第12話 勇者は振り向かない

 声に出して結んだ炎の神との契約に紛れて、左手でシラカバの葉を握っていたアデルは、こちらは声に出さずに心のなかで語りかける。

 

 ニビタチバナが原材料に含まれる肺の薬を舐めて威力を増した炎、それをさらに高く上空へ立ち昇らせるための風を。


 朽ちたシラカバの欠片を巻き込んで舞い上がる風が、炎を巻き込んで高い火柱と化す。

 倒れて動けないジャンが炎の巻き添えにならないためであったし、この火柱が、近隣で《黒き魔法使い》の捜索に当たっているはずのイルザークたちに見えれば、という計算もあった。

 オルガが全身の毛を逆立てて威嚇するほどの相手、アデルごときの力で倒せるわけがない。なんの力もない只人のこどもでは、時間を稼ぐことしかできない。


 炎のなか、少年は顔色ひとつ変えずに顎に手をやる。

 ふむ、とでもいうような表情でうなずくと、右手の一振りで炎を消し去った。


「さすがイルザークの弟子といったところかな。只人のこどもにしては魔法の練度が高い。ねえきみ、魔力がほしい?」


 すたすたと近づいてきた少年はアデルの顔を覗きこんだ。


「さっきの役立たずにやってあげたみたいに、魔力を与える方法はあるんだよ。人間はあまり好きじゃないみたいだけど」


 この言い方。つまり少年は人間ではない、というわけだ。

 自称・《黒き魔法使い》を下っ端に使う、人間以外の存在。――魔王軍の、魔物。


「どう、『死にたくなければぼくの魔力を受け取ってぼくの部下になれ』それとも『そのお友達を助けてほしければぼくの魔力を受け取って仲間になれ』のほうがいい? 髪の色も、目の色も、〈魔王〉さまのそれにそっくりだ。きみなら新しい《黒き魔法使い》になれるかもよ」


 また髪や目の色か。

 人間以外の生き物もそういう外見上の都合を気にしたりするらしい。もううんざりだ。そんなもののために、リディアは何度傷ついて、それでも笑って、自分を守るために強くなって、それでも打ちひしがれて、そして何度涙を堪えて笑ったのか――


 アデルは傍らで身を横たえたままこちらを睨みつけるジャンを見下ろした。

 透き通る紺碧の双眸は、そのきれいな色も台無しなほど凶悪な罵倒を孕んでいる。即ち、こんな取引に応じやがったら殺す、死んでも殺すぞこの陰険眼鏡野郎、そんなところか。

 少年に視線を戻す。

 どこにでもいそうな凡庸な容貌。白目の部分が極端に少ないことを除けば、いたって普通の少年だ。自分よりも小柄なこの存在に、それでも、百人束になっても到底勝てはしないと不思議と理解できた。


 不思議な気持ちだった。

 つい、満面の笑みがこぼれた。



「死んでも御免だ。糞野郎」



 少年はアデルの答えを待つわくわく顔を凍りつかせると、こちらに負けず劣らず満面の笑みを浮かべる。


「残念だなあ!」彼がアデルの細頸に手を伸ばす。「じゃあ死ね」


 その手が、ぼっ、と音を立てて消えた。


 宙を飛んだちいさな手首から先の部分が、ぽとり、地面に落っこちる。即座に後退していた少年は痛みも感じていない様子で顔を上げると強烈な舌打ちを洩らした。


「貴様――ザイロジウス……」

「よう! 二十年ぶりじゃねえの『糞野郎』!」


 こどもたちと少年の間に立ちはだかるように、男が仁王立ちになる。

 農作業用の長靴に、くたびれたサロペット。汚れたシャツの左の二の腕から先は不自然に消失し、袖が無造作にくくられて風に揺れている。

 右腕に握った幅広の大剣を肩に乗せて、ザジが笑っていた。


「なっ……ザジ先生なにやってんだよ、こいつやべーんだよ、逃げろって!」


 噛みついたのはジャンのほうだった。彼はザジに学校で教わっているから、この年かさの先生がいつも「腰が痛てぇ」だの「あ~年だな」だのぼやいている姿を目の当たりにしているのだ。

 しかし焦るこどもたちを置き去りにして、ザジは少年とばちばち火花を散らしながら笑いあう。


「久しいな。年をくったか」

「そりゃあなー、おまえをボコボコのけちょんけちょんにしたのが二十年も前のことだぜ、そりゃ年もとるってもんよ」

「ボコボコのけちょんけちょん? ぼくに左腕を落とされてみっともなく泣き喚いた、の間違いだろ」

「いやいやそのあとおれの魔法で天海の彼方に吹っ飛んだもんなぁ? 記憶を改竄すんなよ。あれ、もしかして耄碌したか? 魔王さまの配下第五位のエレイルさまともあろうものが?」


 耄碌、とか五位、のあたりを嫌味ったらしく強調したザジに、少年の頬が引き攣る。


「あああああこの! 憎たらしさ……! 剣腕を落としてなお勇者面するか! ザイロジウス!!」


 憎悪を帯びた絶叫に空気が怯えた。

 皮を突き破るような音とともに、少年の背に一対の黒い翼が広がる。鳥のような羽毛とは違う。剥き出しの骨と、それをつなぐ乾いた皮。アデルが目を見張った隙に彼の蟀谷からは、鱗の生えたいびつな角が生えていた。


(配下……)


 知らず震えていた手を握りしめる。

 先程、羽虫でも潰すかのような気安さで殺された贋者などとは比べものにならない、本物の〈魔王〉の手の者、その上から五番目。

 エレイルの足元から黒い靄が吹きあがる。

 瘴気だ。冥界のさらに深い場所に満ちているとされる黒い魔素。


「昔から貴様が嫌いだった……!!」


 瞼のきわの限界まで見開かれたエレイルの両目が赤く染まっていく。

 ザジが右手に握った大剣を下ろした。その刃がぱちぱちと火花を散らしはじめ、やがて雷を纏い、風すら巻き込んで魔力の渦をつくる。


「両思いだな、おれもだよ! さあ感動の再戦といこうぜ……!」

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