43.魔神

 アーティアはナルシリスの侍女を知っていた。

 まだリリアーシアだった頃、只の少女だった筈だ。

 ナルシリスがリリアーシアの親友だった頃、ナルシリスの背後に控えるその侍女は穏やかな笑顔を絶やさない人物だった。

 今、歪な笑みを浮かべている侍女は同じ顔、姿であっても同じ人物には見えない。

 否、そもそも人には見えない。


『魔神の依代にされちゃってるね。かわいそーに』


 アーティアの意識に直接カロンの言葉が響く。

 

『元に戻す方法はあるかしら』


『たぶん無理。体を奪うために魂を食った筈だし。それに他にも体との繋がりを維持するのに生贄となったの魂をたくさん食べてると思う』


 その魔神への贄はディアス公爵家のメイド達であるとアーティアは直ぐに思い至った。

 依頼主の男爵の娘さんもその内の1人なのだろう。

 

「アーティアや」


 魔神に気を取られてジジがいつの間にかやって来たのに気付かなかった。

 見ればジジは両脇に王太子とナルシリスを抱えていた。


「これらを頼むぞい。心配せずとも儂が解くまでは目覚めないからの」


 そう言って、脇に抱えた2人を床に置いた。

 

「はい。ジジ様は」


「儂はジャン殿を手伝うとするかの。ちと厄介な事になっているでのう」


 そういってジャンの方に歩いていく。

 アーティアは魔神と対峙するジャンを見る。

 ジャンとジジが力を合わせればきっと大丈夫と今は信じるしか無い。


 「私の近くに集まって下さい」


 彼らを信じ、アーティアに渾身の力で光属性魔法結界の魔法を使った。

 アーティアを中心に半径3m程の半球状の結界が貼られる。

 第二王子とミンティリスもその結界の中だ。

 勿論、ジジに託された王太子とナルシリスも居る。



 ジャンは一族に伝わる力を開放した。

 それは魔を滅する力。

 その力を剣に流し込んでいく。

 剣は徐々に黒く染まっていく。

 この”黒の力”は魔の力を吸い、魔の源である魔界に還すと言われる退魔の力。

 魔は決して無くなりはしない。

 光と闇、聖と魔は無二の物だから。

 無二とは2つでは無く2つで1つを表す。

 魔を滅すればその分、聖も失われる。

 故に魔は滅するのではなく還すのだ。

 そうすることで魔に喰われた魂も原初に還っていく。


 

「アークサンド皇族の力か、忌々しい。再び我を封じに来たか」


「その通り。おとなしく封じられて貰おうか」


 嘗てアークサンド皇族の力で封じられた魔神アンバブブ。

 その魔の力は強大で全てを還す事が出来なかった。

 それ故にその力をこの地に縫い付け封じた。

 そして祠を建立したのだが、その時アンバブブも只封印された訳ではなかった。 自身のネックレスに力の一部を託し封印から逃れる様に予め保険を掛けていたのだ。

 そのネックレスはより強い負の欲望の持つ者の前に姿を表す。

 だからその事にジャンの祖先は気付かなかった。

 

 そして月日が流れ、ストロンシア王国内でもそれらの記憶も記録も失われ、この地に学院が建った。

 その時は魔神を封じた祠が破壊されることはなかったが、人が集う場所になってしまった。

 そしてついに魔神の眼鏡に叶う人物が現れたのだ。

 それがディアス公爵令嬢ナルシリスだった。

 公爵令嬢リリアーシアへの強い憎悪と果無き権力への執着を持ち、自らの野望を達成する為なら平気で他人を貶めることができる残忍さを持つ彼女は魔神にとって格好の餌だった。

 ペンダントはナルシリスの前に姿を現し、その煌めきに惹かれてナルシリスはペンダントを拾った。

 ナルシリスは疑り深い。魔神の呼びかけをはすぐには信じなかった。

 

