3.王都を去って

 リリアーシアは馬車の中にいた。

 彼女の父、ジスカトル・フェリス公爵がリリアーシアを呼び戻したからである。

 フェリス公爵領は王都に近く、馬車で3日程の道のりだ。

 道はしっかりと整備されており公爵家の馬車なら揺れを感じる事はほとんど無い。

 また、途中に宿場街があり、野宿の必要も無かった。

 

 本来、夏季の長期休暇であっても忙しいリリアーシアが帰省することは無い。

 今回の呼び出しは、婚約破棄の件とリリアーシアは考えた。

 

 公爵の帰省指示は、食堂での婚約破棄事件から1週間後のこと。

 その間、リリアーシアは学院を欠席していた。

 涙は3日で枯れ果てた。


(簡単に取り乱すような、こんな情けない人間に王妃は到底務まらない。きっと……これで良かったのだわ)


 アルドリヒに、ナルシリスに、学園の皆に蔑まされ、笑われたリリアーシア。

 彼女は不思議と悔しくは無かった。

 ただただ悲しかったのである。

 悲しみの涙が枯れると少しは冷静になってきた。

 冷静になったリリアーシアは冷静に自分自身を見つめ直していた。

 先日の食堂での場で毅然と振舞えず、逃げ出す者に王妃は務まらない。

 顔の火傷もあり、このまま身を引くべきだとリリアーシアは考えた。


 今回の火傷は、王妃の資質の無い自身をむしろ救ったのかもしれないと思うことで自身を慰めたのだった。  


 侍女メリスは内心では王太子を始め、ナルシリスや他の学友など裏切った者達への怒りが収まらなかったが、リリアーシアへ気を遣い暴言を吐くことは無かった。

 暴言を吐くことでリリアーシアが更に傷つくのを恐れたのであった。

 ただし、メリスの部屋の枕はボコボコにされたのはメリスのみが知ることである。


 リリアーシアは学園には行かなければと思うものの、どうしても学園の行く事が出来ずにいた。

 そんな最中での公爵よりの呼び出し。

 王都に居辛くなったリリアーシアは呼び出しに応じ、逃げるように王都を出た。

 もっとも呼び出しは強制なので、そもそも彼女に選択権はない。

 事前連絡も無く、執事のウェイトスが護衛の騎士10人と共に迎えに来たのだ。

 

 リリアーシアは道中、車窓よりの景色を心あらずで眺めていた。

 思う事はアルドリヒの心変わりについてばかりだった。

 見舞いに来た時には、リリアーシアへの愛は変わらないと、慰め、励ましていた。

 それが、急にナルシリスを后にすると言い出した。

 

(アルドリヒ様……どうして……やはり身も心も醜いわたくしでは王妃は務まらないとアルドリヒ様もお考えになられた……)


 自身に王妃の資質が無いのは理解したものの、王太子もそう判断していたのかと思うとやはり胸が苦しかった。

 愛していると言ってくれたのも嘘だったのだろうか?

 答えが出るはず無いとを判っていながらも、どうしても考えてしまうのだった。

 

 リリアーシアが景色を眺めていると、男が馬を横につけてきた。

 この男は公爵家騎士団長の息子で名をビニートス・スラックと言う。

 リリアーシアの幼い頃からの馴染みで一緒に遊んだ仲でもあり、実の兄より兄の様に慕う存在でもある。

 王都でのリリーアシアの護衛役でもあった。

 

「リリアーシア様もうじき町に入ります。窓をお閉め下さいませ」


「ビニーありがとう」


 ビニートスは人目が無ければ、砕けた口調で話してくる。 

 しかし、今はそういう訳にはいかない。

 従って彼の言葉遣いは丁寧なものになった。

 しかしリリアーシアには、ビニートスの口調が必要以上に他人行儀に思えた。



◇◆◇



「この親不孝者めが!」


 公爵は会うなりリリアーシアを怒鳴りつけた。

 久しぶりの会う娘への最初の一言がこれだった。


 リリアーシアが王太子より婚約破棄を言い渡された数日後、公爵の元に王城よりの使者が来て、正式に婚約破棄の通達がなされた。

 書状には王の正式なサインがあり、もう異を唱えられない。

 公爵家の面目は丸潰れだ。

 本来、王家と公爵家で取り交わされた婚約を一方的に破棄するなど如何に臣下に対してとは言え常識を疑う行為である。

 しかし、ここストロンシア王国において王家の権力は絶対的であり、逆らえる家はいない。

 それはフェリス公爵家であっても変わる事はなかった。


 事実確認の為リリアーシアを呼び戻したのだが、半分マスクで隠された娘の顔を見て公爵は全てを察した。

 

