第2話 本能寺の変


 僕は仕事から帰って来て、暗闇の中でスマホをイジっていた。僕は名古屋に住んでいる。名古屋城の金の鯱を、茨城から引っ越してきた喜多嶋杏はでっかい溜め息を漏らしながら眺めていたが、37年も住んでいる僕は何とも思わなかった。

 僕や杏はトヨタ自動車の部品工場で派遣社員として働いていた。ボーナスなどなく生活は大変だ。

 電気をつけないのは節約のためだ。僕は実家に住んでる。このまえ、電気を点けっぱなしで寝てたらおふくろから『電気代どれくらいすると思うの!?生活費もっともらおうかな?』って叱られた。

 親父は商社マンをしていたが2年前に定年退職してる。

『タダだっちゃにしたんじゃないの?』

 深キョンがCMでやってるよね?東京ガスの3ヶ月タダになる奴。

『したけどさぁ……』

 スマホでゲーム『シムシティビルドイット』で遊んだ。無課金でもソコソコ遊べる。

 犯罪が多発していた。

 小学生の頃、スーパーファミコンで初期の『シムシティ』やったときは難しかった。ムシャクシャすると火災やら洪水やらを起こして街を破壊した。

 気がついたら僕は夢の中にいた。

 キタジマ・アンが鶴舞公園にいる。UFOが暗闇の空に飛んでいた。

 春から夏にかけては、桜、チューリップ、バラ、菖蒲、紫陽花と多くの花を見ることができ、4月から6月にかけては花まつりを開催する。特に桜については、さくら100選に選ばれるほどである。


 2009年(平成21年)頃から、公園内がコスプレを行うコスプレイヤーのメッカとなっている。屋内でも屋外でも撮れる撮影環境、名古屋市公会堂や噴水塔をはじめとする洋風の建物および茶室である鶴々亭をはじめとする和風の建物や日本庭園といった作品イメージに合う場所である点がコスプレイヤーの間で話題となり、ツイッター上で存在を広めた。東京や大阪からの遠征組による大規模な撮影会を行うこともある。週末には予約が集中し、抽選になることもあるという。2011年度のコスプレ撮影会は46日行われており、2010年度から比べて7割増となっている。

 2016年(平成28年)7月22日から配信された『Pokémon GO』で、園内に『ポケストップ』などが多く点在していることや噴水塔周辺がポケモンを捕まえるための『モンスターボール』の形に似ていたこともあり、Twitterを通じて『聖地』として取り扱われたことから大勢の人が訪れる事態になっている。僕も何度か行ったことがある。

 アンは背後からやって来たゾンビに食い殺されてしまった。


 目覚ましが鳴って僕は夢の世界から戻って来た。怖いけど面白い夢だった。夢はゲーム以上に面白い。シナリオがなく、どう展開するかは誰も分からない。鮮明に覚えてる夢もあれば、記憶に残らない夢もある。

「早く起きなさい!仕事に遅れるよ」

 階段の下からおふくろの声がした。親父はまだ寝てるようだ。作業着に着替えて階段を降りる。朝食は納豆かけご飯、目玉焼き、アサリの味噌汁、ポテトサラダだった。

 歯を磨いてるとLINETELが鳴った。

 相手は七瀬杏だった。彼女も派遣仲間だ。喜多嶋はアンだが、七瀬はアンズだ。

 うがいして電話に出た。

「おはよう」

《松本さん、よっ、よく聞いて?》

 彼女の声は震えていた。

「どうしたの?」

《喜多嶋さんが交通事故で亡くなった》

 僕は絶句した。

 

 この事故を受けて神奈川県警の内藤勇警部と鈴木りえ巡査部長は事故当時に現場近くを走行していた車両約260台を割り出して「断片的な目撃情報・回収したドライブレコーダーの映像」などを基に自動車運転処罰法違反容疑で捜査を行い、その結果「加害者の男が死亡した2人の女の車を強引に高速道路の追い越し車線上に停車させて事故を誘発した」と断定した。加害者の男は逮捕前に行われた任意の事情聴取で「被害者男性から『邪魔だ』と言われカッとなって追い掛けた」と発言していた一方で「女にあおられたり、パッシングされたりしたため停車した」と虚偽の説明をしていたが、ドライブレコーダーの記録などを精査し、被害者側の車にあおり運転・パッシングなどをした事実は認められなかったため「加害者が虚偽の説明をしている」と断定した。


 神奈川県警は逮捕前の捜査当初は同法(危険運転致死傷容疑)を視野に入れていたが「事故時に同容疑者の車が停車していた」ことから「運転する行為」が対象の同罪は「適用が困難」とされたために適用を断念し、同法(自動車運転過失致死傷容疑)で調べを進めた。その後、県警は2020年3月10日に被害者の車を停車させた加害者を自動車運転過失致死容疑で逮捕した。

 なお加害者は日ごろからロード・レージを繰り返しており、事件の2か月前にもロード・レージを起こしていたことが報道された。

 加害者の男は1982年(昭和57年)生まれで、事故時点および逮捕当時は37歳・群馬県太田市在住だった。


 事故前、加害者は事故現場から約1.4キロメートル(km)手前に位置する東名高速道路の中井パーキングエリア(PA)で自身の自家用車を所定の駐車場所以外に駐停車していたところ喜多嶋杏から注意されて逆上した。


 21時33分ごろ、加害者は東名高速下り線(54.1 - 54.8キロポスト)上で杏の友人、東条花音(事故当時39歳)が運転していたワンボックスカーに対し、通行を妨害する目的で被害者のワゴン車の前に割り込んで急減速したり、自車との衝突を回避すべく車線変更したワゴン車の進路を妨害するためその直前に車線変更するなど、約700メートルにわたって妨害行為を計4回繰り返した。


 21時34分ごろ、加害者はワゴン車を路上(下り線54.8キロポスト上・片側3車線道路の第3車両通行帯)に停車させ、降車してワゴン車に詰め寄ると、東条花音につかみかかり「高速道路に投げ入れるぞ!」「殺されたいか!」と怒鳴りつけ、花音の胸ぐらをつかむなど暴行を加えた。加害者は自身と同乗していた喜多嶋杏から「やめて!死にたくない!」と諫められたことで暴行をやめ、ワゴン車を離れて自車に戻ろうとしたが、その途中(21時36分ごろ)には後続の大型貨物自動車を被害者のワゴン車に追突させ、自車に衝突させる事故を誘発した。

 この事故により喜多嶋杏と東条花音が死亡した。

 

