16.裁判は踊らず、公爵は狂喜する
罪人ビニートスが連れてこられた。
ビニートスは車椅子に座らされていた。
手足と首を車椅子に縛り付けられ、また目隠しともされている。
罪人が王の尊顔を拝するなど、あってはならないと配慮された結果だった。
車椅子を押しているのは先程、大臣の隣に立っていた法務省の役人である。
役人は車椅子の横で跪くと頭を下げる。
「顔を上げよ」
大臣が役人に指示をする。
国王の言葉をビニートスに聞かせる訳にはいかない。
大臣は周囲を見渡し、頷くと厳かに裁判の開廷を告げた。
「それでは本法廷を開廷する。先ずは本件の説明を」
大臣の言葉を受け、法務省の役人が一礼した後、事件の概要と経緯について説明し始めた。
こうしてビニートスの裁判は厳かに開始されたのだった。
結果から言えば、王太子アルドリヒの心配は杞憂に終わった。
裁判は全く踊らず、速やかに結審されたのだ。
録音の魔道具に記録された会話中、ビニートス本人が魔の陥没湖にリリアーシアを突き落とした事を言っている。
また会話の相手である
大臣は一応ビニートスの実際の声を確認しようとしたが、王城の牢内での
であれば、もう一方の声の主であるご令嬢に事情を聞くのが通常だと思うのだが大臣はそれをしなかった。
今回、御前裁判になった事情を正確に読み取り、ご令嬢の存在を伏せておきたい王室側の意図をわかっていた。
大臣はこのご令嬢が誰なのか知っていた。
事前にビニートスの身柄を確保した兵士を呼び出し聞き取り調査をしていた。
だからビニートスがディアス侯爵邸で捕らえられた事を確認していたのだ。
そして、フェリス公爵家にその情報を伝えたくないが故の御前裁判であることを理解していた。
だが、ナルシリスの召喚をしなかったのは王家に忖度した訳ではなかった。
ナルシリスにとって幸運な事に、大臣はビニートス本人に面識があったのである。
ビニートスは元々リリアーシアの護衛騎士だった。
そしてリリアーシアは王太子の婚約者時代に何度が登城していており、大臣もリリアーシアの挨拶を受けていた。
その時リリアーシアの隣後ろに居た護衛騎士が、ビニートスだった。
そしてリリアーシアがその場を去る際、ビニートスに『行きましょう』と話しかけ、ビニートスは『はい、リリアーシア様』と返事をした事をはっきりと覚えている。
大臣は一度見た人物の名前と顔と声を忘れないのが自慢の特技だった。
故に、目の前にいる男がビニートス本人と断言できた。
記録された声の主もビニートス本人と大臣自身が確信を持ったのである。
その正確さは公の事実として認められる程だった。
自他ともに公平、公正であると認められる大臣が、録音の声の主がビニートス本人であると断定した以上、これ以上の根拠はなく、追加の確認作業は必要なかったのだ。
また録音の魔道具の使用についても、貴族は人と会う時に自衛や情報分析の為に良く用いるので、録音されていた事自体に不思議は無かった。
次にリリアーシア嬢は本当に殺害されたのか?だが、魔の陥没湖に落とされたのが事実なら遺体を発見するのは不可能。
フェリス公爵家よりはリリアーシアの病死の届け出がされており、受理もされていた。
であれば法的に既にリリアーシアは死んでいることになる。
録音された内容も自殺を装ったと言っており、不整合も見当たらない。
最後にリリアーシアは貴族籍を外され修道院に入る筈だったのだが、ビニートスにとっては運が悪く、貴族籍から抜く手続きが完了する前に病死の届けが出た為、リリアーシアの貴族籍はそのままだったのである。
フェリス公爵も万が一、手続きが遅延している事を考慮し病死届を出したのだと思われた。
それらの事を大臣は告げた。
そして、大臣は王に方に向き直り一礼する。
「リリアーシア様が貴族のままである以上、貴族殺しは法に則り死罪でございます」
静かに告げられた言葉に王が頷く。
この瞬間ビニートスの死刑が確定した。
「お"お"ああああぁぁぁがああああああ」
死罪の言葉が発せられた時、ビニートスが暴れようとするが手足や首を車椅子に縛り付けられているので車椅子をカタカタ揺らした。
「お"お"ああああ」
何かを必死に伝えようしている。
「本件は閉廷する。罪人を下がらせよ」
大臣の冷たい一言により、ビニートスは部屋より退出させられた。
3人だけとなると大臣が王に話しかけた。
「耳汚しでしたな」
「いや、構わぬよ」
裁判が終わったとばかり、大臣の言葉に王が言葉を返した。
「それで令嬢の方はどうなるのかね」
王が大臣に問う。
