5.王太子アルドリヒ

 王太子アルドリヒはその日、公務の為 学園を欠席していた。 

 王に付き添って、隣国よりの使者との会談に出席したのだ。

 これは王の元で交渉について直に学ぶ為だった。

 王太子になって以降、こうした実地訓練を兼ねた公務を行うようになった。

 第一王子の時とは立場が変わり、やがては国だけなく同盟の中でも重責を負う身になる。

 いきなりバトンタッチという訳にはいかない。

 現状を把握させる為でもあるし、同盟の各国王の考え方や、気性を情報だけでなく実感させようという現国王の配慮だった。

 結局のところ、政治であろうと人対人のなのだ。


 現在、南方では魔族の動きが活発になってきた。

 その為、南の大国アークサンド帝国の動きを注視していた。

 アークサンドは連合の盟主国だ。

 そのアークサンドが大規模な魔物討伐軍を起こせば、当然大量の兵糧が必要になる。

 アークサンドの意向次第では連合で軍を上げるかもしれず、そうなれば必要な兵糧の量も跳ね上がる。

 その影響で小麦が高騰するかも知れず、小麦の消費量50%を輸入に頼っている国の現状を考えれば、民を飢えさせ無い為に備蓄量を増やす必要があった。

 今日の会談は、情報交換と食料の供受給協定を結び直す為の事前打ち合わせとして、小麦の生産量の多い西の隣国に要請したものだった。

 隣国よりの使者は宰相の次席補佐官で伯爵位の人物だった。

 尚、ストロンシア王国は海に面して海洋交易や塩の生産も盛んであり、塩や海産物の塩漬けなどが隣国への供給内容になる。

 海の無く、岩塩なども取れない平地のみの西の隣国にとってストロンシアの塩は生命線で、塩の価格を操作されても経済的に大打撃を受けてしまう。

 南のアークサンドもの塩業があるにはあるがストロンシア程の生産量は無く自国内の流通で精一杯という事情もあった。

 アークサンド以外の同盟国はストロンシアの塩業に頼っているという現状があった。

 そういった事情を背景にした交渉だった。

 以上で余談は終わる。


 会談が終わり、王太子専用の執務室でアルドリヒが紅茶を楽しんでいた時、侍従よりリリアーシア自殺の報を聞いた。


「そうか。ご苦労、下がって良い」


 リリアーシアの死に対し、その一言だけだった。

 侍従を下がらせ再び一人になると、ため息をついた。


(折角の紅茶が不味くなったな)


 思い出したくも無い者の名前を聞いて不機嫌になった自分を自覚したアルドリヒ。


「そんな事より、あぁ早く愛しいナルシリスに会いたい」


 そう呟き、またため息をついた。

 

 

 王太子アルドリヒの正確な名前はアルドリヒ・ナルーツ・ジエル・ストロンシア。

 文武に優れた人物として知られている。

 人前では優しく接しているが、それは演技で実際はかなり冷たくドライな人物だった。


 アルドリヒから見たかつてのリリアーシアは美しさだけが取り柄の令嬢だった。

 リリアーシアは気が弱く、政治的なパートナーには向かない。

 優しい性格すぎて交渉事も無理だろう。

 今でこそ学業もトップクラスだが、それは知識だけのことで打てば響く頭の回転は期待できない。 

 だからそちらの方は諦めて、せめて世継ぎを生んでくれればいいと考えていた。

 とは言え、その美しさはアルドリヒの虚栄心と所有欲を満たしたし、そこだけは最大限に評価し接してきた。


 しかし、顔に怪我をされて、アルドリヒは萎えてしまった。

 到底寝所を共にはしたくないと思った。

 リリアーシアを見舞った時は、優しい王太子を演じていたが内心では舌打ちをしていた。


 怪我をした婚約者を捨てるのも外聞が悪いと考え、お飾りの正妃にするかと考えていたのだが、考えを改めたのはリリアーシアを見舞った翌日の事だった。


 リリアーシアを見舞った翌日、昼食時にナルシリスが話しかけてきた。

 本来は王太子から話かけた訳でも無いのに話かけるなど、不躾で不遜な行為だ。

 しかし優しい王太子を演じて、彼女の話に付き合った。


 内容は、リリアーシアを見舞ったかの質問だった。

 次に彼女の容態について。

 それ以降は他愛のない雑談を数分したのだが、突如アルドリヒに電撃が走った。(とアルドリヒは思った)


