者が勝てるわけないと。

 しかし、


「勝つ必要はない。

 お前は兵を適当に展開したら、出入りの商人に化けて逃げてこい」


 と上官から指示を受ける。

 どういうことか訊ねてしまったベニアは、ここで大きな後悔をすることになる。

 ベニアが連れていく兵士は、功績を挙げたせいで金食い虫になった民衆であったのだ。

 つまり、これは軍事行動に見せ掛けた口減らし。

 それを理解したベニアに、上官は更に強烈な台詞を吐いた。

 曰く、


「元々、ルシーラ王国を攻撃するのは、幾つかある峠のせいで効率が悪かったが、開けた場所での野戦になれば、口減らしの効率が上がる。

 マウントホーク様々だ」


 と。

 ……そう。

 戦争の目的そのものが、非生産階級である兵士を消費し、食料生産のピラミッドを是正することだった。

 参謀クラスの幹部と言っても、所詮は内紛で位階を上げた人間である。

 これによって、他国からどう見られるかまで判断する能力は乏しいのだった。

 そんなわけで、それなりに親しくなった部下達を屠殺場へ送る仕事をすることになったベニアだが、そこで不幸は終わらない。


 速く静かに、死神の鋭い鎌がすぐそこまで迫っていた!


 その違和感をベニアが最初に感じたのは、周囲に一向に煙が上がらないことだった。

 奇襲とは名ばかりの逆撃を望む軍事行動であり、そもそも部下の大半は、警備隊で簡単な訓練を受けたベニア以下のほぼ素人。

 まともに軍事訓練を受けたわけでもない連中に、奇襲準備中に煮炊き禁止の発想はない。

 数人くらいは良いのか? と一瞬手を止める程度の感覚はあるかもしれないが、どれほどの問題を起こすかまで想像するとは思えない。

 にも関わらず、


「炊事の煙が立っていない?」


 準備に手間取っているのか?

 そう思った。

 ……思い込もうとした。

 あまりに強烈な悪寒から現実逃避するために。


 ザッ!!


 不意に背後で響く、草を踏むような音に、慌てて振り返った感覚だけを残しながらも、変わらない視界。

 ゆっくりと下がって行く視線の先、紫水晶の輝きを最後に、平民ながらに将軍へ至った男は数奇な人生の幕を閉じた。

 こうして、300からなる兵が頭と首を切り離され、周辺の獣の腹に納まった。

 ベニア将軍と呼ばれた1つの首をを除いて……。

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