25.笑顔の令嬢

「この家ともお別れだね」


 カロンの言葉に寂しげな印象は受けなかった。

 むしろ、清々しくアーティアには聞こえた。

 

「長かったのう」


 ジジの言葉には実感がこもっていた。

 2人はどれくらい此処に住んでいたのだろうかと、疑問に思う程の感慨深さがジジの言葉にはあった。


 おもむろにジジが手を上げると、目の前にあった屋敷が霞がかって、そして消えていった。

 今、アーティアの目の前には何事も無かったかのように森が広がっている。


「凄い」


 これはもはや魔術というよりも、お伽噺や物語にでてくる魔法だ。

 かぼちゃを馬車にする類のワザである。

 アーティアは空いた口を手で隠していたし、ジャンは目を見開き驚いていた。


「じゃ、早速出発しようよ」


 期待に目を輝かせたカロンに急かされ、一同は領都にむけ出発したのだった。

 帝国潜入依頼の開始である。



◇◆◇



<そういえば、私はこの都の事を何も知らないわ。いつも通り過ぎるだけだった>


 領都についたアーティアは、ジジやカロンと必要な物資や食料の買い出しをしながら自分の世界の狭さに恥入っていた。

 アーティアがリリアーシアだった時の世界は、公爵家や王宮、学院がほとんどの世界だった。

 庶民が一生の内に只の一度も入れないような場所に入れたり招かれたりする身分だったし、日々の暮らしに追われる庶民よりも行動範囲は当然広い。

 持っている知識、教養だって豊富だ。

 でも、そういう事ではなかった。

 今、アーティアとして見る人々の顔は活き活きとしている。

 今まで自分の生活を支えてきてくれた人々の生活を全く知らなかったと痛感した。

 アーティアは自分の視野の狭さを恥じたのである。


 今日は領都で一泊する予定なので、必要な物が揃い次第、宿に向かう事になっていた。

 必要な物が揃ろい、待ち合わせに決めた市場入り口前に行くと、別行動で宿探しをしていたジャンが既に待っていた。

 ジャンが前回泊まった宿は避け、別の宿で3部屋取れた。

 なんだかんだで日没間近だったので、その日はもう宿に向かうことになった。

 

 その日の夕食時、他の客がしていた雑談がたまたま耳に入り

アーティアは本日、誰かの公開処刑が行われたことを知った。


 実は、領都に着いたアーティア達は、最初中央広場を待ち合わせ場所にするつもりだった。

 しかし人だかりができていたので、市場の入り口前を待ち合わせ場所にしたのだ。

 アーティアはジジに貰ったフード付き外套で顔を隠しているとは言え、あまり人の多い所に居たくなかったのである。


 自分と関わり合いの無いことに首を突っ込みたくないアーティアは、処刑されたのが何処の誰でもどうでいい事なので聞き流した。

 それで広場に人が集まっていたのかと思った程度だった。

 むしろ、アーティアとカロンが買い出しを始めた時、ジジが暫く外した事の方が気になった

 カロンが愛想よく店員さんたちと話していたので困る事はなかったが、ジジの行動は不自然に思えたのだ。


「そう言えば、ジジ様はこの街に何か別用でもありました?」


「ん、まあのう、知った男がおったのでの。挨拶しとったんじゃよ」


「そうですか」


 ジャンは一連の会話から、一瞬自分への刺客かと思ったが流石にそれは無いかと思い直した。

 

 カロンがそんなことよりさー、と切り出し話題を変えてしまいこの話がこのあと蒸し返される事は無かった。

 カロンがこの時少し冷汗をかいていた事をアーティアは知らない。



◇◆◇

 

 話は日中に戻る。

 その日フェリス公爵領の領都の広場は見物人で溢れていた。

 広場の奥に木組みの台が造られ、その台はギロチンが設置されている。

 アーティア達が領都に着いたその日、催されたのは一人の男の公開処刑だった。

 罪状は貴族殺し。

 こともあろうか、元騎士だったその男は、護衛対象だった主君の娘、フェリス公爵令嬢リリアーシアを殺害したのだ。

 

