徐成   當時の醜を極む 

徐成じょせい徐嵩じょすうの叔父だ。

純朴にして誠実な人柄であり、

早い段階で王猛おうもうにその名を知られた。

身長は 155 cm ほどにも届かず、

当時ワーストと言う勢いで醜かった。


ただし、強い。

当時ナンバーワンの将軍である鄧羌とうきょうにも

よく目を掛けられていた。


こんなエピソードがある。

王猛がえんを滅ぼそうと出征した時に、

徐成は鄧羌の射聲校尉、

要は射撃隊の指揮官として配属された。


戦いに先立ち、王猛が

徐成を偵察に向かわせようとする。

昼過ぎを期限とし、燕軍の配備の

厚いところ、薄いところを

見極めてこい、と言うのだ。


が、徐成が帰還したのは夜遅く。

こちらの示した期限を守らないとは!

王猛、徐成を斬り殺し、

ルールの厳正さを示そうとする。


いやいや、そりゃやり過ぎでしょうよ。

鄧羌が王猛にとりなそうとするが、

聴く耳を持たない。


はぁ!? この北海野郎!

お前がそのつもりなら、

こっちだって考えがあるぞ!


なんと鄧羌、軍を編成し、

王猛のいる陣に攻めかかろうとする!


そうまでして守りたい軍才、

それが徐成だったのである。


事実鄧羌が燕軍を蹂躙する時、

徐成は悠然と燕軍の陣中に吶喊、

その様子は傍若無人であったという。


その戦功から并州へいしゅう刺史に任ぜられた。

更に歩騎三万の兵力で劍閣を攻め落し、

この手柄から右將軍に昇進。


やがて淝水ひすい前秦ぜんしんが崩壊すると、

姚萇ようちょうよりの襲撃にあう。

徐成は防ごうと努めたが敗北、

捕虜となった。


とは言え、その武才を惜しんだか。

姚萇に殺されることはなかった。

なので徐成も、遂には姚萇に帰順する。


しかしその存在感は、姚萇陣営において

警戒されるべきものだったのだろう。


姚萇が病に倒れ、

間もなく死亡しようか、と言う時。

徐成は、姚興ようこうによって殺された。




徐成,嵩之叔也。純直端亮,素為王猛所知,長不滿六尺,醜極當時。猛伐燕時,成以射聲校尉為鄧羌部將。猛使成候燕軍虛實,期以日中,及昏而返。猛欲殺之,以正軍法。鄧羌請之不得,幾欲勒兵攻猛。其愛成若是。從羌奮擊燕軍,出入燕陣,旁無若人。以功拜并州刺史,尋加鷹揚將軍,帥步騎三萬攻拔劍閣,進位右將軍。姚萇來伐秦,遣成等討之,為萇所敗,獲而弗殺,遂降於萇。萇之將斃也,其子興殺之。


徐成、嵩が叔なり。純直端亮にして、素より王猛に知らる所と為り、長は六尺に滿たず、當時の醜を極む。猛の燕を伐せる時、成を以て射聲校尉とし鄧羌が部將と為す。猛は成をして燕軍の虛實を候わしめんとし、日中を以て期とせど、昏ぜるに及びて返ず。猛は之を殺し、以て軍法を正さんと欲す。鄧羌は之を請えど得たらざれば、幾ばくにて兵を勒し猛を攻めんと欲す。其の成を愛したること是の若し。羌が燕軍を奮擊せるに從い、燕陣に出入りせば、旁らに人無きが若し。功を以て并州刺史を拜し、尋いで鷹揚將軍を加えられ、步騎三萬を帥い劍閣を攻拔し、位を右將軍に進む。姚萇の來たりて秦を伐てるに、成らを遣りて之を討たしめんとせど、萇に敗らる所と為り、獲らわれど殺さる弗く、遂に萇に降る。萇の將に斃せんとせるや、其の子の興は之を殺す。


(十六国42-25_衰亡)




前燕侵攻のときの描写がまるで、蒼天航路そうてんこうろ呂布りょふなんですが。それにしても王猛と鄧羌のやり取りがやばい。これについてはヒストリストさんがその記事にまとめてくださっています。


https://histomiyain.com/2020/04/02/五胡十六国時代%e3%80%80前燕の落日㉞%e3%80%80四代目慕容暐%e3%80%80/


詳細を追うとより面白いんですが、面白いのまま拾いすぎると切りがないので、ここではご紹介までで。


徐成さん、妙に存在感のある人だったんでしょうねえ。

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