Unnamed Postwoman

川上水穏

第1話

 宛先の書いてない封筒を受け取りに行く。そして相手に届ける。その相手が手紙を出したいときに呼ばれ受け取り、また届ける。要は郵便屋なのだが、特定の二人の間を受け持つ"名前のない郵便屋"。仕事中はアンネイムと名乗っている。今、担当しているのはイエスとノンの女性二人組。出張が続くイエスと手紙のやりとりをしたいノン。ノンはイエスの逗留先がわからなくなっても宛先がわからなくてもイエスに届いて欲しいと言った。

「宛先がなくても届けるのがあなたの仕事でしょう?」

 あの日の打ち合わせはよく覚えている。朝から雨がひどくて、彼女たちがそれぞれの家路に着く頃には雷が鳴っていた。手紙を届けることしかできないけれど、彼女たちの未来に幸あれと願った。だからだろうか、よく覚えているのは。


 イエスの手紙を受け取りに時間通りに扉を開けると「ほい」と言いながら分厚い封筒を投げて寄こす。

「わかりました、ではまた」

 イエスが手紙を書くのにかかった時間は一ヶ月。くせ字なんだと笑った。ノンは気にしてないようだと伝えると知ってると返される。

「今度こそ、ではまた」

「ありがとう、アンネイム」

 彼女は笑って手を振った。その笑顔がノンに届くことはあるんだろうか。笑い声が聞こえ、表情が伝わるだろうか。


 私がこの仕事を始めたきっかけは、学生時代から付き合っていた彼女と就職を機に別れなければいけなくなったからだ。実家に戻った彼女へ毎日ラブレターを送った。学生時代のように何度も会えるわけではない。お互い別々に就職し、仕事だって慣れていない。毎日不安で押し潰されそうだったからこそ、愛しい人を想った。

「もう手紙は送ってこないでちょうだい」

「どうして? 嫌いになったの?」

「違うわ。両親が心配するの……私が信仰に背いて同性愛に走る悪魔なんじゃないかと」

「あなたは私にとって天使よ」

「友だちでもペンフレンドでもない同性と毎日手紙のやりとりをするなんておかしいって……ごめんなさい、私が住んでる地域は元々保守的なの、ごめんなさい黙っててごめんなさい」

 会えばそんなやりとりを交わすようになって、付き合いは自然消滅せざるを得なかった。同性婚は法律で認められていたが、保守的な地域では依然として同性愛への嫌悪が強い。

 同性同士でも気兼ねなく手紙のやりとりができたら、どんなに素晴らしいだろうか! 二人の間の宛先のない手紙をそれとなく届ける、そうだそれを仕事にしよう! すぐ思い立ったのは彼女の悲しそうな顔が浮かんだから。あんな表情させる人は自分たちだけでいいんだ。


「ハイ、ノン」

「久しぶりね。"名前のない郵便屋"はお元気?」

「ええ、おかげさまで」

 ノンとはリビングでいつもたわいのない世間話をして過ごす。ロータスピンクとマホガニーの優しい色合いを基調とした壁に、年季の入ったローアンバーの家具が並ぶ。木製の丸いローテーブルにソファが四つ。友人が尋ねてくるのだろう。

「イエスは元気そう?」

「ええ、いつも通り。ありがとうと手を振って別れました」

 話題の中心はイエスのこと。イエスの封筒を手渡す。

「たしかに。いつも通り薄いわね」

「ええ」

「でも文章を書くのが苦手な子だから、頑張ってるのね。時間を作って……」

 そう言うと愛おしそうに、大きくて薄い封筒を抱きしめた。

「もうすぐ一年ですね。あれから」

「そうね。"名前のない郵便屋"のオフィスへ行って依頼してから一年ね。早いわ。あなたは病気や怪我はある?」

「いいえ、いいえ。体が資本の仕事ですから。何かありましたら連絡します」

「そう。長期間の仕事になりそうだから、もし"名前のない郵便屋"に何かあったら追加でお支払いしようと最初に二人で相談したの」

「そうでしたか。お気遣いありがとうございます」

 ノンからはパンパンに膨らんだ大きな封筒を三通預かった。今度からは大きくて丈夫なリュックサックを担いで取りに来た方が良いのかもしれない。それにしても、彼女たちの愛はなんて不均衡だろう。薄い封筒一通とパンパンに膨らんだ封筒三通。元々、ノンが心配してやりとりをしたがってたそうだから仕方ないかもしれないけれど。だが、普段の三倍以上の報酬を事前にもらっているのに、追加で報酬を払う気であったとは。ノンが言うように、ただイエスが文章を長く書くのが苦手なだけなのかもしれない。くせ字を見せるのが嫌だとも聞いた。