「太田市っていやぁ、スバルの工場があるんだ」

 七瀬杏が喜多嶋杏の葬式のあと、立ち寄った喫茶店で言った。杏の故郷のつくば市で式は行われた。窓の外は、筑波山が霧で霞んで見えた。鳶がクルクル旋回してる。

「詳しいじゃん?」

 僕はホットコーヒーにミルクを入れた。

 喜多嶋杏はお笑い芸人の『ミルクボーイ』が好きだった。

「昔、期間工で働いてたんだ。太田駅前の図書館はナカナカオシャレだったな?ときどき、館内でライブがあってね?『DJみそしるとMCごはん』が来てた」

「何それ?」

「え?知らないの?結構有名だよ?『スクランブルエッグ』とか、『白和え』とか、あと〜『牛乳かん』とか?」

「面白いタイトルだな?」

「太田駅にはラジオスタジオがあるんだ」

「へえー?大宮駅前にもアルシェってスタジオがあるよ?NACK5はそこで収録してんだ」

 僕は大野清太郎の番組が好きだ。車で通勤してた頃、よく聞いてた。

「ふーん、太田駅前には新田義貞の像があるんだ?」

「『タッチ』に新田ってキャラいるよね?」

「和也が轢かれて死んじゃうんだよね?電車だったっけ?」

「車だよ、話が変わっちまう」

「新田義貞は『太平記』に出てくるキャラだよ?野球選手じゃない」

「どーゆーゲーム?」

「ゲームじゃなく大河ドラマ、TSUTAYAで借りて見たんだ」

「誰が演じたの?」

「当初は萩原健一が演じてたけど、中耳炎を患って降板して、根津甚八に交代したんだ」

「2人とも死んでいる」

 ケンシロウみたいな口調で僕は言った。

「ショーケン、立ちションしてるときに刺されて死んだよね?」と、七瀬杏。

「あ〜、マカロニ刑事?『太陽にほえろ!』か?『太陽にほえるな!』って知ってる?」

「何それ?」

「『とんねるず』の番組のパロディ、石橋貴明のバミューダ刑事はウケたな?」

「あんまりお笑いみないからな?」

「喜多嶋だったら分かったかもな?」

 僕の心の中で『太陽にほえろ!』の『愛のテーマ』が流れた。悲しげなメロディーで、犯人が罪の深さに気づくときや、殉職した刑事を思い出すときに流れる。ちなみに僕はロッキー山脈で殉職したロッキー刑事が好きだ。

 根津甚八はヤクザ映画の『GONIN』とか、連続テレビ小説『ほんまもん』などに出ていた。


 3月20日、異変が起きた。工場のロッカーにネズミの死骸が入れられていた。

『必ずおまえを地獄に落とす』赤いマジックでメモが残されていた。僕は恐怖のあまりに震えた。仕事に身が入らず七瀬から怒られた。

「ぼ〜っとしてんじゃねーよ」

 その後も無言電話や車で轢かれそうになったり恐怖が続いた。その派遣会社の名前は『アポロン』という。『アポロン』に入るには魔術が使えないといけない。

 僕はパイロキネシスとかブリザード、天変地異を自由自在に操れる。七瀬は巨大化が使える。

 中国のせいで旅行が行けなくなった。サーズとかメチャ迷惑だったが、今度はコロナか?D大って中国の教授が生徒に拳銃向けたり、酷いことしてんだろ?毒餃子、パクリ、ヒドい奴らだ。製品に義歯が入ってたり。

 

 僕はベルゼブブボールペンで暴力に遭い片目が見えにくくなった。

 タイムスリップして剣客になった僕はとある宿場町にやって来た。

 その町はやくざの新田一家に支配され、人々は苦しい生活を強いられていた。 

 偶然知り合ったおあんの家に厄介になることになった僕は、賭場にておあんの弟である遊び人の地蔵と出会う。博打に勝った二人は、金を狙った村井と武智に襲われそうになる。二人はある商家の子供だったが、幼少時に盗賊に両親を殺害され、その親の仇を探して旅をしていると打ち明ける。一方、本能寺の変後出奔して職を失った浪人・信乃夫妻もまたこの町に流れ着き、彼は剣術の腕を買われて新田一家の用心棒を務めることになる。町の飯屋で僕と信乃は出会い、互いに相手の剣術の凄さを見抜くのだった。


 ある日、僕は賭場の博打のイカサマを見抜いたことから、新田と大殺陣を演じてしまう。やがて村井と武智の親の仇が新田一家の主人だと判明し、村井と武智は復讐を遂げるために新田一家に乗り込む。


 ゴリラみたいな顔をした男が村井と武智を刀で叩き斬った。僕は新田の仲間かと思ったが奴は新田のことも叩き斬った。

 無差別殺人!?このままじゃ僕もあぶないと思ったが、ゴリラは僕のことは斬らなかった。

「あー、腕が痛い」

 ゴリラの正体は内藤勇、神奈川県警の刑事だったがタイムスリップしてきたらしい。

 内藤は僕がこの世界の人間でないことを知ってるようだ。

「おまえだけは斬るなって七瀬って女から頼まれた」

 僕は一瞬、おあんを七瀬だと思った。背格好が瓜二つだ。

 ベルゼブブでのパワハラ事件のあと、僕は椎名探偵事務所にやって来た。脅迫者の正体について調べてもらっていた。事務所に来たのは4月20日のことだ。ベルゼブブに移ったのはこのままトヨタにいたらあぶないと思ったからだ。 

 事務所に入ろうとしたら黒いマスクをした奴に追われた。奴は鉄パイプで襲いかかって来た。探偵事務所の庭にはデカい穴が開いていた。僕は穴の中に逃げ込んだ。そしたら別の時代にやって来てしまった。

 僕は江戸時代かと思ったが、そこは戦国時代だった。

 喜多嶋杏は『電波』を操れた。彼女がいれば圏外とか関係なかった。昔、暴風雨でクローズドサークル化した島で殺人事件が起きたことがあった。僕はスマホが充電切れで困ったが彼女のお陰で本土と連絡がとれて助かった。

「おまえ、戦国の時代の人間じゃないもんな?こっちの世界の人間なら誰を殺してもいいらしいぜ?」

 そーゆールールか?僕のいる戦国時代は歴史の教科書に乗ってるのとは違うらしい。

「ここにいたの?」

 背後に七瀬が立っていた。

「久しぶりだな?」

「つい最近会ったばかりじゃない」

 信長が本能寺の変で倒れ、人々は安堵していた。魔王を倒した明智光秀に人々は感謝した。犯罪者を倒した潜入捜査官さながらだ。

「仙人から聞いたんだけど喜多嶋さんを生き返らせるには秀吉を倒すことが条件らしい」

「無理だろ!かなり強いだろ」

 けど、もし倒せたら喜多嶋にまた会えるな?

 話は唐突に変わるが、ニューヨーク州立大学のジョン・シェーピン教授により電脳とも取れるラットに電極をつけた実験が既に行われている。ほか、ラットの脳の海馬を解析して人工海馬を作る実験も行われている。現在こうした研究は、工学分野ではブレイン・マシン・インタフェースという名で知られており、障害を持つ人々の生活をサポートすることを目標に、脳とコンピューターを接続するための基盤技術の開発が進められている。攻殻機動隊などで、脳の情報処理をセンシング,制御する役割を担っていたマイクロマシン(特に環境に散布されるスマートダスト)も実用化が近い。

 光秀は何故、信長を殺したのか?

『キンカン頭』と禿げてることをバカにされていたらしい、さらに徳川家康を安土城に招待した際に馳走役(料理の総責任者)に任されるが魚が腐ってたとかで信長にパワハラに遭っている。

 『明智軍記』に、信長の出陣命令を受けて居城に戻る際に光秀のもとに上使として青山輿三が訪れ、「(まだ敵の所領である)出雲・石見の二カ国を与えるがその代わりに、丹波と近江の志賀郡を召上げる」と伝えたという話があり、それを聞いた光秀主従が怒り落胆して謀反を決断したという。

 僕も光秀みたいに佐々木を殺しちゃおうかな?佐々木ってのはベルゼブブのパワハラ野郎だ。

 天正10年(1582年)5月14日、織田信長は(『兼見卿記』によれば)安土城に下向した長岡藤孝に命じ、明智光秀を在荘として軍務を解くから翌日に安土を訪れる予定の徳川家康の饗応役を務めるようにと指示した。

 そこで光秀は京・堺から珍物を沢山取り揃えて、15日より3日間、武田氏との戦いで長年労のあった徳川家康や、金2,000枚を献じて所領安堵された穴山梅雪らの一行をもてなした。ところが、17日、備中高松城攻囲中の羽柴秀吉から毛利輝元・小早川隆景・吉川元春の後詰が現れたので応援を要請するという旨の手紙が届いたため、信長は「今、安芸勢と間近く接したことは天が与えた好機である。自ら出陣して、中国の歴々を討ち果たし、九州まで一気に平定してしまおう」と決心して、堀秀政を使者として備中に派遣し、光秀とその与力衆(長岡藤孝・池田恒興・高山右近・中川清秀・塩川長満)には援軍の先陣を務めるように命じた。ただし『川角太閤記』では、単なる秀吉への援軍ではなく、光秀の出陣の目的は毛利領国である伯耆・出雲に乱入して後方を撹乱することにあったとしている。ともかく、光秀は急遽17日中に居城坂本城に戻り、出陣の準備を始めた。


 戦後、明智勢は信長の遺体をしばらく探したが見つからなかった。光秀も不審に思って捕虜に色々と尋ねてみたが、結局、行方は分からずじまいだった。(『祖父物語』によれば)光秀が信長は脱出したのではないかと不安になって焦燥しているところ、これを見かねた斎藤利三が(光秀を安心させるために)合掌して火の手の上がる建物奥に入っていくのを見ましたと言ったので、光秀はようやく重い腰を上げて二条御新造の攻撃に向かった。


 後世、光秀が信長と信忠の首を手に出来ずに生存説を否定できなかったために、本能寺の変以後、信長配下や同盟国の武将が明智光秀の天下取りの誘いに乗らなかったのであるという説がある。後の中国大返しの際に羽柴秀吉は多くの武将に対して「上様ならびに殿様いづれも御別儀なく御切り抜けなされ候。膳所が崎へ御退きなされ候」との虚報を伝え広めたが、数日間は近江近在でも信長生存の情報が錯綜し、光秀が山岡景隆のような小身の与力武将にすら協力を拒まれたところを見ると、それが明智勢に不利に働いたことは否めない。


 日本の木造の大きな建物が焼け落ちた膨大な残骸の中からは、当時の調査能力では特定の人物の遺骸は見つけられなかったであろうと、未発見の原因を説明する指摘もある。『祖父物語』によれば、蘭丸は信長の遺骸の上に畳を5、6帖を覆いかぶせたと云い、前述の宣教師の話のように遺体が灰燼に帰してしまうことはあり得ることである。


 北北東に1.2キロ離れた場所にあった妙覚寺(旧地・上妙覚寺町)の信忠は、光秀謀反の報を受けて本能寺に救援に向かおうと出たが、村井貞勝(春長軒)ら父子3名が駆け付けて制止した。村井邸(三条京極・旧春長寺)は現在の本能寺門前にあったが、当時の本能寺は場所が異なる為、東に約1キロ離れた所にあった。前述のように本能寺は全周を水堀で囲まれて、特に西洞院川に遮られる東側からの接近は困難であり、四門を明智勢に囲まれた後では容易に入る事はできなかった。そこで彼らは二条通の方に向かって、妙覚寺に馳せ参じたのである。


(『信長公記』によれば)春長軒が「本能寺はもはや敗れ、御殿も焼け落ちました。敵は必ずこちらへも攻めてくるでしょう。二条の御新造は構えが堅固で、立て籠もるのによいでしょう(本能寺は早落去仕、御殿も焼落候、定而是へ取懸申すべく候間、二條新御所者、御構よく候、御楯籠然るべし)」と言うので、信忠はこれに従って隣の二条御新造(二条城)に移った。信忠は、二条御新造の主である東宮誠仁親王と、若宮和仁王(後の後陽成天皇)に、戦場となるからと言ってすぐに内裏へ脱出するように促した。春長軒が交渉して一時停戦し、明智勢は輿を使うのを禁止したが、徒歩での脱出を許可した。脱出したものの街頭で途方に暮れていた親王一家を心配し、町衆である連歌師里村紹巴が粗末な荷輿を持ってきて内裏へ運んだ。阿茶局や二宮、御付きの公卿衆や女官衆もすべて脱出したのを見届けた上で、信忠は軍議を始めた。「退去なさいませ」と脱出して安土へ向かうことを進言する者もあったが、信忠は「これほどの謀反だから、敵は万一にも我々を逃しはしまい。雑兵の手にかかって死ぬのは、後々までの不名誉、無念である。ここで腹を切ろう(か様之謀叛によものがし候はじ、雑兵之手にかゝり候ては、後難無念也。ここに而腹を切るべし」と神妙に言った。(『当代記』によれば)信忠が毛利良勝、福富秀勝、菅屋長頼と議論している間に、明智勢は御新造の包囲も終えて、脱出は不可能となった。

 

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