 そこで魔神はデモンストレーションとしてリリーアーシアへ呪いをかける提案をした。

 ペンダントに力の一部を移しただけの状態ではそれが精一杯だった。

 因みに呪いを掛けたのはナルシリスがリリーアーシアの元に駆けつけた時で無い、魔神の力でリリアーシアの魔法を暴発させた時だ。

 あの時ナルシリスは呪いの効果を確認しただけだったのだ。


 こうして魔神の力を信じたナルシリスは魔神への贄を差し出し、契約を結んだのだ。

 その贄が長年仕えてくれた侍女だった。

 魔神は侍女の魂を喰らい、体を得ることに成功した。

 こうなっては自身を封じれた祠を壊すことなど簡単だ。

 ジャン達が必死に探しても見つられなかったのは、既に祠は跡形もなく破壊されてしまったからだった。 


 

 魔神に対し挑発的な発言を返すジャンだったが、完全復活している魔神に対しどこまで太刀打ちできるかと内心は戦々恐々だ。

 賢者であるジジが手を貸してくれるが、広範囲の結界を張り、しかもここ場にいる大勢の者に眠りの魔法を掛けている状態。

 その上戦闘までこなせるのか?


 勝てないかもしれない。

 そんな考えがよぎる。

 しかし、この場にはアーティアがいる。

 彼女だけはなんとしてでも守りたい。

 いや、守らねばならない。

 ジャンは決して折れないと決意した。


「この結界、同族か」


 魔神はジャンを無視し、ジャンの隣に立ったジジに目を向ける。


「お主のようなのに同族扱いされたくないのう。儂は見た目ではなくキレイな乙女の魂のあんなやこんな姿を覗いていたいだけなんじゃよ」


 このセリフ残念ながら魔神にしか聞こえていない。

 極めて指向性を持った音波で語られているのだ。

 だから背後にいるアーティア達どころか隣に立つジャンにも聞こえていない。


「俗物的な」


 魔神の呟きは、その直前ジャンが飛び出したのに気を取られて聞き取った者はいない。

 ジャンの振り上げる一閃を魔神は後方に跳ねて躱す。

 距離を取った魔神が歪な笑みを深めた。

 すると先程王太子が握っていた剣、今は床に転がっているその剣が魔神の手に瞬間移動した。


「先にそこの女を殺そうと思ったが、体は兎も角その魂は契約者の獲物か。女を残して全員殺した方がいい魂の叫びをあげてくれそうだな」



 楽しそうに語る魔神に対し、ジャンは平常心を保つので必死だった。

 まるでジャンがこの人だけは守りたいと思ったのを読まれたかのようなセリフだ。

 怒りに任せては退魔の力は発揮できない。

 それを知っていてジャンを揺さぶっている様だった。



「させるか」


 ジャンは再び魔神に向けて駆ける。


「遊んでやる」


 魔神も剣構えずぶら下げた状態で楽しそうに、嘲笑うように嗤う。

 魔神の懐に飛び込んだジャンは退魔の剣を上段から振り下ろしす。

 しかしその攻撃は易々と受け止められた。

 剣ではない。

 魔神の左手でだった。

 退魔の剣を掴む魔神の左手に退魔の力が流れ青い炎が一瞬上がるが直ぐに消えた。

 退魔の力が魔を焼いたが直ぐに強大な魔の力で押し返されたのだ。

 剣を握られ一瞬で動きを封じられたジャンに向かって魔神は右手に持つ剣をゆっくりと振り上げる。

 まるで今から斬るぞと宣言するように。

 そのゆっくりな動作は誂うようでもあり、脅している様でもあった。

 もちろん剣を手放せば魔神の斬撃から逃れることは容易だ。

 しかしそれでは武器を失い、攻撃する手段を失ってしまう。

 剣に力を込め魔神の拘束を解こうとするが剣はピクリとも動かない。

 退魔の力を流し続けているが魔神の手から煙が上がるだけで発火するに至らなない。

 

 魔神の剣を持つ手の振り上げる動きが止まる。

 そして今正に剣が振り落とされようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る