市街化調整区域

せとかぜ染鞠

第1話

 西暦2100年対外的に日本は法治国家としての体面を保ちながら,内実は金権体制のもとに統治される集落の群雄割拠する無法地帯と化していた。税の払えぬ者は,有無を言わせず肉体労働に従事させる。人々は金儲けに躍起になり,裏切りが横行し,金と金との繫がりが人間関係を完全に支配していた。

 僕は「土地屋」だ。不動産業のようなちゃんとしたものではない。ただ土地を預かり,少しでも高く売ってマージンをもらう――それだけの話だ。要領の悪い性格 のせいで何度か失敗し,破産して集落内の建設工事に送られた経験をもつ。所謂肉体労働だ。肉体労働が度重なれば,集落外へと送られる。外へと送られ,帰ってきた者はいない。臓器売買に供されたという噂だ。

 今月も不況で,税金が払えそうにない。焦っていた。

「土地屋さん!――」つい先日,土地を斡旋した米亀千よねきち爺さんが店舗に飛びこんでくる。取り引き相手の徳丸とくまる不動産が契約違反の賠償金を請求してきたという。1千万円だ。土地を引き取ったとしても高々2百万程度で,差し引き8百万は払ってくれと主張するらしい。何故,そんなことに……あの2千坪もある土地が2百万ぽっきりであるはずがない。

「す,済まねぇ……」爺さんが項垂れる。「決まりごとなんて今はあってねぇようなもんじゃから構わねぇと思って黙ってたのさ……あの土地,市街化調整区域の農地なんじゃ。それを咎められて……」

 市街化調整区域――諸々の法律や取り決めが反故にされる現在の日本にあって未だ頑固に土地所有者を悩ませ続ける土地区域だ。市街化調整区域は,都市計画の整備等に関する法律によって市街化を抑制すべき区域として開発行為が禁じられる。 買い手は殆どつかない。仮に商談がもちあがっても,その過程では違法行為がない という農業委員会の承諾を必要とする。爺さんは農業委員会の長だった。

「土地屋さん――あんたはまだ若い。肉体労働に行っても平気じゃろ? わしはもう90歳じゃ,行ったらそのまま御陀仏よ。頼む!――電気会社の盆暗の身がわりになってやったじゃねぇかい!」

「あれは2度目の労働だったから! 僕は4回行ってる! 5回も経験した奴はいない! 次は集落外へ送られるよ!」

「施設長のときも,神父ときも身がわりになってやったくせに!」

「肉体労働の回数に余裕があったからさ!」そう突っ撥ねた瞬間,ひらめいた――そうか! 爺さんに後で連絡すると言って店舗を飛びだした。電気会社の社長を訪ね,相談を持ちかけた。社長は僕に借りがあるから素直に申し出を承諾した。

 徳丸不動産との交渉がはじまった。賠償金を払うので土地を返すよう提示したところ,もともと徳丸側は濡れ手で粟の大儲けだから,渋い表情をして恩着せがましい言葉を連ねたものの,結局はこちらの要求をのんだ。電気会社の社長に徳丸へ振り込みをさせ,土地の権利は社長へ渡った。社長はソーラーパネルを設置する土地を探していた。市街化調整区域の土地でも公益上必要な建築物を建てることは可能であり,太陽光発電の設備もそれに入るのだ。

 その後,鶴百つるもも婆ちゃんの土地に徳丸不動産の触手がのびているとの情報を得た。婆ちゃんの土地は市街化調整区域の農地だ。婆ちゃんは土地のことなんてまるで分からない。農業委員会という言葉の一片も話題にのぼらないとか。あいつら,意図的に高齢者を騙し,土地と金とを略奪している!

 婆ちゃんに一旦は騙されてやれと入れ知恵した。案の定奴らは米亀千爺さんのときと同じ手法で来た。

 徳丸不動産に乗りこんだ。不正を追及した。奴らは土地の権利を放棄し,既に婆ちゃんに支払ってある6百万円を示談金にすると約束した。

 事の次第を報告すると,婆ちゃんは言う。「お金が貰えたのはそりゃ嬉しいよ。でも田んぼの世話をまたしなきゃなんないんだねぇ」

 高齢者にとって田畑の管理は厳しい。さっさと売るなり貸すなりして楽になりた いというのが大方の本音だが,市街化調整区域の条件が障害となっている。貸しのある介護福祉施設の理事長を訪ね,新しい施設の建設候補地として婆ちゃんの土地を紹介した。市街化調整区域に例外的に建設してよい公益上の建物として社会福祉 施設も該当するからだ。

 鶴百婆ちゃんと緑茶を啜っていると,籠目かごめバアバが顔を覗かせた。土地売買の話を開口一番もちだす。相手の会社を問えば,今真きんしん不動産だった。幼馴染みの今日生きょうせい と真茂里まもりの経営する会社だ。

 調べてみると,今真不動産が市街化調整区域の農地を手広く買収していることが分かった。しかも法外な値段でだ。農業委員会の介入は全くないらしい。明らかな違法行為だ。

 徳丸のときと同じようにやってやれと思った。それで籠目バアバによく言い聞かせた。市街化調整区域の農地だから売れないと告げてから相手が依然欲しがるようなら値をつりあげろと。

