姚興21 十六国ー伐涼1 

401 年の三月。

絡まり合う木が廟庭に生えた。

また逍遙園の裏手にて、

ネギがヨロイグサに変わる。

臣下らはこれらを吉兆であると喜ぶ。

占い師に問うと、このような答えがあった。


「叡智持てるお方が

 この国にやってこられる証です」


五月。魏安の焦朗が姚碩徳に使者を送り、

後涼の攻略をすすめる。


「呂光様がお隠れになって以来、

 その肉親たちは相争い、

 政はなされず、誰もが競うように

 凶事をはたらくような有様。

 民もその半ばが飢えにて死んでおります。


 奴らが玉座を奪い合う醜態を晒す、

 今こそが攻め滅ぼす好機です。

 手のひらを返すことよりもたやすかろう、

 この機は逃すべきではありません」


姚碩徳はこの進言を姚興に報告。

こうして後涼討伐軍六万が編成、出陣した。

ここには乞伏乾歸が七千の騎兵を率い合流。


七月、姚碩徳は金城から黄河を渡り、

廣武、倉松を経由し、姑臧に急行。

配下将の姚方國が姚碩徳に言う。


「師三千を授かったとはいえ、

 後詰、援護は望めません。

 下手な運用はできますまい。


 ここは我らが陣容を誇示し、

 大いに威嚇すべきでありましょう。

 遠くから来た我々を、

 かの者は全力で防がんといたします。

 おそらく、一戦でけりはつきましょう」


呂隆は呂超や呂邈らを派遣し、

迎撃に出たが、姚碩徳に大敗。

呂邈は捕らえられ、

一万近くが切られ、捕らえられた。




弘始三年、春三月、連理樹生於廟庭、逍遙園有蔥變為茝。咸以為羙瑞。興令占之曰:「應有智人來入中國。」夏五月、魏安人焦朗遣使說隴西公碩徳曰:「呂氏自武王棄世、兄弟相攻、政綱不立、兢為威虐。百姓饑饉死者過半。今乘其簒奪之際、取之。易於反掌不可失也。」碩徳言於興、遂帥歩騎六萬、伐涼。遣乞伏乾歸率騎七千從之。秋七月、碩徳從金城濟河、直趨廣武、徑倉松、至姑臧。部將姚方國言於碩徳曰:「今授師三千、後無繼援、師之難也。宜曜勁鋒示其威武。彼以我逺來必決死拒戰。可一戰而平也。」涼王呂隆遣輔國呂超、龍驤呂邈等、逆戰、大敗。生擒邈、俘斬萬計。


弘始三年、春三月、連理樹は廟庭に生え、逍遙園には蔥の變じ茝為る有り。咸なは以て羙瑞と為す。興は令し之を占ぜしむらば、曰く:「智人の中國に來入せる有れるの應なり」と。夏五月、魏安人の焦朗は使を遣りて隴西公碩徳に說かしめて曰く:「呂氏は武王の棄世してより、兄弟は相い攻め、政綱は立たず、兢いて威虐を為す。百姓の饑饉に死せる者は半ばを過ぐ。今、其の簒奪の際に乘じ、之を取るべし。反掌に易やるを失うべからざるなり」と。碩徳は興に言い、遂に歩騎六萬を帥い涼を伐たしむ。乞伏乾歸を遣り騎七千を率い之に從わしむ。秋七月、碩徳は金城より河を濟り、廣武を直趨し、倉松を徑、姑臧に至る。部將の姚方國は碩徳言にいて曰く:「今、師三千を授かり、後に繼援無し、師の難なり。宜しく勁鋒を曜らし其の威武を示すべし。彼れ、我らの逺來なるを以て必ずや死を決し拒戰せん。一戰にて平したるべきなり」と。涼王呂隆の輔國の呂超、龍驤の呂邈らを遣り逆戰せるを大いに敗る。


(十六国56-3_暁壮)




十六国春秋にある、後涼討伐の詳細1。いきなりすでに旅行が死んでますと提示するとか、これはあれですね、孝武帝本紀をすでに目を通してる前提なんすね。わかんないでもないけどさぁ。


とりあえず、この内容を記してる段落がクッソ長かったので分割しました。晋書読んでみたら姚方國の進言はやっぱり呂隆載記にありました。マーソウデスヨネー。

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