シークレットチョコレート

宮下珠洲

 二月十四日、放課後。

 憧れている手芸部の先輩と二人きり。クロスステッチの仕上げに取り掛かっている先輩の指を見つめていると、不意に先輩が顔を起こした。

「さっきからじっと見てきてるけど、手元がお留守になってるわ。」

 胸の前でぐちゃぐちゃになった毛糸のマフラーを隠しているのを見て、先輩が口元を押さえる。

「何? もしかして、チョコレート?」

 チョコレート。その単語に反応しうろたえる様子を見て、先輩はまた笑った。

「チョコレートが気になるなら、探してご覧なさい。この部室のどこかにチョコレートがあるわ。」

 先輩からチョコレートなんて。普段はお菓子を買うお金で手芸用品を買うような先輩だけに珍しい。慌てて椅子から立ち上がってしまった。相変わらず冷静に手を動かす先輩を尻目に、チョコレートの捜索を始めた。


 まずは窓際の段ボール箱。これまでの制作物が無造作に詰めてあるその箱は大きさ、探しにくさ共に隠し場所としては最適だ。一箱、二箱、順番に中身を長机の上に広げていく。

 しかし数箱開けても見つからない。するとここまで淡々と針を操っていた先輩が顔を上げた。

「窓際なんて、チョコがすぐ溶けちゃうじゃない。」

 ここには無いということだろう。箱を開ける前に教えてくれたらいいのにと思いつつ、段ボール箱を窓際に戻した。

 段ボール箱でかなり手間が掛かった。もっとチョコレートが自然に入っていそうな所を探すことに決め、ドアの近く、掃除用具入れの隣に鎮座しているロッカーの扉に手を掛ける。

 しかし教室では使わなくなった古いロッカーのせいか、扉が錆びかけていてとても固い。開けやすいところといえば普段部員がカバンを入れている三、四箇所くらいだ。残り四分の三、体力が持つかどうか。

 まずは一つ目の扉。少し力を入れると簡単に開いた。中身は壊れてしばらくの間使っていないミシン。長机の上にある現役のミシンと違って大柄だ。小さいチョコレートくらいなら隠せそうだ。

 床に下ろし、カバーを外す。少し埃っぽい匂いこそするけれど、チョコレートの匂いはしなかった。開けられるところはすべて開けても、やっぱりチョコレートは無い。

 重さに参りそうになりながらもミシンを戻し、隣の扉を開けようとする。けれども錆び付いているのか、扉はびくともしなかった。更に力を掛けても、扉は動く気配を見せない。

「そんな重い扉、私には開けられないわ。」

 手を痛めている後ろから先輩の声。それを聞いて落胆が半ば、安堵が半ば、力が抜けて座り込んだ。それを見かねた先輩が歩み寄り、紙パックのお茶を手渡してくれた。

「まだ探すなら頑張りなさい。もっと分かりやすい場所にあるわ。」

 そう言って先輩はまた刺繍枠を手に取る。分かりやすい場所。なかなか考えが浮かばない。

 少し考えても結論は出ず、仕方なしに先輩のカバンを見てもいいか訊ねてみた。するとあっさりと許可が出た。そんなに簡単にカバンの中身を見せてもいいのか、すこし不思議に思いながらカバンを開く。中には二、三冊の教科書、ノートに加え予備校のテキスト、ペンケース、電子辞書、財布、小さなタンブラー、巾着袋に入った少しの化粧品、その他。カバンのポケットも探してみたものの生徒手帳やパスケースくらいしか見当たらなかった。

 もしやと思いながらタンブラーを開けてみる。けれども中身はただの飲み物だった。匂いから判断するに、コーヒーのようだ。

 後ろめたくなりながら全部をカバンの中に戻す。ふと先輩の方を見たけれど、先輩は下を向いたまま何も言ってこなかった。

 カバンをロッカーに戻し、どうしようか分からないままに先輩を見る。すると、ちょうど胸のポケットに小さな四角い膨らみ。どうしても気になってしまう。迷った挙げ句、刺繍が完成したのか針を置いた先輩の背後にそっと近付き、素早く胸ポケットの中身を抜き取ろうと手を掛けた。

「きゃっ。」

 短い悲鳴を上げる先輩。流石の反射神経で先輩に手を握られてしまった。

「そういうことって普通は許しを得るものよ。」

 先輩のささやかな抗議を受けて、胸ポケットの中身から手を離す。それを確かめてから、先輩は手を離してくれた。それから先輩は誇らしげに胸ポケットの中身を取り出し、こちらに見せてきた。それは赤い表紙の小さな手帳だった。

 恥ずかしさから先輩を直視できない。もうチョコレートの在処など考えられなくなってしまった。しばらく床に体育座りしながら下を向いていると、そっと肩を叩かれた。顔を上げると少しだけ頬を赤らめた先輩が微笑みかけた。

「床に座ってたら制服が汚れちゃうわ。椅子に座って。答え合わせの時間よ。」

 制服のお尻を払いながら椅子に着くと、先輩がロッカーの方へ向かった。開いたのは、私のカバンだった。

 慌ててカバンを取り戻そうとするも、先輩が赤いビニール袋を見つける方が早かった。間一髪で間に合わず、思わずその場に座り込んでしまう。

 宛名の書かれたカードを確かめ、丁寧に包みから外して胸ポケットから取り出した手帳に挟む。それから包み紙を破かないように慎重に、しかし手早く剥いた。中身はハートの形をした手のひらサイズのジャンドゥヤ。先輩がハートの先を一口かじる。そして心臓が激しく鳴り、先輩を真っ直ぐ見つめられない私を見て、今日一番の笑顔を向けた。

「ありがとう。あなたの気持ち、確かに受け取ったわ。私もあなたのことが好きよ。これからは恋人同士、よろしくね。

 女の子同士なんて、些細な問題よ。」

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シークレットチョコレート 宮下珠洲 @suzumiyashita

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