第6話 魔法使いと弟子
「二人は、このことは?」
「あれらには関係がない話だ」
「関係ないことはないだろう、自分たちの師の話じゃないか。お前あれだろ。魔王封印に携わったことすら話していないんだろ、どうせ」
「話したところでどうというわけでもない」
知己の返答はにべもない。
昔からこういう喋り方をするので今更それについては文句もないが、どうというわけでもないことなかろうに、と若干呆れてしまった。
「いいか、イル。俺のとこの弟子は大体自分の身を守って逃げるくらいのことはできる。英雄一行もそうだろう。だがリディアとアデルにはどう足掻いたってできない。一番に危惧されるべきはあの二人だぞ」
「…………」
「魔王存命の際はその配下らが力なき民衆や只人を下級民族と蔑んで虐殺したような時代もあったんだ。今回復活した、自称『第一麾下の〈黒き魔法使い〉』がそうだったらどうする? 封印に力を貸した古き魔法使いの、魔力も持たぬ只人の弟子、しかも子ども二人なんて……」
「…………」
「……なんだよ」
細かく砕いたタルトのかけらをひょいと口に放りこんだイルザークが徐々に莫迦にしたような顔になっていくのを、捲し立てるように話しながらもシュリカは見逃さなかった。
常日頃は彫刻のようにしんとしているこの友人だが、呆れとか蔑みとかいった感情はけっこう露骨に出る。
「いや……お前はいつからそんなに過保護になったのかと」
「イルが放任主義すぎんだよ!」
思わず魔力を放出して火花を起こしてしまった。
するとそのとき、リディアたちがいるはずの家の裏手で魔力がざわめく。
大地がふるえているのが足の裏に伝わってきた。思わず腰を浮かせたシュリカに、こちらは泰然としているイルザークが「アデルだ」と声をかける。
「簡単な魔術の一通りは使える。何よりも拒絶の魔法に対しては練度が高い」
「拒絶……ああ、大地の精霊の浄化魔法か。そりゃ、アデルは只人にしちゃ魔術も使えるほうかもしれないが」
「あれの目には黒く、ひどくおぞましいものが視えているらしい」
シュリカはぐっと目を瞑って口も閉ざして耐えた。
イルザークの言葉足らずはいつものこと。あれ、というのは〈妖精の目〉を持つアデルのことで、黒くおぞましいものというのは、恐らくいままさに話題に上がっている自称〈黒き〉に関連してのことだから――、
「イルの居住を探られているということか」
「それ以外ない」
だったら尚更もうちょっと警戒したらどうだ。
このイルザークは、生活力皆無のダメダメっぷりが目立つので弟子たちからはただの引きこもりに見えているだろうが、実は力ある優秀な魔法使いなのだ。ちょっとやそっとの相手には倒すことなどできない凄腕だということは、昔なじみのシュリカが一番理解している――この見た目では全くそんな感じがしないけれど。
だがそれも彼が一人きり、ただ自分の内側の階段をひたすらに下っていくような生活をしていたときの話だ。
いまは違う。守るものがある。
弟子をとった経験に乏しすぎてその辺り解っていないんじゃないだろうかと、人間関係の形成が決定的に不得手な友人とその弟子たちが心配になってきた。
黙したまま話を進めようとしないイルザークの心のなかは、まだほんのこどもだった頃から共に育ってきたシュリカにも、到底掴みえるものではない。
「アデルは頭に血が上りやすいのだ」
イルザークのその発言に首を傾げる。
こどもたちの片割れ、師によく似た黒髪に黒い眸、仏頂面、冷めた物言いの少年。彼が声を荒げているところなど見たことがない。
「……そうか?」
「対象が極端すぎて他には冷淡に見える」
「ああ……リディアのことに関しては、ってことか」
「正しくは自分とリディアに害為すものに対して」
そこまで言われてもまだ実感が湧かないが、自分よりも余程長い間彼らと一緒にいるイルザークがそう形容するのであればそうなのだろう。
「自分たちを守るためであれば躊躇わない。……万が一狙われようものならば、辺り一帯焼け野原にするくらいの危うさは、ある」
収穫を終えて戻ってきた少年と少女の、子猫のような朗笑が響いていた。
それを耳にしたイルザークが静かに目を伏せる。
もともと表情を持ち合わせていないかのような彼が、しんと纏うその気配を、ほんの少しやわらげる。シュリカですら一瞬見逃しそうになるほどのわずかな変化だ。
ああ……、とつい喉をついて出そうになった嘆息を飲み下す。
(あの人にとって、俺たちもこうであれたなら、いまも三人で食卓を囲えていただろうか……)
時間は戻らない。力ある魔法使いでさえ過去を渡り未来を変えることは許されていない。時の流れは不可逆であると、天海のくじらが世界の三原則のうちに定めているからだ。
ひとつ、死者を蘇らせるべからず。
ひとつ、時を渡るべからず。
ひとつ、魔力を譲渡すべからず。
この世のあらゆる魔法使い・精霊・魔物に許されざる絶対の禁忌。
ふと胸を衝いただけの小さな後悔に想いを馳せて嘆くには、シュリカは年をとりすぎていた。
いつの間にかイルザークの皿はからになっていた。
昔から食に頓着しない性質だったこの友人は、弟子たちのつくるものに感想こそ零さないものの、文句もまた零さず一口残らずたいらげる。こどもたちがまだ幼く、調理に慣れていなかった六年前からずっと、どれだけ失敗しても、黒焦げでも。
「夕飯は羊肉の赤桃煮だ」
お茶を飲み干しながらそんなことまでつぶやく。
すっかり人間くさくなったイルザークに肩を竦めて、シュリカもうなずいた。
「そのようだな。楽しみだよ」
全く、これではどちらが育てられているのだか、わかったものではない。
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