慕容永3 西燕内訌    

慕容沖ぼようちゅうが殺されると、

その秘書を務めていた慕容恒ぼようこう慕容永ぼようえい

水面下で計画を練ったうえ、

段隨だんずいを襲撃し、殺す。

そして慕容桓ぼようかんの息子、慕容覬ぼようがいを燕王に。

年号を建明けんめいと改めた。


なお慕容桓は慕容垂ぼようすいの兄弟だ。

そして字が似ているが、

慕容恒とは別人である。ヤヤコシイ……


ともあれ西燕せいえんのメンバーは

長安を離れることにした。

三十万人余りの人間、財宝、儀礼品。

慕容永の役割は、この集団の護衛。


だが、集団とは厄介なものである。

王の選定に参加できなかったのを恨んだか、

慕容恒の弟、慕容韜ぼようとうが、

臨晉りんしんと言う地で慕容覬を暗殺。

弟のおいたに、慕容恒は激怒である。

いちど、陣営から離脱する。


この事態に慕容永は、

刁雲ちょううんと言う将軍に兵を率いさせ

慕容韜を攻撃。

慕容韜は副官の宿勤黎しゅくきんれい

応戦に出させたが、惨敗。

慕容永に捕まり、殺された。


追い詰められた慕容韜、

何故か兄貴のもとに逃げた。

なぜ?


慕容覬の擁立は慕容永、慕容恒の

総意と言うことになっているが、

実は慕容永の意見が強く、

慕容恒は内心不満を持っていた、

と言うことだろうか。


というのも、慕容恒。

自分の陣営にいた慕容沖の子、

慕容望ぼようぼうを立てて帝とした。

建平けんへいと改元。


が、そう言うふらふらした動きを、

配下たちは好まなかった。

みな慕容望のもとを離れ、

慕容永につく。


世論を得た慕容永、

慕容望を捕え、殺す。

そして今度は、

慕容泓ぼようおうの子の慕容忠ぼようちゅうを皇帝とした。

建武けんぶと改元。忙しいな。


慕容忠は慕容永を太尉、

つまり燕軍総取締役に任命。

あわせて尚書令、河東かとう公とした。

そして彼らは聞喜ぶんきにいたる。

そこで、凶報が届けられた。


東で大きな勢力を確保している

慕容垂が、皇帝を名乗った、

と言うではないか。


とは言えこの時期は初春。

農業としても、最も忙しい時期だ。

慕容垂も内部固めに忙しかったのか、

すぐに攻めてくる、と

言うことはなさそうだった。

なので燕熙城えんきじょうを築城。

防備を固めた。


ところで慕容永の将軍、

刁雲らが慕容忠を殺した。

殺してしまった。

陛下を殺すなんてひどいなー(棒)