 王家はリリアーシアが殺害された為、新たな王太子の婚約者をディアス侯爵令嬢する旨の発表をしている。

 事実は順番が逆だが、一般大衆にそんな事はわかる筈もない。

 庶民にしてみれは、だれが王太子妃になろうが知った事ではないし、リリアーシアの人となりを知っている訳でもない。

 それはここフェリス侯爵の領民だって同じ事。

 ただし、フェリス公爵の評判はこの地では良かった。

 公爵の領地経営は善政だったのである。

 だから、王太子の婚約者で将来の王太子妃になるはずだった公爵の愛する娘を殺した男は、許されざる極悪人という認識だった。


 幌付きの荷馬車から罪人が引きずられて出てきた。

 男の名はビニートス。

 性は既に無くし、只のビニートスだ。


 ビニートスを知っている者が見たら驚くだろう。

 引きずられているのは、手足の腱が斬られ歩けなくなっているからだった。

 逞しい体付きだった筈の男は痩せこけ、骨と皮の様な有様になっている。

 公爵に最大級の恨みを買った男に与えられた拷問は想像を絶するものだった。

 全身を針で刺され、打たれ、焼かれ、水攻めにされた。

 目の前で親を処刑された。

 皮を剥ぎ、肉を削ぎ、爪をすべて剥がし、すべての指を潰し、しかし、死なない様に回復魔法で治療されながら大事に何度も何度も拷問に掛けられた結果が今の姿だ。

 それらを隠すためか、囚人服は真新しく、手足は包帯に巻かれている。

 ただ、顔だけは傷一つ付けられていなかった。

 それは、本日ここで公開処刑する為であり、処刑されるのが正しくビニートスであるという証明の為だ。

 処刑が済んだ後、王都より派遣された検視官の首改めを受けなければならない。

 だから、誰か判らなくなる様な拷問を顔にする訳にはいかなかったのだった。


 ビニートスはギロチン台に固定され、処刑執行官が罪状を読み上げる。

 

 ビニートスには既にどうでもいいことだった。

 ただ、これでやっと、この地獄から開放される、その思いだけだった。

 ビニートスが目で周囲を伺うと、知った顔も無い。

 何処の誰ともわからない者達に罵声を浴びさせられている様だが、あいにく耳の中は潰されてもう何も聞こえはしない。

 もう直ぐ開放される。

 その時を待つだけだ。


 そう思った時、最前列の真正面に立つ一人の女性に目が止まった。

 フードを目深に被った女性だ。

 先程まで居なかった筈だった。

 まぁどうでもいいかとビニートスが思った時、女性がフードを捲くり顔を顕にした。

 

<リリアーシア!>


 リリアーシアだ。

 湖に突き落とした筈のリリアーシアがそこに居た。

 リリアーシアが笑っている。

 その顔に火傷の跡はなく、以前の様に美しかった。

 昔の自分に向けられていた楽しそうな笑顔。


<生きていたのか! なら、ならば俺は殺してない事になる。俺の罪は無くなる!>


 ビニートスは叫んだ。


 待て、待つんだ! 見ろ!リリアーシアは生きている。生きているぞ。俺の罪なんてないんだ!


 見物人からざわめきが上がったその瞬間、ギロチンの刃が落とされた。

 

 首が焼ける様に熱く、視界が回る。

 頭に何かが当たる衝撃。

 それらが収まった時、斜めに立つリリアーシアと目が合った。

 相変わらず、ニッコリと嬉しそうな美しい笑顔を見せている。


<リリアーシア……貴様……>


 避けられない自分の死を認識したビニートスは、自分の死を笑うリリアーシアに対し、悪態を着こうとした。

 しかし直ぐに思考が出来なくなって、やがて視界が暗くなっていく。

 最後の最後、ビニートスは何かに掴まれた気がした。

 ドロリとした何か。

 魂をなにか悍しいモノに掴まれ引きずり込まれる感覚。


 恐怖


 それがビニートスが最後に感じたものだった。

 そして、これから永劫に与えられるものなのかも知れない。





 首が落ちた後、しばらく見物人は黙って立ち尽くしていた。

 そして、誰かが呟いた。


「あの極悪人、突然、呻いてどうしたんだ?」


 ビニートスは必死の叫びをした。

 あいにくビニートスの喉は裁判の前にもう潰されていた。

 

『う、うう、あ、あーーー、うーーああーー、ぐわあーーーー』

 

 だから実際にこの場にいるものが聞いたのは大声の呻きだった。

 そして、耳障りな呻きを上げたからこそ死刑が即執行され、ほんの数秒命を縮めることになった。


 罪人の濁った目が凝視する先に女性は居ない。

 立っているのは老人だった。

 長いヒゲを蓄えている替わりに頭髪は無く、瓶底眼鏡をしている。

 その老人の隣に立っていた男が老人に話しかけた。


「爺さんを見て呻いた様に見えたが、爺さん知り合いかい」


「さて儂の方は以前お見かけしましたが、悪党の方は儂を知らんと思いますわい。まぁ実際の所はわかりませんがのう」


「ま、もう死んじまったんだ。どうでもいいか」


 役人が首を拾い、首置き台に乗せた。

 これから首改が行われるのだろう。


「では、儂は連れを待たせておるので失礼しますぞ」


「おう、爺さんじゃあな」


 老人は男の死を見届け、広場を跡にした。

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