「罪人が犯行およんだ動機について、ディアス侯爵家のご令嬢にはお話を聞かせて頂かなければなりませぬ。しかし本日はあの男の裁判ですから明日に致しましょう」
法務大臣は臆面もなく、王が敢えて誰とも告げなかった令嬢の名前を出した。
「ふむ、そうか。二人とも今日はご苦労だった」
王の言葉にアルドリヒと大臣が一礼し密室裁判はお開きとなった。
◇◆◇
翌日、ディアス侯爵邸で大臣による直接の聞き取りが行われた。
大臣は応接室でナルシリスの話を聞いた。
部屋には二人きりだ。
一応密室にならぬよう応接室の扉が開けられている。
しかし、扉の前で待機している侍従に2人の会話の内容は聞こえない。
「こんな所でしょうかな」
「もう宜しいんですの」
「はい。これだけ記録をとっておけばもう十分でしょう」
「それで
ナルシリスは扇子で口元を隠した。
目を細め、大臣を批難するかのように見つめる。
「滅相もございません。ナルシリス様」
大臣は額に浮かぶ汗を必死にハンカチで拭った。
「本当かしら」
「臣にお任せ下さい。決してナルシリス様に不都合な事にはなりませぬ」
「その言葉、信じましょう。大臣。よろしく頼みますわよ」
「ははぁ、御身の忠実なる下僕にお任せ下され」
その言葉を発し、頭を下げる大臣の表情にはどこか恍惚とした表情が見て取れた。
幸い、その表情は頭を下げている為ナルシリスの目に入ることは無かった。
見てしまったら鳥肌が立つに違いない類のものだったのだ。
大臣は公平で公正な人物として有名だ。
それ故に国王の信任が厚い。
いや、かつて公平で公正な人物だった、が正しい。
かつて大臣は当時王太子の婚約者だったリリアーシアより挨拶を受けた。
その事がビニートスの本人確認を決定づけた。
そして先日、新たに婚約者となったナルシリスの挨拶も受けていたのである。
それ以降大臣は変わった。
変わってしまった。
大臣の主はただ一人、ナルシリスになってしまったのである。
今の大臣にとって、主のお褒めの言葉を貰う事こそが生きがいであり、最大の快楽だった。
ナルシリスの言葉は尊く、何者よりも優先されるのだ。
ナルシリスの魔の手は王宮内に着実に伸びている。
リリアーシアの貴族籍が抜かれていなかったのは本当は手続きの遅延ではなかったのだ。
ナルシリスが浮かべた邪悪な笑みは扇子で隠され誰にも見られることは無かった。
◇◆◇
王城より書簡が届いたとの知らせを受けた時、フェリス侯爵は執務室にいた。
その知らせはフェリス公爵を驚かせた。
王城より届いた王よりの書簡。
先日の婚約破棄が公爵の頭を過る。
開封し、書面に目を落とす。
やがて公爵の目が見開かれ、そして狂気の色を帯びていく。
「はは、ははは。そうか、そういうことだったか」
涙を流し、歪な笑みを浮かべる公爵。
書面には、リリアーシアの死の真実が書かれていた。
そして、ビニートスを犯人として捕らえ、裁判の結果有罪となった事も。
更に、刑の執行ついて公爵に任せても良いと書かれていたのである。
その内容は公爵の納得いくものだった。
修道院に向かった娘が自殺するというよりも、途中でビニートスが裏切り陥没湖に突き落とした方がしっくりくる。
ビニートスの動機もそれらしい事が書いてあったが、もはやどうでもいい事だった。
娘の死の背景に恐らく王家やディアス侯爵家が絡んでいるのだろう。
娘が王太子の婚約者になった事を受け、ディアス家が護衛増強の為に募集をかけていた事も、ビニートスがそれにつられて侯爵邸を訪ねているのも知っていた。
しかし、王家や王家の庇護下にある侯爵家を相手に復讐しようにも逆撃を食らうのが落ちである。
下手をすると取り潰しになる。
それにどちらにせよ娘はもう帰って来ない。
そこへ実行犯のビニートス引き渡しの提案がきたのである。
それは公爵にとって、とても、とても魅力的な提案だった。
(そうか、そうか、儂を裏切り、娘を裏切って殺した男を是非ともまた当家に迎えてやらねばならんな。いっぱい歓迎してやろう。娘が苦しんだ以上に凄惨な饗しを用意しよう。楽しみだ。裏切り者に会うのが実に楽しみだ。処刑する日まで死なないよう大事に大事に扱ってやらねばな)
先ずは返事を書こう。
王の配慮に最大の感謝を示し、
そうしたら饗しの準備だ。
ああそうだ、
一族をどうしようか。
何と言っても主を裏切った
信用出来る筈もない。
どうしてやったら、
悩ましい。
実に悩ましい。
ゆっくり考えるとしよう。
時間はゆっくりあるのだから。
公爵は王への返事を認めるべく、ペンを取った。
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