第11話 騎士団長は酒に弱い

 

「おら!次行くぞ!二軒目だ」

「団長、明日も仕事あるんですからもう帰りましょうよ」

「なーにー?俺の酒が飲めねぇって言うのか!?」


 ガルベルト王国の王都。その城下町で騒がしい一組の男達がいた。

 片方はまだ成人したばかりの幼さが抜け切れていない青年。

 そんな青年を逃すまいと肩に手を回しているのは体躯の良い中年の男。赤茶の髪色と同じように顔を赤くしていて、口からは酒の匂いがする。


「マリウス団長、お酒弱いのにがぶ飲みするからいつも泥酔するじゃないすか!」


 マリウス・シルファー。

 それが青年をしつこく二軒目に連れて行こうとする上司の名前であり、この国を守護する騎士団のトップでもあった。


 まだ新人である青年に上司の世話を任せて先輩の騎士達はさっさと帰宅した。

 青年は流石に誰か一人くらい団長を送り届けないとダメだろうと思ったが、その時点でまだ騎士団に慣れていないのが伺える。

 慣れた先輩達ならば即座にこの団長を見捨てて帰っている。


「今日はとことん飲むって決めてんだよ!」

「何があったんすか……」


 一向に自分を解放してくれない上司に呆れつつ、青年とマリウスは二軒目ののれんを潜る。

 とても騎士団の団長行きつけの店とは思えない、どこにでもある大衆酒場のような場所だが、中に入ると店主が空いているカウンター席を指差す。

「またか……」と言いたげな店主に「またです」と軽く頭を下げてマリウスを席に着かせる。


「ディルの奴がとうとう既婚者になりやがった!」


 マリウスが気安くディルと呼んでいるのはこの国の貴族で最強と呼ばれている将軍であった。

 強く正しく、気高い。

 公爵家の当主でもあるディル・マックイーンを奴と呼べるのはごく少数だ。

 そんなディル将軍は隣国から嫁いできた娘と結婚したのである。

 結婚までに国を跨ぐ色々な裏事情があったが、青年はそれを知らない。

 せいぜい上司の友達であるお偉いさんが結婚したんだなぁ〜くらいの事である。


「ちくしょう!俺と独身同盟を組んでたのに裏切り者め!!」

「ご愁傷様っす」


 何となく事情を察した青年。

 これは長い夜になりそうだと覚悟を決めた。


「しかも年下の美人妻だぞ。……中身はおっかねぇけど。でも羨ましい!」

「将軍様っていくつでしたっけ?」

「俺と同い年だ。ディルは騎士育成学校の同級生でな。よく競い合って戦ったもんだ」


 口から出てくるのは中年おやじの若い頃の自慢話。

 青年は適当に聞き流しながら相槌をうちつつ酒の入ったグラスに口をつける。

 マリウスの方のグラスはかなり薄くした酒が入っていて、店主との付き合いの長さが伺えた。


「〜でさ。俺は騎士団長、あいつは将軍になってこのガルベルトを守ろうって誓いあったんだよ」

「そっすか」

「なのにあいつはさっさと結婚しやがって!俺はどうすりゃあいいんだ」


 あんたも結婚すればいいんじゃないすか?とは青年は言えなかった。

 この騎士団長に女の噂が無いのは騎士団員の共通認識だからだ。

 そんな人を相手に自分は彼女の人肌恋しいから帰って

 いいすか?とは言えない。言ったら明日から何されるか分かったもんじゃない。


「騎士団長なんてやってるから仕事が忙しくて女が出来ないんだよな。引退するか俺」

「ちょっ、待ってくださいよ団長!それは軽率ですって。あんた以外に団長は務まらないですって!」


 ポロっと口から出た意見に慌てる青年。

 必死の形相でマリウスを宥める。


「だってなぁ、騎士団長なんて役職はかっこいいが内容はアレのお守りだぞ?護衛なんていらんだろ」

「それはそうっすけど……」


 アレと二人が認識しているのは玉座にいる隻腕の怪物おうさま

 王子であるジークが生まれる前は戦場で誰よりも大暴れしていた英傑であり、ガルベルトを象徴する人物だ。

 飽きたからという理由で執務を放置して逃げ出そうと暴れる国王に沈められた騎士達は数知らず。

 なんやかんやで国が機能しているのはマリウスがストッパーとして働いているからである。


(団長抜きじゃ止まらないっての)


