尹緯4  古人に愧じず  

尹緯いんいの友人である牛寿ぎゅうじゅが、

漢中かんちゅうの流人を引き連れて、

後秦こうしんに帰順してきた。


牛寿、尹緯に言う。


「きみは普段から言っていたな。


 平和な時代であれば、

 立功立事をなしえよう。


 しかし道義が地に落ちたならば、

 漢の宣帝かんせんていの治世下で引退を申し出、

 退職金を得たはいいものの、

 余計な財貨を残しては

 子孫のためにならぬ、

 として宴で使い果たした、

 疏廣そこう疏受そじゅのようになろうか!


 もしくは漢の元成げんせい二帝のもとで、

 自らが罪に問われるのもいとわず

 不実の佞臣を糾弾し続けた

 朱雲しゅうんのように振る舞おうか!


 間違っても、後漢の胡広ここうのように

 うすらぼんやりと時流に従ってなど

 おれたものではない!


 ……と。


 どうした、今こそがきみの

 求めていた時代ではなかったのか?

 歴史書に名を残したいのだろう?

 尽力が足りておらんのではないか?」


尹緯も返答する。


「確かに、そのように言ったな。

 ただ、我が務めの不足ではない。


 管仲かんちゅうのような政治家に内政を、

 韓信かんしんのような将軍に軍事を

 委ね切れておらん。

 確かに、このことについて

 恥ずかしくは思うがな。


 立功立事の想いから背いたことは

 一度としてないぞ」


このやり取りは、

間もなく姚興ようこうの耳にも届いた。

なので姚興、尹緯に言う。


「あなたの、牛寿殿への発言を聞いた。

 なんとまあ、壮大な気宇であろうな!


 ときに、立功立事について、

 あなたは古の人々と比べ、

 どのくらいできていると思う?」


尹緯は答える。


「古人に対し、恥じる所は

 なんらございません。

 

 何故か?


 まさに時運に巡り合い、

 姚萇ようちょう様を補佐し、国の基を築けました。

 そして陛下がお立ちになったときには、

 たちまち苻登ふとうを攻め滅ぼし、

 関中エリアを手中に収めること

 かないました。


 生あるうちに第一等の功を挙げ、

 ならば、死して姚萇様の廟に

 私も配されましょう。


 これはまさに、古の君子と

 同じ道のりではございませんか」


その発言を聞き、姚興は歓喜。


間もなく、尹緯は死亡した。

姚興の悲しみは

すさまじいものであったという。


司徒が追贈され、忠成侯ちゅうせいこうと諡された。




緯友人隴西牛壽率漢中流人歸興,謂緯曰:「足下平生自謂:'時明也,才足以立功立事;道消也,則追二疏、硃雲,發其狂直,不能如胡廣之徒洿隆隨俗。'今遇其時矣,正是垂名竹素之日,可不勉歟!」緯曰:「吾之所庶幾如是,但未能委宰衡於夷吾,識韓信於羈旅,以斯為愧耳。立功立事,竊謂未負昔言。」興聞而謂緯曰:「君之與壽言也,何其誕哉!立功立事,自謂何如古人?」緯曰:「臣實未愧古人。何則?遇時來之運,則輔翼太祖,建八百之基。及陛下龍飛之始,翦滅苻登,蕩清秦、雍,生極端右,死饗廟庭,古之君子,正當爾耳。」興大悅。及死,興甚悼之,贈司徙,諡曰忠成侯。


緯が友人の隴西の牛壽は漢中の流人を率い興に歸せば、緯に謂いて曰く:「足下は平生、自ら謂えらく「時の明なるや、才は以て功を立て事を立つにる足る。道の消うるや、也,則ち二疏、硃雲を追い、其の狂直なるを發し、胡廣の徒が如く隆を洿ぎ俗に隨す能くわざら」と。今、其の時に遇いたり、正に是れ名を竹素に垂さんの日なれば、勉めざるべけんか!」と。緯は曰く:「吾が庶幾せる所は是の如し、但だ未だ宰衡を夷吾に委ぬ能わず、韓信を羈旅もに識らざる、斯くを以て愧と為したるのみ。功を立て事を立つるに、竊かに未だ昔が言を負わざるを謂ゆ」と。興は聞きて緯に謂いて曰く:「君の壽に與えたる言なるや、何ぞ其れ誕きか! 功を立て事を立つるは、自ら古人とでは何如とぞ謂わんか?」と。緯は曰く:「臣は實に未だ古人に愧じず。何ぞを則ちとせんか? 時來の運遇きたらば、則ち太祖を輔翼し、八百の基を建つ。陛下の龍飛の始まるに及び、苻登を翦滅し、秦、雍を蕩清す。生くるに端右を極め、死せるに廟庭に饗さる、古の君子、正に當に爾りたるのみ」と。興は大いに悅ぶ。死せるに及び、興は甚だ之を悼み、司徙を贈り、諡して忠成侯と曰う。






疏廣&疏受


尹緯の発言から拾うとこの叔父と甥もまた「狂直を発した」ようにも読めるのだが、これ、だれかとの取り違え何でしょうかねー。


陶淵明「詠二疏」詩について

井上一之、中國詩文論叢24、2005

https://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=29736&item_no=1&attribute_id=162&file_no=1&page_id=13&block_id=21


によれば、基本的には「足るを知る」徳の高さを讃えられる人物たちであり、どうもここで尹緯があげるような人物であるようには思えない。朱雲については「うん、わかるー!」って感じなんだけど。


ともあれ、牛寿との会話はもう最晩年のやり取りのようですね。どのタイミングで亡くなったんでしょう。いずれにせよ「自分にやれることはやり切った」という自負はうかがえます。


しかし尹緯のこのセリフと梁喜りょうきの「関中から人材は枯渇してしまったのでは?」発言を組み合わせると、尹緯からしてうまく人材に巡り合えず、それは時代が下っても変わらなかった、というのがうかがえますね。つらい。


そして、こっから僕たちは更につらい「後秦の崩壊&滅亡」を眺めることになるのですよね。



というわけで、ここで中原戦記1は終了。

https://kakuyomu.jp/works/1177354055365070928

2に移行しまーす。

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