第3話 夢の渡り人

 聞けば、ヴィンセントドラゴンファームは王国の竜騎士たちが乗るためのドラゴンを育成している牧場らしい。

 なんというか、実家が乗馬クラブのレージとしては妙な親近感があった。


「朝は日の出と共に竜房掃除とドラゴンの朝飯だ。俺たちも朝飯食ったら、次はドラゴンの馴致。これが終わったらドラゴンの昼飯。俺たちの昼飯もこのタイミングで食って、午後はドラゴンの水浴びさせたりとか道具の手入れとか、日によってやることは違う。まあ自由時間を作ることもできるだろうよ。日暮れ頃にドラゴンの晩飯。そんで俺たちも晩飯だ」


 というサイクルらしい。

 これは乗馬クラブの仕事と大きな差異はない。

 一番の違いは、ドラゴンは体の手入れをそこまでしなくて良いということだ。

 馬はちゃんと手入れしないと病気になりやすい。そもそも馬は汗をかくが、ドラゴンは汗をかかないのだそうだ。

 おそらく、蛇とかトカゲに近いのだろうが、レージはそこまで爬虫類の知識がない。

 テルの父親――オーイツが言うには、少なくともここにいるドラゴンの種類は賢くて大人しく、従順な生物なんだそうだ。勝手に獰猛で人を食い殺してしまう生物と思っていたが、違うらしい。



 一晩明けて、自然と目を覚ましたレージは窓の外を見る。日の出はまだもう少し先で、辺りは薄暗い。

 体内時計で目覚めたということは、おそらく朝の4時くらいだろう。もちろん時差とかなく、地球と同じ24時間で時計が動いている場合に限るが。

 堅めのベッドがひとつあるだけの殺風景なこの部屋には、当然のように時計がなく、時間を確認する術はない。

 まだ起きるには早いものの、二度寝する気にもなれずゆっくりと体を起こした。


「この世界で目覚めるのはこれで3度目か……」


 手をグーパーと握ったり開いたりして、この世界に生きていることを確かめる。

 この先のことはわからない。ただ、生きるチャンスが与えられたのだと思って、ひたむきに生きていくしかないと思う。

 油断すると涙が出そうな目をぎゅっと閉じ、掌を握り締め、まだ迷いのある思考をいったん封印する。

 とりあえず顔を洗うために家の外に出る。

 外から家を見ると、田舎のロッジという感じだ。屋内も木の匂いが香る、ある意味落ち着く空間だった。

 大きな厩舎が2棟あり、1棟だけでも家よりもずいぶん大きく、オーイツの話によるとドラゴンを40匹(ドラゴンの数え方が定かじゃないが)飼っていると言っていた。

 家と厩舎の間にある井戸で水を汲み、顔を洗った。水が冷たく、体に染み渡るように一気に目が覚める。


「あれれ、早いね」


 背後から声を掛けられた。

 少し汗ばみ、息も荒れているテルだった。


「いや、テルの方こそ。おはよう、なんかしてたの?」


 テルは大きく息を吐いて、呼吸を整えた。


「おはよ。ちょっと、朝の鍛錬をね」

「鍛錬?」

「そ、鍛錬だよ」


 ドラゴンに乗るにはなにか鍛錬をしなければいけないのだろうか?

 レージも筋肉が付きすぎない程度には筋トレしていたが、やはりドラゴンに乗るには相応の力が必要なのかと思う。

 ふと視線をテルの右手に移すと、そこには槍が握られていた。

 槍、初めて見た。鋒は無骨な鉄の塊といった感じで、なにかを貫くには心許ない鋭さだ。おそらく、質の良い槍ではないのだろう。

 ただ、少しだけレージの胸が躍った。本当にファンタジーの世界なんだと。


「槍の練習?」

「うん。私、竜騎士志望だから」


 りゅうきし?

