第2話
二人は大学の校舎を出ると、近くの定食屋に入った。昼間は学生で賑わう店内も、夜は客層ががらりと変わる。
「今日たまたまだったのかな? 俺の隣に座ったのって……。俺のことどう思うかは勝手だけど、俺は君のこと気になるなぁ……」
陵はメニュー表を開きながら、喋り出す。彼女をちらっと見ながら、再びメニュー表に視線を戻す。
「俺は君と付き合ってもいいかな……なんて――」
陵の言葉を覆い被さる様に彼女は――
「偶然じゃないわ。あたしは陵君に会おうと思って隣に座ったの」
頬杖をつきながら、彼に視線を送る。
「へぇ……俺に興味ある?」
「興味も何も、すごい人だなぁって思ってた」
「それってどっちのすごいって意味?」
その一言を告げた途端に、タイミングよく店員さんが声を掛けてきた。
「あの、早く決めていただけますか?」
いつの間に二人だけしかいない店内に響き渡る冷たい一言で、空気が一掃される。
「……親子丼、二つで」
「……ふふっ」
隣で急に静かに笑い出した彼女の名前を、まだ聞いていなかった。
陵は水を一口飲み、彼女の名前を聞き出そうと再び声をかける。
「そういやまだ名前聞いてなかったんだけど」
「
「ははっ……。君からそう言ってくれて嬉しいな」
親子丼が二つテーブルの上に置かれ、冷めないうちに食べようと、早速お箸を一膳、翠白に渡す。食べながら、陵は匝瑳教授に呼ばれた件を改まった態度で話す。
「約束された未来って言ってもまだ仮の話なんだけど、俺は賛同したんだよ。で、条件が良かったんだ」
「条件?」
「俺がその技術を提供する代わりに、莫大な研究費用を用意するって。つまり金の話さ」
「……。その研究をする施設って今あるの?」
「もうすぐ出来るみたいだよ。他にも様々な分野の人材を集めている最中らしいんだ…」
「ふーん……そうなんだ」
翠白は相槌を打つと、親子丼を一口食べた。
「翠白さんには直接関係ない話だよ」
「そう、ね。……あのさ」
「ん?」
「名前で呼んでよ。付き合ってるんだから」
「え? いきなり? 付き合い始めてまだ一日も経ってないのに、いいのかい?」
「時期って関係あるの?」
陵の箸が止まった。彼女の言い分に目を丸くし、その場で一旦、頭の中で状況を整理し始めた。彼女の返事の答えはもうわかりきっていることだ。さん付けで呼ぶには、ふさわしくない女なのだろうと彼は思い至った。
「……さては、本当に俺のこと気に入ってんのかな?」
「さぁ……。付き合ってみなきゃわからないでしょ」
二人は定食屋で夕食を済ますと、駅の方へと歩いて行く。
行く途中で、翠白は携帯電話に不審な着信履歴があることに気づく。
歩きながら、携帯電話を確認し――
「家ってどこなの?」
と、陵に言った。
「近いよ。もしかしてもう俺の家に泊まる気?」
「別に。今日はもう帰るけど、何かあったらまた連絡するね、莞爾くん」
最後に付け加えられた台詞が、頭の中で再度再生される。
下の名前で呼ばれたのはこれが初めてであった。いつの間にか駅に辿り着いた。
陵は僅かに顔が綻びてしまっていた。隠しきれない感情が声になって露わになる。
「あぁ、うん。俺からも連絡していいかな? またあのゼミで会える?」
声のトーンが少し上がっているような気がした。翠白は嬉しそうに――
「もちろん。また学校でも、それ以外の場所でも」
そう告げた。陵は彼女に最高の笑顔を向けられ、お酒も飲んでいないのに少し酔った気分でいた。彼女の色気というものに陶酔しているのかもしれない、と。
「それじゃ、俺あっちのホームだから。また……な」
「バイバイ」
駅の改札口を抜けて、大きく手を振る彼女に陵は〝本気になる〟とはこういう気持ちなのかと、今までの経験をあさはかだと感じてしまった。
――彼女は特別だ。
翠白は帰路に着く。すると彼女の玄関のドア付近には、彼女を家に入らせまいとある男が立ち塞がっていた。翠白は電話を掛けてきた男だとすぐに気づいた。
「……何で貴方がここにいるのよ」
「悪いが、もう一度だけ働きに戻ってきてくれないか?」
「戻る気はもうありません。帰って下さい!」
「そう言わず、話だけでも聞いてくれねぇか?」
「学校で忙しいんです!」
日付が変わる頃に、二人は短い口論になってしまった。翠白は、自分の自宅前で声を上げる男を横目に、慌てて玄関の鍵を素早く開けた。彼が早くこの場を立ち去ってくれる様、鬼の形相で彼を睨んだ。
「慈ちゃ――……!」
バタンと勢いよくドアの閉まる音がした。
切っても切れない縁というものがあると、翠白は身を震わせながら玄関の内側にもたれる様にしゃがみ込んで泣き崩れてしまった。
「……――っ……」
――誰かに相談するべきなんだろうか……。
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