 王家に婚約破棄された娘を娶ってくれる貴族を探すのは難しい。

 罰則は無いが王家への不敬と考える風潮があったのだ。

 ましてや怪我で醜くなっては尚更の事で、国外の貴族や後妻を探す高齢の貴族でも難しいと思われた。

 こうなった以上、リリアーシアは政治的に価値が無い。

 天国から地獄に突き落とされたジスカトル公爵は、娘の怪我を気遣わず、怒りに任せ叱責してしまった。

 

 公爵が娘に示した2つ道は、このまま公爵邸で一生を終えるか、修道院に入るかである。

 リリアーシアは迷わず修道院に入る道を選んだ。


 リリアーシアは公爵邸の裏に建つ、離れの別邸に入れられた。

 修道院に入るにしても、今日の明日からという訳にはいかない。

 事前に貴族籍を抜く手続きも必要だし、修道院側も受け入れの準備がある。

 公爵はそれなりのお布施も要求されることになる。

 それらの準備が整うまでの間、リリアーシアは別邸に閉じ込められたのだった。

 もし、公爵邸で一生を過ごす選択をした場合はこの別邸で外に出ることも許されず一生を終えることになる所だった。


 尚、今回リリアーシアが別邸に入れられたのは、公爵がリリアーシアの顔を見なくなかったからである。

 別邸ならひと目につかないからでもあった。

 


 リリアーシアにもう侍女は必要ないとして、メリスは暇を出され、実家である男爵家へ戻された。

 別れの挨拶すらさせて貰えなかった。

 

 リリアーシアが別邸に隔離されて一週間。

 隔離と言っても食事や洗濯の面倒だけで、ほぼ放置と言って差し支えない。

 だから本邸以外なら散歩は自由にできたのだが、リリアーシアは人に会うのを恐れ、自室に閉じこもっていたのだった。

 

 リリアーシアは自室でひたすら神に祈りを捧げていた。

 神様は醜い自分でも愛してくれる。

 そう信じたからだった。

 (因みにこの国を含む連合国家郡は一神教で、万物創造の神を〝主〟と呼び崇めている。この一神教の宗教文化圏はこの世界で最も大きく広域に及んでいる。) 


 それから一週間後、準備が整い、リリアーシアは以後一生を過ごす事になる修道院に出発した。

 公爵はおろか、公爵夫人さえもリリアーシアを見送る事は無かった。

 護衛もたった1名。

 というのもリリアーシアの向かった修道院は公爵領内の外れで馬車で1日の場所にあった。

  

 護衛一人とは随分と心細い話だが、行く道は修道院以外に町や都市につながる道ではなかった。

 だからこの道で待ち伏せする野党の類の心配は無い。

道中に人目も無く、見栄をはる意味がない事も護衛を1人にした理由のひとつだ。

 あと恐ろしいのは魔物になるが、公爵家の馬車は魔除けの魔力が付与されていた。

 また、強い魔物の存在はここ10年報告されていない。

 これは公爵が領地の統治にあたり、魔物の駆除も行っている証拠でもあった。


 護衛に選ばれたのは、自ら志願したビニートス。

 彼も護衛は自分一人で大丈夫だと言ってのけた。

 ビニートスは馬車の御者兼護衛としてリリアーシアを修道院に送り届けるのが、彼女に対する最後の役目となる。


 修道院に向けて出発し数時間、馬車が止まった。

 日暮れにはまだ早い時間だ。

 何を思ったのかビニートスは御者台から降りると、馬車の扉をノックした。

 リリアーシアは窓を開けた。

 周りに建物はなく、まだ道中であることは一目瞭然だ。

 何か起きたのだろうか?

 しかしビニートスに切迫感は無く、緊急事態でも無い様だ。

 状況がつかめないままリリアーシアはビニートスに問うた。


「ビニー、何かあったの?」


「リリア、これが最後になるから少しだけ散歩に付き合ってほしい。ちょうどこの先に陥没湖があるのは知ってるだろう?」


 ビニートスの言葉遣いは2人きりの時、昔からこうだった。


「……そう、そうね。少し歩きましょう」


 ビニートスが一人で護衛を買って出たのは、最後にリリアーシアを陥没湖に連れ出したいからなのだろう。

 これで最後になるからと、リリアーシアは誘われるままにビニートスと陥没湖を見に行く事にした。

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