お祭り女とカボチャの約束

白湊ユキ

その1


「トリック・オア・トリートぉ!!!」


 廊下の曲がり角から、でかいカボチャ頭の女子高生が躍り出てきた。

 エクスクラメーションマークが三つくらい付いた、少し舌っ足らずな声。ランタンっぽい形をしたかごを突き出してお菓子を要求するその子を、私が間違えるはずはない。


「——あぁ! やめて取らないで……」


 無防備なカボチャを取り上げると、私より頭一つ分も小柄な少女は、羽織った黒いマントを翻して顔を隠す。胸元の高い位置を飾りボタンで留めてあるマット地の布が広がって、セーラーカラーの冬服が覗いた。

 その子の軽やかなアッシュグレーの髪を見下ろして言う。


「朝から何してんのよ、みい」


 名前を呼ばれて観念したのか。みい——都築美衣香は顔を隠すのをやめ、ぱっちりとした目で私を見上げて舌を出す。


「何って。きょーちゃんこそ、今日は何の日だか知らないの?」


 もちろん知っている。今朝、カレンダーを見てげんなりしたばっかりだ。

 みいから取り上げた黄色いカボチャに目を移す。三角形が三つと、ギザギザにへこんだ三日月形をくり抜いて構成された表情は、妙に愛嬌があって腹が立つ。ハロウィンの定番、ジャック・オー・ランタン。要するに、すっかりお祭りモードというわけだ。

 それにしても、でかい。両手に一抱えほどもある。触ってみた感じ、さすがに本物のカボチャではなかった。表面は紙でできているように見えるけど、いったい何が詰まっているんだろう。意外と重かった。

 こんなの被ってたら肩が凝りそうだ。


「今日はハロウィン! 楽しいお祭りの日なのだよ」


「みいは毎日お祭りみたいなもんでしょ。ほら」


 私はカボチャを小脇いっぱいいっぱいに抱えると、通学鞄のポケットに突っ込んでおいたチョコを、みいの手元のかごに放り投げる。


「じゃあ私は先を急ぐから。ばいばい」


「わぁい、ありがと! それじゃあ、またね——って違うよ!」


 と、踵を返しかけたみいだったが、本来の目的を思い出したのか踏み止まる。ちぇ、上手く躱したと思ったんだけどな。


「きょーちゃんを誘いにきたんだ。商店街のハロウィン・パレード、一緒に出よう」


「ええー……」


「今年は暇でしょー? ねえねえ、一緒にでーよーう」


 そらきた。

 私の手を取って、駄々をこねる子どもようにすり寄ってくるみい。もう毎年の恒例行事だ。


「今日は家の用事があるから無理」


「あ、それなら心配ないよ。今夜は食事当番代わってほしいって、おばさんにお願いしといたもん。グラタンだってさー」


 グラタンかぁ。最近寒くなってきたし、きっと美味しいだろうな。

 ——だから。なんて言ってる場合じゃない。


「は? ウチに寄ったの?」


「うん。きょーちゃんは出た後だったけどね」


 通学路は被っているはずなのに、いつの間に追い抜かれたのか……。

 しかも、ママに許可を取り付けているなんて用意周到にも程がある。みいの本気度が垣間見えた気がして、ちょっと気圧されてしまう。


「と、とにかくハロウィンは無理。毎年言ってるでしょ」


「そんなこと言って! クラス替わってから、一度も付き合ってくれてないよ」


「う……。そ、それは——」


 みいの指摘に後ろめたさが先行する。

 勢いに負けて一歩一歩と下がっているうちに、あっという間に壁際に追い込まれていた。


「一生のお願いだよ、ねぇ?」


 みいは瑞々しく健康的な唇を尖らせて、私の目を覗き込むように身を乗り出す。

 両手に抱えたカボチャ越しに、みいの羨ましいほど軽めな体重がのし掛かってくる。試しに押し返してみたけど、肩をがっちりホールドされているせいで逃げられなかった。小柄なくせに、普段やんちゃしているせいか無駄に力がある。


 近い、近すぎだってば……。

 私は背にした張り出し窓の空間に向かって上体を反らせることで、何とか顔だけでも距離を空ける。そうでもしないと、息苦しくて落ち着かなかった。

 この状況は——、やばい。

 しかも、朝の廊下なんて、特に人通りの多い時間帯のこと。このままだとあらぬ噂が立ちそうだ。


 焦る私に助け舟が降臨したのは、そのときだった。


「みっちゃん、いつまでやってんだよー!」


「早くしないと一限遅れちゃうよ!」


 廊下の先で二人の女子が、みいを呼んでいる。片方がリコーダーを頭の上で振っているので、きっと音楽の授業だ。音楽室はここから遠いし、そろそろ移動しておかないと遅刻確定だ。

 そっちに気を取られたのか、みいの体からちょっとだけ力が抜ける。


「——ほら、急がないとやばいんじゃない? 滝本先生、遅れると怖いぞー」


「やだ! きょーちゃんがうんって言うまで、絶対離さない」


 首をぶんぶん振るみいは、完全に駄々っ子になっていた。こうなるとしつこい。


「何でそんなに拘るのよ。私じゃなくたって、一緒に行ってくれる子はいっぱいいるでしょ?」


「きょーちゃんとじゃなきゃ嫌」


「どうして?」


「ハロウィンだからね」


「何それ、意味分かんないって」


 肩を掴む手首に巻かれた腕時計を、ちらりと確認する。一限目がもう間もなく始まろうという時間だった。

 このままだと、みいばかりか私まで遅れる羽目になってしまう。一応優等生で通してるだけに、受験を控えたこの時期の遅刻は避けたい。みいを引き剥がしてこの場を収める最良の手は——、悪いけどこれしかないか。


「分かった分かった。放課後までに考えとくから、とりあえず離して」


「——絶対だよ?」


 みいは再び私の鼻先まで顔を近づけて囁いた後、渋々といった様子で離れてくれた。

 胸にのしかかっていた重みがなくなって、お腹の底にバランスの悪い虚脱感だけが残る。

 後でちゃんと断ろう。別に嘘を吐いたわけじゃない。そう自分に言い聞かせる。それでも、みいの「信じてる」と言わんばかりの眼差しが痛々しかった。


「約束したからね! 放課後迎えに行くから!」


「ちょっと、これ持って行きなさいよ!」


 言い残すと、みいはマントをはためかせて走り去った。私の両手に、巨大なカボチャ頭を残したまま。


 久しぶりにやってきたお祭り女は、今回も私を振り回す。そんな予感が頭を掠めた。




   ***続く***

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