 〝何故今までナルシリスの美しさに気付かなかったのか〟


 ナルシリスの黒く艷やかな髪はオニキスを思わせ、白い肌を引き立たせている。

 瞳の色は金色で宝石より美しく、見入ってしまう。

 見つめられると吸い込まれそうだと錯覚する程だ。 

 アルドリヒは今まで気付かなかった自分自身を恥じた。

 尚、ゴールドアイの持ち主は実際極めて貴重なのだが、ナルシリスの瞳はゴールドアイとは少し違う。

 しかしその事をアルドリヒが知る訳もない。


〝リリアーシアの親友で何度も見ていたはず。

 なのに何故今まで見落としていたのだろう。

 それにリリアーシアよりナルシリスの方がそもそも美しいではないか。

 ナルシリスは侯爵令嬢で正妃に迎えるのに問題ない。

 今話していて判る。

 毅然と振る舞えるナルシリスなら政治のパートナーとしても申し分ないし、彼女個人は全てがリリアーシアよりも上だ。

 劣っているのは親の爵位だけ。

 しかし、それは当人達の努力の結果ではない〟


「殿下はお優し過ぎますわ。もっとご自身に正直になられるべきです。ありのままの殿下の方がより魅力的ですのに」


「ナルシリス嬢ありがとう。貴女の言葉に今、本当の自分の気持ちが判ってしまったよ」


 アルドリヒにはナルシリスの言葉がストンと腑に落ちた。


(ああ、そうか。ありのままでいいのか。

 そうだ、そうだな。

 愛するナルシリス以外に優しくする必要はないな。

 ナルシリスが魅力的と言ってくれるなら、何の問題もない)


 そんな気になった。

 そして同時に、リリアーシアに対する嫌悪感が増大していく。


(俺はなんであの女といつまでも婚約しているのか。

 容姿だってそもそもナルシリスの足元にも及ばないのに、その上顔を怪我されては見るに耐えない。

 もはやバケモノと婚約しているなど我慢できないし、国の威信に関わる)

 

「そうだ、ナルシリス嬢。貴女こそが私の妃に相応しい」


 アルドリヒはそれが当然だと思った。


「お誂いになられてはいけませんわ。本気にしてしまうではありませんか。リリアーシア様とご婚約しておいででしょう?」


「いや本気だ。あの女が来たらハッキリと婚約破棄を申しつける。そうしたら私と婚約してくれ」


 本気の言葉を真に受けてもらえず、アルドリヒは焦りと所有欲が増大していくのを感じた。

 なんとしてもナルシリスを手に入れたい。

 今は誰とも婚約していないが明日はわからない。

 そうなる前に手に入れなければならない。

 

「殿下がそこまで仰られるのなら……正式な申し込みは当家に」


「わかっているとも。婚約破棄と君との婚約を早速進言する。あのバケモノとの婚約は陛下が決めた事で私の本意ではない。ナルシリス待っていてくれ。必ず陛下を説得してみせる」


 ナルシリスの言葉に手に入れた喜びを得たアルドリヒ。

 その喜びは余りに甘美で、アルドリヒの心は完全にナルシリスに捕らえられたのだった。


「殿下のご決意、嬉しゅうございます」


「殿下など他人行儀は止めてくれ。アルドリヒと呼んで欲しい。私の心はもう貴女の物だ」


「アルドリヒ様……国王陛下へのご説得はわたくしも連れて行って下さいませ」


 ナルシリスの声のトーンは少し命令のような感じだった。

 しかし、喜びに浸るアルドリヒは意にも介さない。

 むしろナルシリスの言葉なら何でも叶えてやりたいとさえ思った。


「………ああ。そうだな。そうしよう。愛しているぞナルシリス」


「アルドリヒ様。わたくしも……」


 そんなやり取りを、昼休みの食堂で堂々と繰り広げた。

 当然多くの者が見ていた。

 そして、この不自然極まりないやり取りを不審に思う者は何故か居なかった。

 それどころか、拍手喝采で迎えられたのである。

 

 そしてその翌日の午後からナルシリスの王妃教育が始まった。

 それは王がリリアーシアとの婚約破棄とナルシリスとの婚約を認めた事を示していた。


 一夜にして学園内の雰囲気は変わってしまった。

 王妃に相応しいのはナルシリスで、バケモノのリリアーシアはこの学園から排除すべしという風潮になっていた。


 王太子もナルシリス以外には冷たい人物になった。

 しかし、それを不審に思う者もまた居なかったのだった。

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