第7話 大切にすれば大切にされる
案外探してみると、あるものだ。
市内にもいくつか子育てサークルなるものが存在していた。スマホで検索してみると、「子どもが不登校」であるお母さんたちのグループをいくつか見つけることができた。
私はその中の一つに、メールを送ることにした。家からできるだけ遠くで活動している子育てサークルに連絡を取ってみた。
早速「ちょうど今日は、サークルの仲間でカフェでお茶をするから来ない?」というお誘いの返信が届いた。すぐの返信に内心不安を覚えたけれど、勇気を出して行ってみることにした。
電車を二本乗り継いで、目的地を目指す。今日も翔也は起きてくるとゲームに夢中だった。いつも通り、学校に電話を入れた。幸い、今日も柚月は機嫌よく学校へと向かってくれた。
子どもを残して家を出ることに罪悪感を覚えつつ、それでも少しウキウキした気持ちで、私は車窓を流れる風景を眺めていた。
カフェに着いて驚いた。四人のお母さんが座っていた。中には小学生ぐらいの男の子もいて、ゲームをピコピコやっていた。
「あっ!今朝メッセージをくれた…」
「はい、そうです」
「どうぞどうぞ、座って座って」
そう言って席を勧められた。正直な感想を言えば、なんだか普通のお母さんばかりだな…と思った。どこにでもいる普通のお母さん。とても、子どもたちが学校に通っていないようには見えなかった。
私が腰を下ろすと、メニューが差し出された。私はなんとなく紅茶の気分だったので、紅茶を注文することにした。
「あの…、みなさん、お子さんは学校に通われていないんですよね?」
そう尋ねると自然と自己紹介が始まった。
私にメールをくれた明美さんのお子さんは、小学校一年生のときに入学して三日目、「僕はもうあんなところには行かない!」と宣言して、それ以来学校には通っていないと言う。そのほかのお母さんも、似たり寄ったりだった。
「あの…、子どもを通わせてなくて不安じゃないんですか?」
私は自分のことを棚に上げて、質問した。この人たちは自分のことを「ダメな母親」だとは思ってないのだろうか。
「それはね、最初は心配だったわよ。でも、行きたくない場所に行かせることほど不幸なことはないと私は思うの」
「うん、そうよね。最初はさ、不安だったよ。毎日、バトルしてたもん。あっ!うちは娘ね。毎朝、大げんか!大変だったなぁ」
と言って笑った。なぜ笑えるのか、私にはわからなかった。
明美さんがにこやかな表情で、私に尋ねた。
「みんな最初はイライラするし、モヤモヤするし、もう大変よね。あなたもそうだったでしょ?」
それから話題は翔也と柚月の話になった。話すたびに、みんなは「わかる、わかる」とうなづいてくれた。それがうれしくて、私は家族の実情を洗いざらいしゃべってしまった。しゃべりすぎたかな、と少し後悔した。
ランチを食べ終えると、
「また、一緒におしゃべりしようね」
とLINEを交換し合って解散となった。なんだか、晴れやかな気分だった。
「あら、ママ、機嫌良さそうじゃない?どうだったの?」
柚月が帰ってくるまでには、まだ時間があった。天使の向かいに腰をかける。
手の平に包まれたマグカップになみなみと注がれたホットミルクが、柔らかい香りを鼻に届けてくれる。
「なんだか、スッキリしたなぁ。今まで話せなかった気持ちを伝えられて、肩の荷が下りたっていうかさ。私、ホントはおしゃべりたかったんだなぁ」
天使はニコニコ微笑みながら、
「話すは離すなのよ。話すは放すなのよ。わかる?離れるの離すと、手放すの放すね。だから、ママはもっと話すといいわよね」
と言った。私はそれを聞きながら、今までずいぶん溜め込んできたんだなぁと振り返る。旦那にも、実の母親にも話せず、すべて溜め込んできたのだ。
「うん、でも、旦那は話を聞いてくれないから…」
それを聞いて、天使の笑顔はニコニコからニヤニヤへと変わったのを私は見逃さなかった。
「ママは、話を聞いてもらいたいんだね」
「うん、聞いてもらいたい…」
「で、そんなママは、パパの話を聞いてるの?」
「えっ…?」
マグカップのホットミルクを一気に飲み干すと、天使は一息にまくし立てた。
「他人の話は聞かないくせに、自分の話は聞いてもらいたいってのは、図々しくない?あんた、厚化粧なうえに厚かましい女よね」
「カチーン!何よ、このバカ天使!私はすっぴんだって言ってんでしょ!」
「バカはどっちよ!い~~つも被害者ヅラしちゃって。それを選んでるのは、あんたなのよ!」
もう私は腹が立って仕方がなくて、部屋を出ていこうとした。こんな天使と同じ空気を吸っていたくなんかない。両手で食卓を叩くと席を立った。
ところが、天使はそんな私に冷たく言い放った。
