雪山の夜【短編】

瀞石桃子

第1話



お題が発表されてから、かれこれまる1日経過した。

目の前のまっさらなA4用紙を見つめていても、何も思い浮かばなかった。

気晴らしにパラパラと過去のテキストを読み返してみる。

祠、印象の丘、幻想の回転木馬、再開、最下位、主人公の葛藤、片割れの消失、展望台、喜望峰、二階から塗り薬、ビー玉の海...。

乱雑な文字列がびっしり書き込まれていた。思いついたこと、ピンと来たことをまとめたアイデアの宝箱だ。

しかしそれらは限定的なものが多くて、なかなか日の目を見ない。かと言って、無理くり詰め込もうとすると、物語がちぐはぐになってしまう。結局どっちらけになって、大風呂敷を拡げた状態で自己完結してしまう。


物語は自然と完結するものなのか、はたまた書き手が完結させるものなのか、これは僕にとってのひとつのテーゼなわけだけど、おそらく質の高い物語というのは前者であるような気がしている。もちろん、大前提には書き手の器量がどっしりと構えていて、小説特有の独り歩きをいい塩梅に調節していくものなんだろうと思うけど。

「違う、そうじゃなくて」

話の論点がズレていることに気づいて、僕はついつい否定の言葉が口をついて出た。

すると、何がそうじゃないんだ、という声が背後から通りかかった。声のほうを振り向くと僕の友人の一人である宇都宮くんが真顔で立っていた。彼は巾着袋を持っていて、中から弁当箱を取り出して、僕の向かいの席に座った。

「で、どうさ。話は進んでいるの?」

宇都宮くんはざっくりと聞いてきた。今聞かれて一番痛いところだった。

正直に、全然だよ、とは言いたくないから、僕は学食の外まで並んでいるのんきな学生たちを横目に見ながら、ゴールは決まっているんだ、と言った。

「ほう」

僕の返答に興味を示したらしく、宇都宮くんは弁当箱を開け始めた。

「ゴールではハッピーな結末を迎える? それともアンハッピー?」

「アンハッピー」

「希望はゼロ?」

「ゼロっていうか、増えたり減ったり、」僕は曖昧な答え方をする。「かな」

そんな答え方をすれば、余計に突っ込まれてしまうことくらいわかっていたのに。

とりあえず僕はこれまでの経緯を軽く説明することにした。

「時系列をまとめよう、宇都宮くん」

「なになに。いきなり探偵にでもなったの?」

宇都宮くんの弁当箱の箱をかぱりと開けた。中身には、寿司の出前のちらしが何枚も入っていた。

「昨日の今日のことだ。

僕らの教室はにわかにざわついていた。

週一で開催される『#お題nove』の発表があるからだった。みんなそわそわしていた。そうだね?」

前々回はお風呂、前回は忘れ物、わりと書きやすいお題だったな、と宇都宮くんは言った。

「うん。それは僕も思ったよ。どちらも、僕らの生活にそれなりに密接だったからね。想像しやすかったんだ」

「そしたら拍車がかかって、一万字を超える長編を用意してきました、ってか」

宇都宮くんは嘆息した。それはお寿司のちらしを見てのことなのか、僕のことなのか、あるいはどちらもなのかな。

さすがにあのときは申し訳なかった。もとより掌編が苦手な僕は、いつも字数が多くなるきらいがあった。決して長ければいいと思っているわけじゃないんだけれど、書いているうちに引っ込みがつかなくなってしまい、無理やり終わらせて、尻切れ蜻蛉のまま提出するのは潔しとしなかった。

「すまないが、俺は長すぎて読む気になれなかったな」

宇都宮くんはズバリと言った。

僕は返す言葉もなくて、うつむいた。

「暇なやつなら読むかもしれないが、文章が冗長なだけで、だらだらと遅い展開が続けば、それは読み手は飽きるよ。英語と同じでさ、簡潔にまとまった文章のほうが読みやすいんだ」

宇都宮くんはスマホを取り出すと、ちらしの一点を見つめながら、キーパッドに数字を入力しだした。まさか、本気でお寿司の出前を頼むつもりなの? ここ、大学の食堂だよ。

「ここに、面白い小説があるとする。読めば天にも昇るカタルシスを得られること請け合いだ」宇都宮くんは語り始めた。「その代わり話の展開は恐ろしくのろい。亀の歩みより遅い。地球の公転より遅い」

読む気になる・させる、というのは我々書き手にとって重要なことのひとつだった。

「いいか。そんな小説は、水で薄めたマンゴージュースと同じなんだ」

マンゴージュース?

