感謝感激雨あられ、のちに晴れ

女良 息子

感謝感激雨あられ、のちに晴れ

 その日の天気は世界の上下と左右が逆さまになったんじゃないかと思わされるくらい激しい暴風雨だった。

 雨粒が窓を強かに打っており、突風はアパートを根元から倒しそうな勢いで吹いている。

 空を見れば雲の切れ間ひとつなく、地上には薄暗い闇が横たわっていた。絶え間なく降りしきる雨と合わさって、視界不良を生み出している。

 あらゆる条件が狙撃に向いていないシチュエーションだ。

 しかし私は淡々と狙撃の準備を始めていた。


「今日という日を迎えられたのを神に感謝しないといけないな」


 不明瞭な世界は私の存在を隠してくれるし、雨と風の合奏はたとえ銃声が鳴っても埋もれさせてくれる。風速三十メートルの中でも標的を撃ちぬける狙撃の腕を持っている私にとっては、むしろ絶好の狙撃日和といえるだろう。

 狙撃銃を組み立てて、窓に近づく。そこから見える高級ホテルの最上階には灯りがついていた。こんな天気にも関わらず開催された地元貴族のパーティ会場だ。

 豪奢な服に身を包んでいる金持ちどもの中に、ターゲットである彼女の姿も見えた。外の悪天候なんて知らないとばかりにワイングラスを悠々と傾けている。これから撃ち殺される自分の運命すら知らないのだろう。

 彼女はパーティ参加者となにやら談笑していた。口元に浮かべる微笑は上品な美しさがあり、それひとつで多くの人間の心を魅了できるだろう。それでいて腹には真っ黒な性悪が渦巻いているのだから恐ろしい。『魔性』を絵に描いたような女だ。

 私の大切なひとも彼女に狂わされた大勢のひとりだった。

 

「…………」


 無言で照準を合わせる。

 ここに来るまで数々の困難があった。彼女の居場所を突き止めるだけでかなりの時間がかかったし、暗殺の準備を整えるのにも苦労を要された。だが、その過程で自分に狙撃手としての才能があることを知られたのは大きな収穫だった。


「その点では彼女に感謝すべきなのかもしれないね」


 言った直後に首を横に振る。

 いかなるものであれ、彼女に感謝の念を送るなんて虫唾が走る。送るものは銃弾だけで充分だ。

 復讐を志さなければ気付かなかった才でもって、あの美貌を打ち砕いてみせようじゃないか。

 彼女はこちらに気付いていない。それでいい。

 私は息を止め、引き金に指を添えた。


「さようなら」


 別れの言葉は届かない。

 引き金は静かに絞られた。



 雨足が弱まるどころかますます強まっている空の下。

 ぬかるんだ地面を蹴りながら、私は街を去っていた。

 背後に見えるホテルは今頃大騒ぎだろう。早くも犯人の捜索が始まっているかもしれないが、見つかるはずがない。天から降り注ぐ大量の雨が私の足跡を綺麗さっぱり洗い流してくれるからだ。つくづく私に味方してくれる天気である。

 私の心には曇天の空とは真逆のからりとした爽快感があった。その心に後悔も罪悪感もない。むしろ美神が直々に鑿を握って削りあげたかのごとき彼女の美貌をこの手で破壊できたという事実に心が躍っている。逃亡中の身でなければ、このまま歌でも歌いながら踊りたいくらいだ。

 西の空を見ると晴れ間が見えた。どうやら暴風雨はあそこで途絶えているらしい。

 光の差す方に向かって、私は足を踏み出した。

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感謝感激雨あられ、のちに晴れ 女良 息子 @Son_of_Kanade

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