「逃げるの?」
「何がよ?」
「だから、ママはまた逃げるの?」
「私のどこが逃げてるのよ!」
天使は少し寂しげな表情で、椅子から立ち上がった。
「いい?ママはそうやって、自分の都合が悪くなると、逃げるの。怖いことから逃げるの。翔也や柚月のこと、旦那さんと話をしたこともないでしょ?」
私は言葉に窮した。旦那とは会話がない。子供の話をしようとすると、あからさまに面倒臭そうな顔を見せるのだ。それで私は、いつも話をすることから逃げてしまう。
「だって…。話を聞いてくれないし…」
私は、私自身の弱々しい声に驚いた。
「ママ。この世界はね、鏡なの」
「鏡?」
尋ね返す私に天使が続けた。
「そう、鏡。この世界はね、鏡のようにできているの。愛すれば愛される。大切にすれば大切にされる。一方で、憎しみは、新たな憎しみを生む。嫌いになれば、相手からも嫌われる。そういうものなのよ」
「自分がしたことが返ってくるってこと…?」
天使は、私が座っていた椅子に触れると、そこに座るように手招きした。私はそれに従って、静かに腰を下ろす。机の上のマグカップは、もう十分に冷え切っていた。
「まず、先に与えるの。話をしたければ、聴くが先」
天使は私の肩に手をやる。その温もりに心がじんわりとしてくる。
「でも、何から話したらいいのかわからないし…。どう、子どもの話を切り出したらいいか…」
天使は元の椅子に腰を下ろすと、呆れた顔で私をのぞき込んだ。
「まあ~、ママったら、あんた、本当に人の話を聞かない人ね。だから、子どもの話をしたいのは、あんたでしょ?旦那さんがしたい話じゃないでしょ?旦那さんがしたい話をするの!わかる?自分が聞きたい話じゃなくて、相手が話したい話をするの!」
一気にまくし立てると、「ゲプ~~っ」と大きな音を立ててゲップをした。その濃厚なゲップを全身に浴びて、私は全身身震いした。
「でも、旦那が何を話したいかなんて、わかんないし」
「だからさ~、そもそもそういう女となんて、男は話なんかしたくないものよ。あんたみたいに、不幸が女の皮を被って生きてるみたいなタイプと話していて楽しい?」
「キ~~~~っ!何よ、あんた!不幸が女の皮を被って生きてるって何よ!」
もう、このバカ天使はいい雰囲気になった途端、腹の立つことを言う。どういう親に育てられたら、こうなるのよ。
「じゃあ、逆に聞くけどね、ママ。あんた、全身から不幸のオーラをばんばん出してる男の人と会話する自信、ある?」
「えっ…?」
「今にも死にそうな深刻そうな表情を浮かべたサラリーマンと話がしたい?」
「いや…、それは嫌だけど…」
「でしょ?」
「うん…」
「旦那さんが家に帰ってきたとき、ママはいつもどうしてる?」
私は黙って振り返る。確かにそうだ。いつも、深刻そうな表情を浮かべ、帰りを待ち受けていたっけ。話を聞いてもらいたくて、遅い食事を口に運ぶ旦那に、翔也や柚月のことをぶつけていたなぁ。「あなたはいいわよ、仕事ばかりで」なんて言って、何度も口論になったのを思い出した。わかってくれない旦那を何度恨んだことだろう。
「ママ。旦那さんが帰りたくない家庭をつくってるのはさ、実はママなんだよ。もちろん、ママだけの責任じゃない。旦那もママも、それから翔也や柚月も。みんなでこの家庭をつくってるの」
私は黙ってうなづいた。
「子どもは生まれてくる家庭は選べないかもしれない。でも、今ある家庭は二人で育てるものでしょう?」
それを聞いて頬を一筋、涙がつたう。私、温かい家庭に憧れてたんだった。
「ママ。あんたにできることは何?」
私の脳裏に浮かんできたのは、家族で鍋を囲む姿だった。私がまだ幼い頃に夫を亡くし、女手一つで二人の子どもたちを育てた母。家族でゆっくり食卓を囲んだ記憶など、ほとんどなかった。だから、私には家族で鍋を囲むという極々当たり前の光景が特別なのだ。
「旦那と鍋を突きたい…」
それを聞くと天使は大きくうなづいて、
「いいじゃない、それ。旦那の帰りを待って、お鍋を突きなさいよ。もう、どんどん突きなさいよ」
と言うと、ティッシュケースごと私に手渡した。私はそれで涙を拭う。
「ママ。大切にしたいことを大切にして生きる。それが幸せに生きるヒケツだよ」
その晩、翔也と柚月の食事とは別に、旦那のためにお鍋を用意しておいた。子どもたちは、いつもと違う私を訝しく思ったようだけれど、気にはしない。
奮発して蟹を買ってしまった。もちろん、スーパーの特売だけど。
イジワルな天使の教え3
『この世界は鏡。大切にすれば大切にされる』
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