そして彼らは、慕容永を推戴する。

まぁ、鮮卑せんぴである。

一番ツエーやつに指揮権を委ねるのは

当然だった、と言える。


そして慕容永、慕容垂に対して

服従の使者を送った。


さて、慕容垂と言えば

最大の懸念事項がぎょう攻めである。

苻堅ふけんの息子、苻丕ふひがよくこの城を

守っていたが、この段階で、遂に陥落。

苻丕は太行たいこう山脈を越え、

晋陽しんようの地に逃れた。

そこで苻堅死亡の報を聞き、

その後継として即位する、と表明。

晋陽の南に陣取る慕容永軍の

打破を目論む。


このまま放っておくと、

苻丕に攻撃されてしまう。

そこで慕容永は苻丕に使者を飛ばし、

我々は東に抜けようと思うので、

どうか見逃してくれまいか、と要請。

しかしこれは苻丕に却下された。


攻め寄せてくる苻丕軍。

仕方ない、と慕容永、迎撃に出、

粉砕する。つええ。

それから慕容永軍は長子ちょうしに移動。

そこで遂に慕容永は皇帝を名乗り、

中興ちゅうこうと改元した。




沖敗,其左僕射慕容恒與永潛謀,襲殺段隨,立宜都王子覬為燕王,號年建明,率鮮卑男女三十餘萬口,乘輿服御、禮樂器物,去長安而東,以永為武衞將軍。恒弟護軍將軍韜,陰有貳志,誘覬殺之于臨晉,恒怒,去之。永與武衞將軍刁雲率眾攻韜,韜遣司馬宿勤黎逆戰,永執而戮之。韜懼,出奔恒營。恒立慕容沖子望為帝,號年建平。眾悉去望奔永,永執望殺之,立慕容泓之子忠為帝,改年建武。忠以永為太尉,守尚書令,封河東公。至聞喜,知慕容垂稱尊號,託以農要弗集,築燕熙城以自固。刁雲等又殺忠,推永為大都督、大將軍、大單于、雍秦梁涼四州牧、河東王,稱藩於垂。永以苻丕至平陽,恐不能自固,乃遣使求丕假道還東。丕不許,率眾討永,永擊走之,進據長子。永僭稱帝,號年中興。


沖の敗せるに、其の左僕射の慕容恒と永は潛かに謀り、段隨を襲いて殺し、宜都王が子の覬を立て燕王と為し、年を建明と號し、鮮卑の男女三十餘萬口を率い、輿に服御、禮樂器物を乘せ、長安を去りて東し、永を以て武衞將軍と為す。恒が弟の護軍將軍の韜は陰かに貳志を有し、覬を誘い之を臨晉にて殺さば、恒は怒り、之を去る。永と武衞將軍の刁雲は眾を率い韜を攻め、韜は司馬の宿勤黎を遣りて逆戰せしめど、永は執え之を戮す。韜は懼れ,恒が營に出奔す。恒は慕容沖が子の望を立て帝と為し、年を建平と號す。眾は悉く望より去りて永に奔り、永は望を執え之を殺し、慕容泓の子の忠を立てて帝と為し、年を建武に改む。忠は永を以て太尉と為し、尚書令を守し、河東公に封ず。聞喜に至りて慕容垂の尊號を稱せるを知り、農要を以て集す弗きに託ち、燕熙城を築き以て自ら固む。刁雲らは又た忠を殺し、永を推し大都督、大將軍、大單于、雍秦梁涼四州牧、河東王と為し、垂に稱藩す。永は苻丕の平陽に至りたるを以て、自ら固む能わざるを恐れ、乃ち使を遣わせ丕に假道にて東に還ぜんことを求む。丕は許さず、眾を率い永を討たんとせば、永は擊ちて之を走らしめ、進みて長子に據す。永は帝を僭稱し、年を中興と號す。


(魏書95-27_肆虐)




なんかこのひとむちゃくちゃ強いんですけど。


けど、よくて大貧民で言うキングくらいなんでしょうね。そのすぐ近くにいる2、あるいはジョーカーですらあると言える慕容垂に対してはどうしようもない。


にしても一度称藩したのに、苻丕を倒した後に皇帝を名乗るって、何があったんでしょうね。皇帝を名乗るってことは天下に並び立つ者がいない、と言う宣言。言い換えれば、既に皇帝を名乗っていた慕容垂に対する手切れです。どう考えても悪手中の悪手だったと思うんですけどねぇ……。


ここで西燕の皇帝についてまとめておきましょう。ゲシュタルト崩壊を避けるために慕容は省略します。そして名前の後ろの()が後見人。


1 沖

2 段随(韓延) 後ろ盾が弱かったため即滅ぶ。

3 覬(永、恒) 恒の弟、韜に殺される。

4 望(恒) 慕容永にケンカを売って逆襲を食らう。

5 忠(永) うっかり永の配下が殺す。

6 永


基本的には慕容沖亡きあと永と恒が主導権争いをするのに、みんなが巻き込まれた、って感じですね。っつーか韓延と段随、これたぶんハメられてるよね……「皇帝の弑逆は畏れ多きこと」ってことで、永もしくは恒が汚名押し付けさせきた感が満々。なんだこの人たち、怖い……。

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