青咲あやの

【1】

赤い焔がとても綺麗だった。

腕が落ちていた。肉片が飛び散っている。爛れた皮膚。黒く焦げている。もう人だともわからない。人が倒れている。血を流している。

私はその人たちを見殺しにした。否、そうするしかできなかった。体の感覚が無くなって、足が全く動かない。見ると足が血まみれになっている。私はそこで意識を失った。

もう何年も昔の記憶だ。



【2】

今日も私は天井を見上げるだけで何もできない。私だけが生き残ったというのに、私は自分の人生を有意義に生きてはいない。貴重な人生を溝に捨てている。白い部屋で、私は横になっていた。もうずいぶん長いこと外に出ていない。

 ここに来たのはずいぶん前のことだ。私は精神を病んで廃人同然になって入院している。何故か、記憶が消えて、体が重くて動かない。なぜこうなったのか理由も思い出せない。私は何もできない。

今日も家族は来ない。一ヶ月ほど前に来たきりだ。私は家族にとって重荷になっていると思う。私のことを気にかけてくれるのは、ただ一人だけ。


「調子はどうだ、元気にしてるか」

 彼は今日も会いにきてくれた。何故なのかはわからないけれど。

「まあまあかな。ここにいると退屈ですることがないんだ。でも君が来てくれて嬉しいよ。いつも暇だからね」

「そうか、俺と会うのは暇つぶしなのか」

「ごめん! そんなつもりじゃなかったんだ」

彼は唯一私に面会に来てくれる人間だ。三ヶ月ほど前、突然面会に現れた。私の知り合いだという。昔、私と仲が良かったそうだ。私は覚えていないけれど。以来、彼は毎日面会に来るようになった。面会の時間は、長い時もあったし5分ほどで帰ってしまうときもあった。けれども欠かさずに会いに来てくれた。

「君は元気? 最近仕事はどうなの?」

「大きな案件が終わったんだ。これで少しは余裕が出る。そうだ、近くの店でケーキを買ってきたんだ。お前、食べたいって言ってたよな」

「わー、スイートポテトだ‼ さすが、わかってるね‼」

 好みを反映した適切なチョイス。思わず笑みがこぼれる。

「ちょっとまってね、今切り分けるから一緒に食べよう」

 私はベッドの横の棚から紙皿を取り出してスイートポテトを取り分ける。甘い香りが漂ってくる。

「おいしいね。この中に入っているカスタードクリームが良いよね。さつまいもの味と絶妙にマッチしていて。とても、とても……ふわぁ、ごめん今日はもう休むよ……」

 とても疲れていたからか、意識が遠くなる。そのままベッドに倒れこんだ私に彼が布団を掛けてくれたことにも気が付かない。

「おやすみ」

彼は一言だけ残して部屋を後にした。



 ある日のこと、彼と一緒に外出した。近くの海が見える丘に出かけた。ベンチに二人ならんで腰かけて、夕日が海に沈んでいくのを眺めた。

「綺麗だね」

「ああ」

そよ風が気持ちいい。何時間でもこうしていられる。

「今日はお前に話したいことがあるんだ」

突然、彼が口を開いた。心なしか少し緊張しているようだ。

「どうしたの?」

「お前のことが好きだ。学生の頃からずっと好きだった」

「……え?」

予想外の言葉に驚きを隠せない。

「それってもしかしてプロポーズ? どうしたの、君らしくもない」

「茶化すなよ」

彼の顔が赤い。照れ隠しなのか険しい表情になっているのがとてもかわいい。

「でも私はこんな状態だし、迷惑をかけるかもしれない。本当に私で良いの?」

「大丈夫だ。俺がお前を支えるから。お前が元気になったら一緒に暮らそう」

彼は私の手を握った。本気なんだ。嘘みたいだ。

彼は私を助けたいと言った。毎日会いに来ると言った。一緒に支え合って生きていこうと言った。

「ありがとう。とても嬉しいよ」

それからというもの、幸せな日々が続いた。毎日が輝いて見えた。前を向いて生きていこうと思えるようになった。あれほど喉を通らなかった食事でさえ、ちゃんと食べられるようになった。

看護師さんにも「明るくなったわね」と言われるようになった。

ようやく、人生がいい方向に進んでいる気がした。




【3】

だが、どれだけ幸せになろうとしても過去から逃れることはできない。突然、悲惨な現実を突きつけられる。

部屋の外が騒がしかった。あわただしく人が行き来している。

「なにかあったんですか?」

私は同じ部屋のおばあさんに尋ねた。

「隣の部屋の子がね、首を吊ったそうよ。まだ若いのにねえ」

誰かが首を釣ったようだ。隣の部屋の若い女の子だった。彼女は癲癇持ちで、薬の調整のために入院しているようだった。作業療法のときに何度か話をしたことがある。学校に通えないことで悩んでいたらしい。