 今でこそ片腕になり、年老いたせいで前線から退いているが、青年にはあの国王に勝てるイメージが湧かない。

 自らが仕える主人に殴りかかる日が来るとは幼さい頃の自分は考えていなかった。

 青年が自分の仕事内容について疑問を抱えている間にマリウスはグラスの中身を飲み干す。

 おかわりを店主に要求しつつ、そろそろヤニが切れたと思って懐からタバコを取り出す。

 高めの嗜好品ではあるが、もらう給金はたんまりある。今日の飲み会でも懐が痛まないくらいには騎士団長の役職手当は厚いのだ。

 タバコを吸って荒れ気味の精神をリラックスさせるために火をつけようとした時、隣の席から声が飛んで来た。


「やだねぇ。吸うなら外でやりな。服に匂いが染みついちまうよ」

「げっ……」


 声の主を見て、マリウスは口に加えていたタバコをポロリと落とした。


「アンジェリカ。テメェ、なんでここにいる」


 急に上司の機嫌が悪くなったのを察知した青年は二つ隣に座る人物に目をやる。

 アンジェリカと呼ばれた女性も露骨に顔をしかめた。


「はっ。それはこっちのセリフだよマリウス」


 濃い赤色の髪、赤紫の珍しい瞳に真っ赤な口紅。

 まるでどこかの公爵令嬢のような容姿に胸元が大きく開いたワインレッドのバトルドレスを身に纏う妙齢の女性。

 歪んだ口からは鋭い獣のような歯が顔を覗かせていた。


「アンジェリカって、あの闘剣士アンジェリカ!?」


 青年は見覚えのある姿に思わず大きな声を出して立ち上がってしまう。


「なんだい。坊やはアタシの事知ってるのかい?」

「知ってるも何も闘技場の十二人しかいないトップリーグの選手なんて超有名人ですよ!」


 興奮のあまり手を出して握手をせがんでしまう。

 純粋な憧れからの好意というのは相手の気を悪くはさせないもので、アンジェリカは青年騎士の手を握り返してやる。

 最も、その表情は次の一言で崩れ落ちるのだが。


「ガキの頃からファンでした!」

「ぐふっ……」


 アンジェリカは闘技場でもベテランの選手だった。

 そして青年はつい最近までは学生だったのだ。時期的にはおかしくない。

 だが、事実というのは残酷でアンジェリカは深く傷ついた。


「がはははっ!傑作だなぁ。長年活動してるだけあるなアンジェリカ!」

「その減らず口を縫い合わせてあげようか糞マリウス?」


 腹を抱えて大笑いするマリウスに対して怒りから殺意を向けるアンジェリカ。

 その雰囲気を感じ取ったのか周りから客が離れていき、店主は頭を悩ませた。


「お前さんら、ガキじゃねぇんだから殺気をしまってくれよ。商売にならねぇ」


 サービスだと言って上等な酒を出されたので、とりあえず二人はグラスに口をつける。

 青年は未だに握手した手の感触に酔いしれていた。


「なんでテメェがここに居るんだよ」

「アタシは勝利後にはここで酒を飲むって決めているんだよ。むしろアンタの方が後から来たのさ」

「俺はただ二軒目を馴染みの店にしようとしただけだ。悪くねぇ」


 お互いの顔を睨んで火花を散らす二人。


「学生時代からディル将軍と三人でつるんでたんだ。店が被るのは当たり前だろうよ。営業妨害するなら出禁にしてやろうか?」


 若い頃からこの二人を知る店主にそう言われてしまうと、喧嘩腰だった二人は大人しくグラスを傾けるのだった。


「つーかテメェ、勝利後に飲むって言ってたな。今日の対戦相手は格上だっただろ」

「知らないのかい?第三位のアホが急に予定が入ったとか言って対戦相手が変更になったんだよ。おかげで客席からブーイングだし、勝っても賞金がイマイチだったのさ」


 ガルベルト最高位リーグの三位とはいえ、そんな事をすれば出場停止処分や罰金も有り得るのにとマリウスは気になった。

 トップから十二人はそれぞれ順位が与えられる。アンジェリカは現在六位。ここ数年は順位が前後している。

 若かりし頃ならば最高で二位にまで登り詰めたのだが、次から次へと若手がやって来て抜かれてしまった。

 それでも女性でありながら歴戦の猛者達と渡り合えているのは彼女自身が化け物じみた強さを持つからだ。


「前から思っていたんすけど、アンジェリカさんってシャイナ様に似てますよね」


 容姿もさることながら、武器も刺突剣で同じなのである。


「似てるもなにも、この女はシャイナ嬢ちゃんの師匠で叔母だぞ」

「出家してはいるがな」


 えええぇ!!と驚く青年。

 しかし、今までに何度も見てきた反応なので店主を含めた三人の表情に変化は無い。


「大体、気づかねぇか?あのガチムチのレッドクリムゾンのおっさんが刺突剣なんて細くて軽い武器を使うわけ無いだろ。一子相伝の流派はアンジェリカからシャイナ嬢ちゃんに継承されているんだよ」


 マリウスはさも当然のように経緯を話すが、この事実を知る者は少ない。

 何故ならアンジェリカは、闘技場ではただのアンジェリカとしか呼ばれない。

 誰も彼女をアンジェリカ・レッドクリムゾンとは呼ばないし、彼女も名乗らない。


「もう十数年前になるかねぇ……」


 幼い頃から暴れまわっていた三人について、店主は過去を懐かしむかのように口を開いた。


 それはガルベルト王国の輝かしい栄光と、その裏に隠されている小さな悲劇の物語。


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