梔子

 切り取られた夜空に星は見えない。代わりにこの街は煌びやかな地上のネオンライトが瞬いている。その灯りが美しく煌めくのはきっと誰かの涙が紛れているからだ。


 大通りの裏にある並木道に灯りを投げかけるブティックの一つに僕は立っている。安い生地で仕立てた黒のスーツに履き慣れないキャップトゥ。磨かれた革靴のつま先は店内の照明に照らされて優しく光っている。

 僕の仕事は店先に立ち重たい扉を開けてお客様を迎えること。訪れる人々に微笑みを浮かべながら会釈をする。たったそれだけの仕事。

 道ゆく人は僕が外部の雇われだとは知らない。せめて形だけはとしつらえた痩せた体に合わせたスーツも、この場所に立っていればそれが安物だと気づかれることはない。唯一この店のものは首元のネクタイだけだった。鏡の前で丁寧にディンプルを作った首元にいくつものロゴマークが波打つ。休憩時間に通りを歩いているといくつかの視線に気づく。ねずみ達は僕の所在が分かると振り返って驚いてみたりひそひそ噂話をしたりする。僕は首輪をされた野良猫だった。


 2階のバックヤードを抜けて突き当たり。カードキーをセンサーにかざしてエレベーターのボタンを押す。コンクリートの壁に囲まれた地下3階の喫煙室は換気扇の音が轟々と響いていた。

 どこか静かな場所に行きたくて非常階段に続く扉の前に近づいた時、僕は緩やかに立ち止まった。

 僕は星が流れる音を聞いた。階段にうずくまって肩を震わせる姿が鉄の扉の向こうに見えた気がした。


 僕はまた店先に立ちお客様を迎える。いつものように微笑みを浮かべながら。見送りをするスタッフのなかに聞き覚えのある声がした。彼女の目元には僕にしか分からないほど小さな星屑が散っていた。彼女は笑う。何のためにかは分からない。けれどその笑顔はどこまでも本当だった。

 

 僕はまたあの地下の喫煙室で1人煙草に火をつける。誰にも見つけられない星になりたくて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る