闇に魅入られた者の行方《陵莞爾―過去篇―》

メラミ

第1話――プロローグ

 彼女との出会いは、もう一昔前のことだ。

 彼は教壇から七段上がった所の、中央に座っていた。

 右端の座席から中央側に向かって、彼女は声を掛けてきた。


「隣いいですか?」

「どうぞ」

 彼は気さくな声で応答した。

「ありがと」

 彼女は返事をすると、彼の隣に座る。座ると同時に微かに甘い香りが漂った。彼女と視線が一瞬合い、彼はボイスレコーダーとルーズリーフ用の紙を一枚取り出している彼女に一言告げた。


「君わかってるね。彼の講義は一回聞いただけじゃ理解できないものだよ」

「そういう貴方は、何も取り出してないのね」

「俺はもう出席点取るだけでいいからね。約束された未来が待ってるから」

「何それ? どういう意味?」

「授業が終われば、そのうちわかるよ」

 彼女との会話がひと段落すると、講義が始まった。

 出席はテーブルに内蔵された赤外線に、学生証をかざせば通る仕組みになっている。彼は授業が始まる五分前に学生証をかざし、出席を済ませていた。彼の隣に座る彼女は、忘れていたと気づき始めると、マイクを手に取った教授の視線を余所に、慌てて学生証をかざした。


「五分過ぎれば遅刻だなんて、厳しいよねー。気づいてよかったな、お前」

「ちょっと静かにしてて」

 二人の何気ない会話も、彼女のボイスレコーダーには、無論録音されてしまう。

「君、名前は?」

「……」

「血液型は? あ、家どこなの? 学校から近い?」

「……」

 彼は授業に集中したい彼女に構わず話しかけ、彼女の容姿と香りに惑わされる様に、次から次へと言葉を投げ掛けてくる。


「俺の隣に座ったってことは、俺の事どういう人か理解して来てるって事だよね?」

「さぁ……」

「君は、他の女性と何か違って真っ直ぐだね」

「口説いてるの? それ」

「この学部に来たって事は、何か目的でもあるのかい?」

「目的? 目標でもないわ……。ただ成りたい職業に就くためだけに来た。それだけの事よ……」

「今のその言葉と視線が真っ直ぐに見えただけの事かな」

 彼女は彼の気怠そうな声に、自分の心の中を抉られたかの様な不快感を覚えたと同時に、先程の『彼に約束された未来』とは何の事なのか気になっていた。


 講義が終わり、教授が一言こう告げた。

「あと、陵莞爾みささぎかんじ。論文の事で話があるので残りなさい」

「はーい……」

 教授に聞こえない様に、彼はその場に居座り小声で呟いた。


 彼女は講義が終わった後も、彼の側を離れなかった。

「約束された未来って何の事?」

「教授が代わりに代弁してくれるだろ。話すと長くなる」

「……陵君。隣の彼女は?」

「あー気にしないでください。俺の彼女です、彼女」

「え!?」

 彼女は怪訝そうな顔をし、隣にいる彼を見つめた。


「相変わらずだな。まぁ良い。本題に入ろう……」

 そう言うと教授は、ノートパソコンを開き、彼の方へ画面を向けて見せた。

「なぜ私に提出する前に、この記事が出てるのか説明してもらおうか……」

「匝瑳教授、俺はもう覚悟を決めたんです。口出ししないでもらえますか?それとも退学処分になるような問題ですか?」

「彼に直接会ったのか?」

「いいえ。文面だけのやり取りですけど」

 飄々とした態度で、彼は淡々と言い返す。


 画面に映し出されていたのは、彼の実験レポートがある男に売りに出されていた内容の記事だった。『一羽の虫の羽を蘇生させた事例を人体に応用しようとする動き』がある事に、懸念を示す内容でもあった。


「あの日の授業内容もうまとめてたの?」

 彼女は信じられないと言った表情をし、パソコンの画面を眺めていた。

 溜め息をつきながら、更に彼は教授を睨みながら言葉を付け足した。

「もう貴方から教わる事は何もありません。今までお世話になりました」

「気が早いよ、陵君。それよりあの男には気をつけてくれ給え」

「大丈夫ですよ。卒業するまではなんとか居させてもらいますから」

「……」


 あの男というのは、記事に掲載れていた名前かもしれないと彼女は確信した。

 ――氷峰駈瑠ひょうみねかける……。

 彼女は二人の会話に入ることなく、その場を立ち去ろうとする。その時――


「あ、ちょっと待ってくれる? せっかくだから少しだけ話しながら帰らない?」

 彼は堂々と振り返り、彼女の足を止めた。彼女は階段を上がった所の出口に立っていた。もう一度だけ彼の姿を見下ろした。

「……いいよ」


 噂に聞いたが、本当に彼は女癖が悪いという所までは信じていたが、あとはわからない。付き合ってみなければ、その立ち振る舞い方も、本心かどうかはわからないと思っていた。

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