苻堅4  鳳皇、阿房に  

苻堅ふけんの息子、苻暉ふき

洛陽らくよう陝城きょうじょうに駐屯していた兵力

七万ほどを率いて長安ちょうあんに帰還。


また益州刺史の王廣おうこう

王蠔おうこうと言う将軍にしょく漢中かんちゅうの兵力を

引き連れ、救援に向かわせた。


姚萇ようちょう征伐に失敗した苻堅、

リベンジを考えたいところだが、

慕容泓ぼようおうを殺して皇太弟を名乗った

慕容沖ぼようちゅうが、長安から 50 kmほどのところに

迫ってきたと聞き、帰還。


苻健ふけんの息子、つまりいとこの苻方ふほう

驪山れいざんに駐屯させ、苻暉に全権を委任し、

五万の兵力で慕容沖を防がせる。

併せて息子の苻琳ふりんをその後部に配置。


迎撃してきた前秦軍を見、

慕容沖は女性たちを馬や牛に乗らせて、

竿に布を巻きつけて旗のようにし、

彼女らに盛大に土ぼこりを挙げさせ、

見せ掛けの兵力をかさ上げする。


その上で、明け方。

自軍に鬨の声や戦鼓を盛大に鳴らさせ、

進軍命令を下す。

鄭西ていせいに駐屯していた苻暉を強襲。

苻暉は防戦に出たが、あえなく敗北。


苻暉敗北を聞いた苻堅は

姜宇きょううと言う将軍に援軍を率いさせ、

苻琳と合流、三万の兵力で

灞上にいた慕容沖を攻撃したが、

返り討ちとなった。


姜宇は戦死、

苻琳も飛んできた矢で怪我を負った。


こうして慕容沖の進撃を止め切れず、

阿房宮あぼうきゅうを占拠されてしまうのだった。




苻暉率洛陽、陝城之眾七萬歸於長安。益州刺史王廣遣將軍王蠔率蜀漢之眾來赴難。堅聞慕容沖去長安二百餘里,引師而歸,使撫軍苻方戍驪山,拜苻暉使持節、散騎常侍、都督中外諸軍事、車騎大將軍、司隸校尉、錄尚書,配兵五萬距沖,河間公苻琳為中軍大將軍,為暉後繼。沖乃令婦人乘牛馬為眾,揭竿為旗,揚土為塵,督厲其眾,晨攻暉營于鄭西。暉出距戰,沖揚塵鼓噪,暉師敗績。堅又以尚書姜宇為前將軍,與苻琳率眾三萬,擊沖於灞上,為沖所敗,宇死之,琳中流矢,沖遂據阿房城。


苻暉は洛陽、陝城の眾七萬を率い長安に歸す。益州刺史の王廣は將軍の王蠔を遣わせ蜀漢の眾を率い來たりて難に赴く。堅は慕容沖の長安に去ること二百餘里なるを聞き、師を引きて歸し、撫軍の苻方をして驪山に戍せしめ、苻暉に使持節、散騎常侍、都督中外諸軍事、車騎大將軍、司隸校尉を拜し、尚書を錄し、兵五萬を配し沖を距ましめ、河間公の苻琳を中軍大將軍と為し、暉の後繼と為す。沖は乃ち婦人に令し牛馬に乘りて眾為らしめ、竿を揭げ旗為らしめ、土を揚げ塵為たらしむ。其の眾を督厲し、晨に暉が營を鄭西に攻む。暉は出でて距戰せるも、沖は塵を揚げ鼓噪せば、暉が師は敗績す。堅は又た尚書の姜宇を以て前將軍と為し、苻琳と眾三萬を率いしめ、沖を灞上に擊てるも、沖に敗るる所と為り、宇は之にて死し、琳は流矢に中り、沖は遂に阿房城に據す。


(晋書114-3_衰亡)




慕容沖の動きが、彼我の士気の差をよく読んでいる感じがしてすごい。この時の苻堅の戦闘指揮がクソなのもありますが、鋭い指揮をしているな、と言う印象です。


苻堅の息子としては、この辺の人物が挙げられます。

苻丕ふひ、苻暉、苻宏ふこう苻熙ふき苻叡ふえい、苻琳、苻詵ふせん苻宝ふほう苻錦ふきん

要するにこの頃、もう苻堅にはほぼ息子しか頼れる戦力がなかった感じなんですね。


と言うか苻方の存在にびっくりした。苻堅が苻生ふせい打倒のクーデターを起こすにあたって、配下から「排除しておいた方がいい」って言われた人物の一人なんですよね。けど結局、こうして苻堅の滅亡にまできっちり従ってきた。苻生との関係だとか、いろいろなものを踏まえておかなきゃいけなさそうですけど、このひとの振る舞いもかなりエモそうです。

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