姚興6  参合陂     

薛勃せつぼつの反乱と孫氏の皇太后追贈、

その間の話である。

このとき、参合陂さんごうはの戦いが起こった。


北魏ほくぎ拓跋珪たくばつけい後燕こうえん慕容宝ぼようほう侵攻に応じ、

右司馬の許謙きょけん後秦こうしんに派遣。

援軍を要請させた。


姚興ようこう楊佛嵩ようふつすうを派兵、援軍としたが、

楊佛嵩は敢えて行軍を鈍くしていた。


すると拓跋珪、

内心はさておき、表向きでは、

許謙に手紙をもたせている。

手紙にはこうある。


「さて、天意に従い出兵され、

 義の心に基づき進軍されておるのです。

 その機運に乗じて、

 勲功を上げられぬことなど

 あり得ましょうか?


 慕容めは無道にも我が領内を侵すも、

 我が将は老い、我が兵は疲労の極致。

 この未曽有の危地に御身らに

 救援を依頼いたしましたるは、

 その大いなる威武を頼ってのもの。


 將軍はしゅうせん王を大いに助けた

 方叔ほうしゅく召虎しょうこが如き地位におられ、

 その率いられる兵力は

 熊や虎のごとき雄々しさ。

 その強さを世に大いに鳴らされるのは、

 今をおいてございますまい。


 ここで示された武威により、

 敵対者はその尻尾を丸め、

 二度と歯向かおうだなどとは

 思いもせぬようになりましょう。


 斯くして敵を撃退したる後、

 雲中うんちゅうにてお会い致しましょう。

 将軍の率いられる軍勢を

 三魏さんぎの地にてお迎えし、

 大いに労わせて頂きたく

 思っております」


すると楊佛嵩は行軍を加速。

すぐさま許謙らと合流した。

許謙は楊佛嵩を歓迎しつつ、言う。


「昔、いんとう王は鳴條めいじょうの地にて

 周辺諸氏族との同盟を得、

 しゅう王もまた黄河の南、

 すなわち孟津もうしんにて多くの諸侯らと

 盟約をかわしました。


 これらの盟約は神霊よりの加護、

 道義心、相互信頼の証でありましょう。


 隣国同士が手を携え合うのは

 古よりの麗しき規範。

 共にいけにえを捧げ合い、その友好を

 さらに厚きものといたしましょう。


 そうして相互の友好を語らいあい、

 災難は分かち合う事で分散し、

 互いを思いやり合って、

 禍福をともといたしましょう。


 この盟約を違えた時、

 神は我々に厳しき罰を下しましょう」


慕容宝が撤退すると、

楊佛嵩もまた撤収した。




魏太祖拓跋珪、因慕容寳入寇、遣右司馬許謙詣秦乞師。興遣鎮東將軍楊佛嵩、入援於魏、而佛嵩稽緩不進。太祖乃命許謙為書、以遺佛嵩曰:「夫杖順以翦遺,乘義而攻昧,未有非其運而顯功,無其時而著業。慕容無道,侵我疆埸,師老兵疲,天亡期至,是以遣使命軍,必望克赴。將軍據方邵之任,總熊虎之師,事與機會,今其時也。因此而舉,役不再駕,千載之勳,一朝可立。然後高會雲中,進師三魏,舉觴稱壽,不亦綽乎。」佛嵩乃倍道兼行。及至、謙與佛嵩盟曰:「昔殷湯有鳴條之誓,周武有河陽之盟,所以藉神靈,昭忠信,夫親仁善隣,古之令軌,歃血割牲,以敦永穆。今既盟之後,言歸其好,分災恤患,休戚是同。有違此盟,神祗斯殛。」寳既敗走、佛嵩乃還。


魏の太祖の拓跋珪は慕容寳の入寇せるに因り、右司馬の許謙を遣りて秦に詣で師を乞わしむ。興は鎮東將軍の楊佛嵩を遣り、魏に入りて援ぜんとせるも、佛嵩は稽緩にして進まず。太祖は乃ち許謙に命じ書を為し、以て佛嵩に遺らしめて曰く:「夫れ順に杖じ以て翦遺し、義に乘じ而して攻昧す、未だ其の運に非ずして顯功有らざらんか、其の時無くして業は著しからん。慕容は無道にも我が疆埸を侵し、師は老い兵は疲れ、天亡の期は至り、是を以て遣りて軍に命ぜしまば、必ずや克赴を望まん。將軍は方邵の任に據し、熊虎の師を總べ、與に機會に事う、今が其の時なり。此に因りて舉さば、役せるに再び駕せず、千載の勳は一朝にして立つるべし。然る後に雲中にて高會し、師を三魏に進め、觴を舉げ稱壽せるに、亦た綽せざらんか」と。佛嵩は乃ち倍道兼行す。至れるに及び、謙と佛嵩は盟して曰く:「昔、殷湯に鳴條の誓有り、周武に河陽の盟有らば、神靈を藉き、忠信を昭らかとせる所以にして、夫れ親仁善隣は古の令軌にして、血を歃み牲を割ち、敦を以て穆を永きとす。今、既に盟の後、言は其の好に歸し、災を分け患を恤い、休戚を是れ同じうす。此の盟に違有らば、神祗は斯く殛まらん」と。寳の既に敗走せるに、佛嵩は乃ち還ず。


(十六国56-1_王度)





怖い! なんなのこの拓跋珪のごろにゃん極まりないへりくだり方! これ間違いなく内心でキレてんだろ! ここまで徹底的にへりくだってこられれば、そりゃ楊仏嵩としても生きた心地しなかったでしょうね。「えっちょ、何考えてんの拓跋珪、こわっ……」てなると思うのです。間違えても「拓跋珪の野郎俺に対してへこへこしてきやがるwwwwww」なんてことは思わなかったはず。


それにしても近攻遠交なんてこの当時でも常識アンド常識だったろうに、口先では「隣国同士仲良くしようね☆」ってしれっと言っちゃうんですね。外交こわいマジ怖い。


ちなみにこの内容はいわゆる正史だと魏書許謙伝に載っています。晋書はこの辺スルー。いやマジで晋書さんはもうちょい拓跋絡みの記事を晋書中にですね……?

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