 曇天の下、ベルを鳴らすと五分ほど経ってからドアが開く。寝ぼけまなこでバスローブを着ただけのイエスが立っていた。どうやらバスタイムを楽しんでる最中にベルを鳴らしてしまったようだ。連絡すれば良かったな。しかし、三通を早く届けたかったのも確かだ。

「どうも」

「ごめんなさい、どうしてもノンからの手紙を届けたくて」

 パンパンに膨らんだ封筒を一通ずつ厚手のリュックサックから取り出して渡すと「ノンは文章が好きだからなぁ」と困ったように呟く。そして恥ずかしそうに顔を伏せる。

「こんな大量でこちらこそすみません。でも、これじゃあ読むのに時間かかっちゃうな」

「そう思って、お届けにあがりました。どのくらい時間かかりそうでしょうか?」

「ちょうどいい時期に来てくれたね。もしかするとまた引っ越すかもしれないんだ。だから読み終わる前に一度アンネイムに連絡するよ。今度は南の方だ」

「わかりました」

 壁に溶けるように彼女の仕草を確認する。愛おしそうに封筒を指で撫でる。互いの分身なのだろうか。厚さは関係なく、ただ便りがあれば安心を得られる。

 壁には次の町の情報だろうか。ぶっきらぼうにちぎったメモが所狭しとマスキングテープで貼りつけてあった。家具は最低限しかない。段ボール箱が部屋の隅にブロックのように重ねられている。

 挨拶を交わさずに、イエスの部屋を出た。それから一週間もしないうちに次の連絡先を知り、引っ越すかどうかの検討を始める。どちらへ行くにしろ飛行機に乗る必要がある遠さだ。イエスは読むのが遅いのと、何度も引っ越ししなきゃいけないから、イエスの近くにいるほうが楽だ。


「"名前のない郵便屋"と出会って二年経過したわね」

「ええ」

 もうそんなに経つのかと感慨深い。

「私はずっとここにいるばかり。イエスと"名前のない郵便屋"ばかり外を謳歌しているわ」

「ノンも外出するのでしょう?」

「腰を痛めてね、遠くへは外出できないの」

「それは失礼」

「……結婚できるかしら」

「なんとも」

「"名前のない郵便屋"、あなたは気づいてるでしょうけどイエスとノンは愛称、いえコードネームみたいなものなの。あなたのアンネイムという名前みたいに」

「……へぇ」

 驚きはしない。この国ではイエスという名前をあの人以外に向けて呼ぶのは憚られるからだ。

「私はいつも否定ばかりで彼女は根拠のないできるばかりで、でもねそんな彼女が側にいたから外の世界へ目を向けることができたの。私にとって彼女は神さまそのものなの」

「その気持ちはわかります」

 私が彼女を天使だと想うのと同じだ。

「あなたのようなブロンドと違って私も彼女も黒髪でしょう? 日系人なの、二人とも。だけど、両親の産まれた国へ帰ることはできない。言葉がわからないから。それに、あの国ではまだ国の法律として同性婚は認められてないから。かといって、この国で差別なしに生きるのは難しいわ」

 話の着地点はどこなのだろう。不思議そうな表情をしていただろうか。口でも開いてしまっただろうか。

「ごめんなさい、引き止めて。イエスから結婚を申し込まれたの。でも、自信がなくて」

「大丈夫ですよ、きっとイエスが側にいれば」

「結婚しても同居するとは限らないわ」

 あの薄い封筒の中でプロポーズするとは。物語はいつも知らないところで始まっていて"名前のない郵便屋"という名前のとおり自分には関係ないのだと思い込んでいた。こんな相談もあるのか。右手で顎をつかむ。