いま、マンゴージュースって言った?

「ピンと来ないのか、想像力が足りないのか、『文豪、前橋』と謳われたお前も落ちたものだ」

誰からも言われたことないよ。滅相もない。

「いいかい。片方のコップには濃縮還元マンゴージュースが50mlだ。もう片方のコップには同じ量のマンゴーを使っているけど大量の水で薄めてなみなみになった500mlだ。さあ、どっちがいい」

「まあ、そりゃ50mlのほうを取るかもね」

つまり面白い小説は前者で、話が間延びした小説は後者だと、宇都宮くんは言いたいのだろう。そしてその後者は、僕の作品を指していた。

面白い小説、魅力のある物語って、どういうものなんだろう。そこに含まれる根源的なものを掴むことができたら、と思うけれど、宇都宮くんにこう言われているうちはまだまだだな、と痛感した。

さて、宇都宮くんが出前の注文を終えたところで、僕は話の筋を元に戻す。

「じゃた君は、今回のお題『雪山の夜』についてどう思った? 率直な意見を聞かせてほしいんだ」

彼の答えは早かった。

「想像の幅がかなり限定される、と思った」

うん、確かに。

それには僕も同意だった。

このお題は、たったの二つの言葉しかないけれど、ほとんど全ての情報を有していた。

雪山は空間を指定するし、夜は時間を指定してしまった。

いわばシチュエーションが限られていたのだ。これが今回のお題の難しいところであり、肝だった。


みんながこのお題から導きうる情景や、物語の根底に流れる空気感に差異が生まれにくいという問題を孕んでいた。

逆に考えれば、この狭い環境下で、より突出した作品を産み出すことができたのであれば、僕はそれはかなりハイクオリティな作品だと認めることができると思った。

「馬鹿みたいだよな、俺たち」

宇都宮くんは鼻を鳴らして、己をあざ笑った。え、僕も?

馬鹿みたいって、何がさ。

「いや、実は俺も何も浮かんでないんだわ。スタートもゴールもできちゃいない。頭の中には、雪がしんしんと降る景色があって、ほのかな温かさを感じさせるようなアイテムがあって、みたいなことは考えているけど、まだ骨格ができていない」


まだその世界に血が通っていないんだよ、と宇都宮くんは言った。

そっか、彼も僕と同じところで悩んでいたのだ。

僕らは他人より優れた作品を作ろうと気張っていた。肝腎の想像力以外のところに目を向けてしまっていた。

まだ物語の本質の氷山の一角に触れてすらいない僕らが思い悩むことではなかった。

若くて、浅はかで、無鉄砲だった。

「無鉄砲。その通りだな。まあ他人より優れたいというのは、向上心があっていいんじゃないか」

親譲りではないよ。なんて。

「とにかく考え過ぎず、考えなしにはならず、他人の引用ではなく、自分の言葉を使って素直に書いたならば、その物語は、書き手を含めて、どうしようもない人間臭さがじんわりと表出するものだと、俺は思うけどね。それが読み手にも伝わるとき、はじめて魅力ある物語は誕生するのではないかな」

あくまでこれは宇都宮の意見だし、今日の宇都宮の意見だから、真面目に考えないでくれ、と宇都宮くんは素で照れた。

「ま、せいぜい美味しいマンゴージュースを作る努力をしようぜ。文豪、前橋くん」

だからその呼び方はやめて。


やがて学食がざわつきはじめた。なんと学食に白い割烹着を着た青年が、片手に岡持ちをこさえてやってきたのだ。彼は僕らのテーブルにまっすぐ近づいてきた。そして、『特上』と書かれたラベルの貼られたお寿司が宇都宮くんの前にどんと置かれた。

僕は言葉を失って、固まった。

そんな顔を見て、宇都宮くんが一言。


「不幸の後には幸福のご褒美を。ひとつくらいなら、あげてもいいぜ」


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