 昨日聞いたばかりの単語に、一瞬理解が追いつかない。

 馬みたいにドラゴンに乗れるんだったら、騎馬兵ならぬ竜騎兵という兵科があるってことも頷ける。

 ただ、こんな華奢であどけない女の子が竜騎士を目指しているというのが不思議だった。

 昨日の話では帝国から侵攻を受けてるとかなんとか言ってたと思うが、国を守りたいということなのだろうか。


「テルはなんで竜騎士になりたいの?」

「それは……今は内緒かな」


 そりゃそうだよね、と質問しておいてレージは思う。

 レージとテルは昨日出会ったばかりで、まだ夢を語るような仲ではない。


「それよりも、レージもこんな朝早くに起きてさ、眠れなかったの?」

「いや、むしろぐっすり寝れたよ。なんていうか、これくらいの時間に起きるのが日課なんだよね」

「日課ってことは、レージは《夢の渡り人》だから元の世界でもこんな早起きしてたってことだよね?」

「あ、ちょっと待って。その《夢の渡り人》ってなに?」

「そっか。なんの説明もしてなかったよね」


 テルはてへへと笑う。


「《夢の渡り人》は有名なおとぎ話のひとつなんだけど、この世界じゃないどこか遠い世界からやってきた旅人のお話だよ。旅人はこの世界のことを何も知らないんだけど、元の世界での知識を活かしてこの世界に恩恵を与えてくれるんだ」

「恩恵……?」

「そう。農業とか家の建て方とか」

「へえ、その旅人は最後どうなっちゃうの?」

「うん、その旅人は結局お姫様と結婚して、幸せに暮らしたとさって終わり方なんだ」


 そっか、とレージは軽く頷いた。

 旅人は自分の世界に帰れなかったんだ……。

 でも『幸せに暮らした』というのは、おとぎ話ならではの終わり方だとしても、今のレージにとっては少し明るい話だった。

 自分はきっと元の世界に帰れないし、すでに元の世界に居場所はないのだろう。

 でも、この世界には居場所があるかもしれない。それに、他にも同じ境遇の人がいるかもしれない。

 そう考えると、つい昨日のショッキングな出来事だったけど、なんとなく飲み込めるような気がした。

 少し、前を向けるような気持ちになれた。


「テル、ありがとね」

「え、なにが?」

「オーイツさんもそうだけど、おとぎ話を信じて、俺をわざわざ居候させてくれるんだもん。たしかに共通するところがあるし、自分が本当にそうかどうかはわからないけど、《夢の渡り人》について知れてよかったよ。その旅人みたいに、自分ができることで少しでも恩返しができたらって思ってる」

「レージはマジメだねぇ。でも、どういたしまして」


 少し照れ臭そうに、テルは可愛く笑った。


「それで、日課の話だけどさ。俺は元の世界で乗馬クラブ、いわゆる馬の牧場のようなところで働いてたんだ。あ、馬ってこの世界にもいるかな?」

「うーん、ウマって生き物はいないかな」

「そっか。飛ばないドラゴンというか、人を乗せてくれる生物なんだよね」

「じゃあ地竜の一種のムシュフシュみたいな感じかな。そんなに体は大きくないけど、すごく足が速いんだよ」

「へえ、きっとそんな感じだと思う」

「生き物のお世話を元々してたんだったら、たぶんここの生活にもすぐに慣れると思うよ!」

「そうだといいんだけど……。とりあえず、最初の課題はドラゴンが怖いってことかな……」


 少し恥ずかしいけど、率直な感想を述べる。

 いくら大人しいとか言われても、馬よりも大きく、肉食で歯もギザギザ。目も鋭いし、爪も鋭い。反抗されたら簡単に殺されそう……。


「じゃあさ、ちょっと早いけど竜房掃除がてら、ドラゴンを見に行こうよ」


 ちょっとずつ慣れればいいじゃないと言って、テルは槍を井戸に立てかけ、レージの手を取った。

 それに逆らうこともなく、レージは厩舎へと足を踏み入れた。

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