「あなた、ご結婚は?」

「していますよ」

「そう。同居しなくても平気なの?」

「ええ、仕事の理解は得られています」

「理解してないわけじゃないわ……何が不安なのかもわからない」

「天使が家で待っていてくれると思ったら、どんな仕事でも苦にならないんですよ、私はね」

 しばらくしたのち、思い詰めたように薄い封筒を一通持ってきた。いつものような厚い封筒ではない。

「こちらでいいのですか?」

「……ええ、決めたわ」


 その封筒は一週間後、イエスの手にあった。テーブルとイスが一つずつしかない部屋に招かれる。

「ありがとう、ノンに連絡してみるよ」

 もしかすると薄い封筒は同意、その他の対応は拒否と書いてあったのかもしれない。長い文章を書くのは苦手だと伺ったが、なかなか考えたものだ。

「仕事は終わりですか」

「うん、この案件もやっと終わりそうだしね」

「わかりました、今までありがとうございました」

「待って、これを」

 大きくて厚い封筒には"名前のない郵便屋"の事務所の住所が宛先として記載されていた。イエスからの厚い封筒は珍しい。何だろうか。だが、さすがに目の前で開けるのは気が引ける。

「こちらこそありがとう。また」

「さようなら」

 彼女はいつもと同じように手を振った。


 ガランと広いだけの中継地点のアパートメントを引き払い、自宅へ直帰する。イス一つ。それが自分に許された家具だった。寝袋があれば宿無しになったとしても睡眠は取れる。報酬は食費として外食に消えた。出張が多いイエスについていくとなると、こちらもおいそれと新しい仕事を引き受ける気は失せた。

 いつ雨が降ってあがったのだろうか、青い空に虹がかかっている。

 白い扉を開けると、私の天使がマグカップ片手にリビングを突っ切るところだった。

「ただいま」

「マリー! 早い帰宅じゃない」

「依頼人が同居始めるって」

「まぁ、良かったわね。結婚されるのかしら?」

 学生時代からの長い付き合いになる彼女が自宅で待っていてくれる。

「そのようだね」

「今夜はあなたの好物つくらなくちゃ」

 そう言って立ち上がりかけた彼女の腕を取り、額にキスする。

「待っててくれてありがとう、私の天使」

 台所へ向かう彼女の背中を愛おしく想いながら、ふとイエスから受け取った封筒が気になり封を開けてみることにした。手紙とさらに小さな封筒二通に分かれている。


 "名前のない郵便屋"へ


 今まで本当にありがとう。

 結婚を決定できたのは君のおかげだ。

 ノンは足腰を悪くしてしまい、早期退職する。

 出張が少なくなるとはいえ私は仕事を続けるから、昼間ノンの話し相手になってくれないか。アンネイムならノンの緊張も少なく、良い話し相手になれると感じる。

 もちろん報酬は払う。


 小さな封筒を一つ開け、中身を確認すると現金が入っていた。イエスとノンが用意するのはいつも現金だ。

「マリー? どうしたの、浮かない顔して」

「追加の仕事の依頼だけど"郵便屋"が請け負う仕事じゃないんだよ」

「どんな?」

「今までの依頼人の話し相手だ」

「距離はどのぐらい? 日帰りできる距離かしら」

「ここから片道一万ヤードだ」

「往復で二万ヤードぐらい自転車で行けるあなたにはたいしたことないでしょう?」

「冗談やめてよもう、仕事は終わったんだよ」

「……気になるくせに」

「もーお! ダメダメ!」

 思いっきり足をジタバタさせる。温もりのある部屋であなたが隣にいるから。ワガママやっても気が咎めない。封筒をおへその上に置いた。現金を郵送で突っ返すのは時間もお金もかかるし、そのまま返しに行って断るのは難しい。ノンが応対したところで、彼女はこのお金を受け取らないだろう。あなたが元気で仕事を完遂した報酬よ、と言いだしそうだ。

「明日はあなたの大好きなアップルパイ作るわ。気持ちよく次の仕事請けてもらうために」

 天使の気まぐれで仕事は請け負うことにした。オフィスで一人で開けていたら絶対に断る仕事だ。


 ベルを鳴らす。シルバーグレイにインディゴのラインが入ったストールに身を包んだノンが扉を開けた。

「まぁ、誰かと思ったら"名前のない郵便屋"ね! 久しぶりね」

「あなたの奥さんに仕事を頼まれたのよ」

「さぁ、入って入って。積もる話がたくさんあるのよ」


   End.

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Unnamed Postwoman 川上水穏 @kawakami_mion

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