姚興5 鮮卑との戦い
そこを
薛勃が
すると、薛勃、突然叛逆。
どういうタイミングだ。
北魏と示し合わせて、
という感じだったのだろうか。
とは言え姚崇、あっさり薛勃を撃退。
本人は捕縛し、配下、軍資は接収。
その上で帰還した。
姚興、嫡子とは言え庶出であった。
とは言え母は今や皇帝を生んだ者。
なので母の
前秦と同盟していた、仇池公の
かれ自身は
攻め滅ぼされたが、その甥である
使者を遣わせ、姚興に降ると表明。
そこで楊盛を
使持節、鎮南將軍、仇池公とした。
また鮮卑の
二万世帯余りを率い、
乞伏乾歸より叛逆。
姚興のもとに降ってきた。
姚興は越質詰歸を
使持節、鎮西將軍、
鮮卑薛勃於貳城為魏軍所伐,遣使請救,使姚崇赴救。魏師既還,薛勃復叛,崇伐而執之,大收其士馬而還。興追尊其庶母孫氏為皇太后,配饗太廟。楊盛保仇池,遣使請命,拜使持節、鎮南將軍、仇池公。鮮卑越質詰歸率戶二萬叛乞伏乾歸,降於興,興處之于成紀,拜使持節、鎮西將軍、平襄公。
鮮卑の薛勃は貳城にて魏軍に伐たる所と為り、使を遣わせ救を請わしむらば、姚崇をして救に赴かしむ。魏師の既に還ぜるに、薛勃は復た叛じ、崇は伐ちて之を執え、大いに其の士馬を收め還ず。興は其の庶母の孫氏を追尊し皇太后と為し、太廟に配饗す。楊盛は仇池を保ち、使を遣わせ命を請わしむらば、使持節、鎮南將軍、仇池公を拜す。鮮卑の越質詰歸は戶二萬を率い乞伏乾歸に叛じ、興に降ずらば、興は之を成紀に處し、使持節、鎮西將軍、平襄公を拜す。
(晋書117-5_王度)
苻丕苻登に大いに協賛した、仇池公の楊定。彼自身は国の立ち上げもままならないうちに苻丕の息子苻崇と共に死んだわけですが、その後を継いだ楊盛以降、後仇池は約半世紀にわたり勢力を維持します。北魏と劉宋という二大国に挟まれ、命脈を保つわけです。およそバケモノじみた折衝力というより他ありません。
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