なぜなのかわからなかった。彼女は何も悪いことをしていない。なのになぜ苦しまなきゃならないのか。きっとこの世に神なんていない。いるなら殺してやりたい。

 頑張ったらいつか報われると信じている。良くなるための努力は全力でしてきたつもりだ。何度も、前を向こうとした。いつか希望の光が差すかもしれないと信じるときもあった。でもその信念さえも疑ってしまうときがある。どれだけ頑張っても無意味なのではないかと絶望することもある。

いい人でも、悪い人でも関係なく死んでしまう。あっけなく命を奪われてしまうことがある。何故なのかわからない。人の死を前にして、人生など無意味で無価値なものに思えてしまう。

そして私は普段押さえている記憶を思い出した。赤い炎が脳裏に浮かぶ。あの時、生き残ったのが私じゃなきゃよかった。今日死んだのが彼女ではなく私だったら良かった。なぜか生き残ったのは他の誰かじゃなく、こんな普通の生活さえも送れないような人間だったのだ。私じゃなければ、もっと有意義に使えたかもしれない人生。ボランティアでもやって、人助けに生きるべきだった。そうでなきゃ許されない。それさえできない私に価値はない。

頭がぐらぐらと揺れるのを感じた。私は普通の生活を送れない。こんな状態で生きていけるのかわからない。

 私が幸せになることは許されないという考えが何度も頭の中に浮かんだ。何度も何度も何度も何度も……。

それから私は彼が来ても面会を拒むようになった。私は普通の生活を送れないから、せめて彼には普通の暮らしを送ってほしい。私は自信がなかった。私自身は幸せに値する人間なのか。





【4】

 それでも彼は何度も面会に訪れた。私は彼と一緒に暮らすのに値しない人間だから、もう忘れてほしいと伝言を届けてもらった。あの夜から私は塞ぎ込んでいた。また食事も喉を通らなくなった。これが私なんだ。私の本当の姿を知られてしまったら嫌われてしまう。それが怖かった。それならいっそもう会わないほうがいい。

私がかたくなに会おうとしないので彼から手紙が届いた。一度だけでいいから話をさせてほしいと。悩んだ末、私は彼に会うことにした。ちゃんと話さなきゃいけない日がくると思ったからだ。


「話さなきゃいけないことがある。私はもう長いこと入院していて、何年も廃人のような生活を送っている。あなたと一緒に暮らせるとは思えない」

「そんなこともうわかってる」

「それだけじゃない。私は時々記憶が消える。過去のトラウマのせいなのかもしれないし、なぜなのかはわからない。自分が自分じゃないような感覚に陥るんだ。そのあいだ、私はとんでもないことばかりしている。自分をコントロールできない。暴言ばかり吐いて、普段の私じゃない。このままじゃ君に迷惑をかけてしまう」

「それでも俺は」

「もうだめなんだよ‼ 私はもう手遅れなんだ。こんな状態じゃ幸せな家庭を築けない。子供を産んで育てられる自信もない。あなたは子供が好きでしょう? 知ってるんだから」

彼の言葉を強引に遮ってたたみかける。

「それにあなたは私のことが好きなわけじゃない。私に同情しているだけだ。私はそんなあなたが大嫌いだ‼」

 心にもない暴言が口をつく。本当は好きで好きで仕方がないのに。なぜか私の心の中では憎しみと愛しさは同義らしい。それほどまでに、私は壊れていた。

彼は私のことを救えないと悟って、悲しそうな顔をした。

「そうか、そんなに俺のことが嫌いなら好きにしろ。でもな、そうやって嘆いてばかりじゃ前に進めないだろう。いいか、これから適切な治療を受けるんだ。そして、ゆっくり休め」

目の前にいる人間を救うことができないと悟った彼は悲しそうに言った。彼はその場を後にした。

自然と涙がこぼれてくる。きっと彼は私よりももっと素敵な人を見つけて、幸せに暮らすんだろう。そうであってほしい。私は「行かないでほしい」という本音を隠した。


これでよかったんだ。


その夜、私は病院を抜け出した。夜景が見たいと思って、ビルの屋上に足を踏み入れる。

もう私は生きることに疲れてしまった。

綺麗な景色だった。夜の明かりがキラキラと宝石のように輝いている。覚悟を決めるとこんなにも美しく見えるものなのだ。

ふわりと宙に浮く。その瞬間、私は自分の選択を後悔した。しかし未練を感じてももう遅い。地面にぶつかる音とともに、一人の人生が終わりを告げた。


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青咲あやの @ayanoooon

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