どんでん返しができない
千石綾子
どんでん返しができない
私たちは焦っていた。
今日は土曜日。私たちが務めているレストランはランチのお客様でごった返している。レストランにとってランチはそれなりに大事な収入源だ。利幅は少ないが回転率が良い。
しかし今日は真ん中の席に座っているカップルがなかなか食事を終えない。一組くらいいいだろうと思うかもしれない。しかしそろそろ夕方の5時になる。
うちのお店は6時からディナータイムだ。それまでに一旦店を閉めてテーブルクロスも替え、花を飾るなどしてしつらえも揃えて再びオープンするのだ。そのことを我々は「どんでん返し」と呼んでいる。
「ねぇねぇ、早く帰って貰えないとどんでん出来ないよ」
同僚がそわそわとし始めた。彼女は完璧主義者なので、時間に余裕を持ってどんでん返しをしたいのだ。私だってバタバタするのは嫌だ。気忙しいから。
普通ならこういう時、あまり遅いお客様には「そろそろランチタイム終了のお時間ですので」と声がけして帰って頂くのだが。
どうやらこのカップル、事情がありそうなのだ。カップルが、というよりも彼氏の方なのだが。
ランチタイムだというのにビシっとスーツでキメて、やたらそわそわしている。たまに胸の内ポケットを外から触っているのを見ると、どうやらここで今プロポーズをしようとしているらしい。
「ランチでやるなよランチで。ディナー予約しろってんだ」
バイトの先輩が不満げに声を上げるが、だからといって声掛けをしようとはしない。ここにいるスタッフの全員がプロポーズ大作戦を固唾を飲んで見守っている。
折角ならば成功して欲しいに決まっているから。
時間は5時半。他のお客様はとっくに帰って、このカップルだけになっていた。お皿も全部下げてテーブルの上には水だけがある。その水を何度も飲んで男は緊張をほぐそうとしているようだ。彼女の方はというと、さすがに退屈そうにあたりをきょろきょろし始めた。
まずい。プロポーズなんて雰囲気じゃなくなっている。我々スタッフはやきもきして見守るだけ。
そこにマネージャーが突然現れた。
「おい、何やってるんだ。早く帰って頂いてディナーの準備に入りなさい」
ますますまずい。彼氏よ、今すぐ告白してしまいなさい。私は心の中でそう思った。
「ねえ、ここ私たちだけになっちゃったよ。出ないとまずくない?」
遂に彼女にそう言わせてしまった彼氏。何を思ったか私に向かって言い放った。
「す、すみません、水お代わりください」
み、水ー?!
ここに来て水のお代わりとか空気読めてないこと山の如しだ。でも仕事だから水を注ぎに行った。その場で流石に声掛けしようかと思って口を開いた時。
彼氏がぐいっと水をあおって、胸ポケットに手を伸ばした。
すると。
「待ちなさいよ」
彼女の方が鋭く言う。固まる彼氏。固まる私たち。
「あなたって仕事では失敗ばかりだし、約束すれば遅刻するし、家に遊びに行けばゲームばかりしてるし」
彼女の指摘がズバズバ当たっているのか、彼氏は一言も返せない。
「今日だってランチでプロポーズってどういうことって思ったけど、お金もないだろうから仕方ないって思って待ってたのよ。なのにグズグズグズグズ……」
正論だ。正論すぎる。これは断られても仕方ないよ彼氏。人生諦めが肝心だ。
「だからあなたには私がついててあげないとホント、だめなんだって思ったのよ」
彼女は彼氏の懐から小箱を奪取して開けると、自分で自分の指に指輪をはめた。
彼氏はぽかーんと眺めている。私たちもぽかーん。
「あなた私と結婚しなさい、いいわね? 嫌とは言わせないんだからね」
指輪をはめた拳を彼氏の顔に突きつける彼女。カッコよすぎる。
ここで同僚が思わず拍手した。私も先輩もつられて拍手。マネージャーまで。
大喝采の中、彼氏泣きながら彼女に手を引かれて店を後にした。どっちが男か分からないけど、こんなカップルもきっとありだよね。
この後店のどんでん返しが死ぬほど忙しかったのは言うまでもないけど、幸せそうだったから許すことにしよう。
了
(お題:どんでん返し)
どんでん返しができない 千石綾子 @sengoku1111
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます