姚萇21 東晋将を容れる 

姚萇ようちょうの司令書を読むと、

きょう族としての蛮習を排除し、

より洗練された統治体制に脱皮しようと

腐心していた形跡が伺われる。


例えば、ある司令書には、

いわゆるまじないの類や、

野蛮な祭祀などを取りやめよ、

それを執り行うことが罪なのであるから、

言いつけを守らず、あえて挙行しよう、

というものに対しては厳罰を下す、

と記されていたという。



この当時は、

あらゆる地の政情が不安定であった。

東晋とうしんでもゴタゴタがあったようで、

楊仏嵩ようふつすうという将軍がしょくエリアに住まう

胡族三千世帯あまりを引き連れ、

姚萇のもとに降ってきた。


晋としても、見過ごすわけにはいかない。

楊佺期ようせんき趙睦ちょうぼくが追撃をかけてくる。


姚萇、息子の姚崇ようすうを救援に派遣。

晋軍を大破し、趙睦を斬った。


晋の内部情報を、他ならぬ当事者から

得ることができるわけである。

姚萇、楊仏嵩を鎮東將軍に任じた。




萇下書除妖謗之言及赦前奸穢,有相劾舉者,皆以其罪罪之。晉平遠將軍、護氐校尉楊佛嵩率胡蜀三千餘戶降于萇,晉將楊佺期、趙睦追之。遣姚崇赴救,大敗晉師,斬趙睦。以佛嵩為鎮東將軍。


萇は書を下し妖謗の言を除き、及び前の奸穢を赦し、相い劾舉せる者有らば、皆な其の罪を以て之を罪す。晉の平遠將軍、護氐校尉の楊佛嵩は胡蜀三千餘戶を率い萇に降ず。晉將の楊佺期、趙睦は之を追う。姚崇を遣りて救に赴かしめ、大いに晉師を敗り、趙睦を斬る。佛嵩を以て鎮東將軍と為す。


(晋書116-21_暁壮)




三千世帯あまりを動員できる将軍の降伏とか、えらい美味しい話ですね。蜀や漢中の人々にしてみれば、やっぱり後秦の存在感は凄まじかったんだろうなあ。伝を見る感じだと後秦は、どうしても北部に全勢力を傾けざるを得なかった印象こそありますけど、そんなん、特に漢中の民にしてみりゃ知ったこっちゃないですよね。いやあ、こうしてみると東晋を始めとした南朝国家、よくあの長大な戦線維持できたもんだわ……。

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