第5話 イルザークとシュリカ
シュリカは、魔法使いイルザークの古い友人だ。
数年前に彼が拾ったこどもたちが謎だ謎だと噂する、イルザークの年齢を知っている程度にはつきあいが長い。
基本的に魔法使いとは、弟子をとり、己のもつ技術や知識を後世に継承していく生き物である。シュリカにも現在、五人の弟子がある。だがイルザークは筋金入りの偏屈で人嫌い、弟子をとらず、とったとしても長続きしなかった。
そんな知己から「瀕死のこどもを拾ったからちょっと来い」という呼び出しを受けたときには、それはもう飛び上がらんばかりに驚いた。
そして実際フクロウ姿になって飛んで駆けつけた。
駆けつけたシュリカはさらに驚いた。
瀕死のこどもは二人いたのだ。
しかも男女。
イルザークが居を構えるベルトリカの森に紛れこんだ、
なにが彼の琴線に触れたのやら、生活力皆無の偏屈ダメダメ魔法使い選手権――というものがあれば間違いなく――殿堂入りだったイルザークは、寝る間も惜しんで凍傷やら怪我やら高熱やらに唸る瀕死のこどもたちを看病していた。
その間、洗濯や料理や掃除を手伝ったシュリカは、珍しく憂いげな横顔でぽつりと零した友人の言葉をよく憶えている。
「さわるな、と言ったのだ」
こんこんと雪の降りしきる森のなか。
死の神オディールに前髪を掴まれたような状態の少年に触れたイルザークめがけて、少女が牙を剥いたのだという。
「自分も死にそうだったくせに、無慈悲な雪に怯えていたくせに、片割れを守るために最後の力を振り絞ったのだ。死の間際にも無様に足掻くこのこどもたちが、どんな風に生きていくのか興味が湧いてしまった」
つまりイルザークは少女の眼差しに惚れ込んだらしい、とシュリカは解釈している。
口にしたらフクロウの羽を根こそぎ毟られそうなのでその見解については誰にも話していないが。
まあ、そのあたりの事情はどうあれ二人は一命を取り留めて、あんなダメダメ魔法使いに子育てなどできるのだろうかと心配するシュリカをよそに、彼らはすくすくと健やかに成長していった。
あの雪の日から六年――。
シュリカやイルザークにとってはちょっと振り返ることのできる身近な年月だが、人の子らが『こども』でなくなるには十分な時間が流れた。
以前は居間も厨房も寝室も客間もないほどの有様だったイルザークの自宅は、弟子たちの献身的な働きにより見違えてきれいになっている。服や本や研究資料や調合の材料などはあるべき場所に収められ、居間は居間として、書斎が書斎として、それぞれの部屋が部屋として機能するようになったのだ。
弟子さまさまである。イルザークはもっと二人に感謝すべきだ。
おおきくなった弟子たちに出迎えられたシュリカは、夕飯を食べていくようにとのお誘いを受けて、居間の食卓でお茶をいただいているところである。
ふたりは夕飯に使う野菜を収穫してくると、家の裏手の畑へ向かった。
「例のことは、もう、聞いたか」
リディアが淹れてくれたお茶の、とろけた水面に映る顔を見下ろしながらつぶやくと、向かいで茶請けのベリータルトをざくざく切り分けていたイルザークの手が止まる。
おびただしく長い黒髪、黒亀石の双眸、闇よりも濃いローブ、黒い指先。僅かに覗く顔や手の地肌だけが白く浮いて見える、相変わらずの不健康っぷりである。
「……風の噂ていどならば」
「『魔王第一麾下であった〈黒き魔法使い〉が復活した』……」
天海のくじらに恵みと幸いの加護を受けた世界。
いまでこそ神々の加護を受け精霊とともに生きる穏和な日々が続いているが、たった二十年前まで、幾多の地上の町々は〈魔王〉の支配に曝されていた。
〈魔王軍〉と名乗る一大勢力が台頭したのは八百年前のこと。
長きに渡る戦いの末、ようやく封印されるに至ったのが二十年前のことである。
お茶に口をつけたイルザークの睫毛が震えた。
「魔法教会から一報はあった」
「うちもだ。英雄一行のところへも情報がいったらしいな。いまのところ目立った動きはないが、なにか狙いがあるとすれば、関わった彼らか、俺か、お前か、だろう」
魔王征伐のためオクに立ち寄った英雄の一行──当時はまだ勇者と呼ばれていたが──に、魔王封印のための魔法の知恵を与えたのはイルザークとシュリカだ。二人の暗躍を知る者はほとんどいないが、よりによって第一麾下を名乗るほどの者であれば、何か掴んでいてもおかしくはない。
「魔王自身の復活でないことだけは幸いだけどな……これも時間の問題だろうか?」
「永遠の封印など存在せぬ。魔王斃すこと能わずと英雄一行が報告に来たときから知れていたことだ」
「それもそうだが……」
くゆる白い湯気の向こうで、薄氷のように青白いイルザークの相貌が揺れる。
数種類のベリーを敷き詰めたタルトを切り分け、シュリカは一口運んだ。すこし甘めの生地に、酸味のきいた春ベリー。本心から言ったように、彼女の出してくれた手作り菓子がまずかったことなど一度もなかった。
もちろん、実験段階や初めて作ったものならばそうはいかないのだろう。
アデルはその段階からの味見に加わっているので、ときに辛口批評が飛び出すこともあろうが。
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