 籠目バアバは首尾よくやった。今真から示談金をふんだくった後,バアバの土地については市街化調整区域を活用できる霊園の予定地にする手筈を整えていた。貸 しのある神父とも話はついていたのだ。

 今真不動産で声高に不正を暴きたてた。すぐに示談金の話が出るだろう――出るはずだった。

「いっつも,おまえはそうなんだよな……」今日生は悲しげに目尻に皺を集めた。「いっつも,おまえは,どんでん返しで負けちまう」

 25年前の勝負について語っているのだ。僕たちは真茂里を奪いあい,知と体と運とを賭けて戦った。知と体とでは圧倒的に僕が優位に立った。最後の運で負けたとしても勝敗は2対1で本来なら僕の勝ちであったはずなのに敗北を喫した。

 互いに相手にさせたいことを3枚の紙に書き,どれか1枚を選択させる。選んだ紙に書かれていることを相手ができなければ勝ち,できれば負けという勝負だった。

 僕は「足をなめる」「土下座する」「黄泉の谷に落ちる」と書いた。どれも今日生には絶対にできない芸当だった。彼は「足をなめる」の紙を選んで自分の足をなめた。「誰の足か書いてない」そうにやりと笑いながら。

 僕の選んだ紙には「2千万で真茂里を売る。不可能ならば勝負は負けで3千万支払う」と書いてあった。言い争いになった。両方できなくとも運の賭けで負けたに過ぎない――勝負を総合すれば自分の勝ちだと主張した。しかし今日生は認めなかった。そんな折に真茂里が駆けこんできて紙の内容を見た。彼女は僕だけを平手打ちして去った。僕は勝負に負けて金も払えず,1度目の肉体労働へと送られたのだ。

「どんでん返しで負ける奴は一生這いあがれねぇ。運の神さまに見放されちまって るのさ」今日生は壁にリモコンをむけた。鮮明な映像が浮かびあがり,時の首相が何か捲したてていた。赤いテロップが躍る――「都市計画法改正! 市街化調整区域開発化解禁!」

「さっき決まったんだよ。てことで,こっちに非はねぇ。だが,おまえの行為は恐喝に値する。そっちこそ示談金払えよ――3千万円,安いだろう? 昔の誼でサー ビスしてやる」

 殴ってしまった。

「あらららぁ,傷害罪も加わっちゃったよ――おまえ,正直なとこ一文無しだろ。だったら肉体労働に行かなきゃなんねぇ――そうか,4回も行ってるんだっけな。 てことは臓器売買か。俺,集落の評議員してるだろ。早速これから話するわ――」立ちあがって部屋を出ていこうとする。その肩をつかんだ。「何だよ,どうしたっ ていうのかな?」彼特有の嘲笑を見せる。「土下座しろ――俺の靴をなめてきれいにしろ――早く!」

 つかんだ肩を突き飛ばした。「誰がおまえなんか――」

「金はねぇけどプライドはある――嫌いじゃないねぇ。いいだろう。チャンスをくれてやる。生き延びられたら何処へでも行け――だが集落には戻ってくんなよ。俺にかみついたんだ,示しがつかねぇ。おまえのことは臓器売買に出したって言って おくさ」

 集落の果てにある黄泉の谷へむかった。眼下に黄色い泥水がうねりながら流れていく。今日生が何処からか飛来した蛾をつかまえて泥水に投げこむなりジュっと白 い蒸気が立ちのぼり,虫の体は瞬く間に溶けた。対岸は10メートル先だ。

「火傷しようが,体の一部がなくなろうが,生きたいよな」

 踏ん切りがつかない。喉の壁と壁とが接着しそうになるくらい渇きを覚えた。

「早く行けよ――」今日生の声にびくりとして立ち位置を移動した。

「むやみに動くな!」僕より大きくびくりと痙攣して今日生に体を引き戻された。「証拠の映像を撮ってるんだ。それに映ってないと困る。評議員らが揉めたときに 見せなきゃなんねぇんだから」今日生が額の汗を拭った。「昔,映画を見た後に,ここによく来たな」ここに来るのは,決まって学校でむかついた出来事があった後だ。「おまえ,今でもアニメが好きなのか――俺も好みはかわってねぇよ。相かわらずアドベンチャー映画をよく観てる」

 何で今,映画の話なんか――腹だたしさを感じたとき,背中を押された!

「馬鹿! 人殺し!」叫びながら前のめりになって片足で何かをとらえた。体のバランスを保ちつつ,もう片方の足もそれに乗せる。薄暗闇と錯覚を利用した,泥水に紛れる小舟に乗っていた。小舟のへりにしがみつき,今日生を振り返る。泣いていた。鼻水を啜っている。馬鹿――あいつ――

 大学で教鞭をとる考古学者が壮大な冒険劇を繰り広げる洋物映画を気にいっていた。シリーズ化された映画の一つで,主人公が「信じる者は救われる」と念じながら足を踏みだすと,そこには橋が隠されているという設定にえらく感動していたっけ……

「ありがとう。さようなら」心のなかで呟いた。

 舟は対岸につかず,細長い洞窟を抜けて隣町にある薬品工場の排水施設内に漂着した。おりるやいなや舟は崩れて泥土と化して一瞬のうちに水に流れ去った。

 工場を出た。もうここは別集落のテリトリーだ。ぼんやりしていて何かあっても泣き寝いりだ。既に少年たちが険悪な視線を寄越してきていた。       (終)

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