その白い声を聴かせて

吉澤文彦

プロローグ 医学部受験編

第1話 十五の出逢い

 春乃(はるの)はいつも隠れた声を探している。隠した声を探している。

 四月がきている。北海道の帯広、広大な十勝平野の中核都市で春乃は生きている。まだ雪が残る農作地帯や、星空がはっきりと見える広い空があるのが四月の十勝だ。

 そして、まだ肌を刺すような冬の寒さも残っている。

 三十一歳の医師というのが春乃の身分だ。まだ独身で彼氏を絶賛募集中。愛車の高級車でドライブをするのが今の唯一の楽しみである。

「ジリリリリー」

 朝四時に春乃の目覚まし時計は鳴る。

 広い一軒家に春乃は一人で住んでいる。春乃は昔からアパートやマンションがどうも落ち着かない。帯広は家賃が安いので、とりあえずシャワーだけはしっかりついている安い一軒家を借りた。寒くはないが、エアコンのない家なのが欠点だ。冬はいいが、夏の暑い日は地獄だ。そんなに長くはないが、最近の十勝の夏は三十度を軽く超えてしまう。

 春乃は女だが、女性アイドルがなにより好きだ。広い部屋に好きな女性アイドルのポスターをいくつも貼りまくっている。朝はそれを見てにやけながら、食事をし、歯を磨く。

 朝一度、春乃はジャージで散歩をする。まだ暗い夜道だが、春乃は静かで、空気が清涼な朝の散歩が好きだ。

 帯広の前は苫小牧の医師だった。帯広に来てもう一年が過ぎている。春乃は帯広の高く広い空と、少し走ればストレスのないドライブができるところ、農作地帯をすぐ見に行ける環境の良さを気に入っている。きれいに整地された農作地は絶景だ。

「好きだよ、好きだね、好きだから、ジャンプ!」

 散歩をしながら春乃がスマホで聞くのは、女性アイドルグループ、シャイニングの歌ばかりだ。シャイニングはまだ普通の人は知らない地下アイドルだ。国民的アイドルグループももちろん好きな春乃だが、最近はそのグループにはまっている。

 子供の頃の保育園の、お遊戯会でのダンスを春乃は鮮明に覚えている。踊る自分に親達のひどく興奮していたのも。中学の体育祭でのダンスパフォーマンスが、春乃のアイドルへの情熱を決定的にした。

 自分の夢はアイドルだと。


 しかし春乃は何度アイドルオーディションに応募をしても受からなかった。

「顔かなぁ、身長かなぁ。特技がないからかな?」

 春乃は悩んだが、中学時代のオーディションは全滅した。

 高校に入学した春乃は、人づてに中学の同級生が、いつの間にか東京でアイドルになったのを聞いた。それも国民的アイドルグループにだった。

「ねぇ、私って、ブス?」

 春乃は高校の同級生の風菜(ふうな)に恐る恐る聞いた。

「ブスじゃないよ。でもなんとなくアイドルには向いてない感じ」

 風菜にはっきり言われた、春乃は絶望がこの世にあるのをその時知った。風菜と一緒にいたハンバーガーショップで春乃は意識が遠のきそうになり、目は空目になった。

「そんな事より、勉強はしないの? 春乃は?」

「お勉強…、お勉強は毎日学校でしているよ」

 高校までを札幌で過ごした春乃は、札幌で上から二番手グループぐらいの進学校に通った。あまり勉強熱心でないのに、その高校に入れたのは地頭が優秀な証拠だ。

「家では?」

「家はアイドルの動画を見るところです」

 空目になりながら、椅子にだらんと腰かけ、春乃は手をぶらぶらさせていた。

「そんなんだから、この前の期末テスト、数学が赤点ギリギリだったじゃない」

「ちゃんと勉強していたのになぁ。授業でやった事も、学校で配られた問題集もちゃんと覚えたのに。なぜか見た事のない問題ばかりだった。なんでだろう」

 赤点をとらなかったから春乃は安心したが、疑問は残っていた。

「あのテスト、ほとんど北帝大の受験問題だよ。先生、それを出すから、ちゃんと調べて勉強しなさいって言っていたじゃない」

 北帝大とは北海道帝王大学の事だ。

「そうなの? でもさ、たかが高校の定期テストでそんな難しい問題、出していいの?」

「うちは進学校じゃない! 札幌の二番手グループだけど」

 春乃はなんだかめんどくさい高校に入学したなと思った。

「春乃ってさ、頭いいのに。朱雀高校を受けようと思わなかったの?」

 朱雀高校は札幌で最難関の高校だった。

「あそこは私服で、制服がないから嫌だったの。アイドルが制服を着ない高校なんて、受けていいわけないじゃない」

「馬鹿なの? 天才なの? どっち?」

 風菜は心底、春乃に呆れた。


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