中国どんでん返し
kattern
麒麟が居る
大殿――織田信長公本能寺にて横死。
下手人――明智光秀惟任日向守。中国出兵の途上での凶行である。
深夜、明智方が放ったと思われる密使を捕縛してもたらされた一報。
中国の勇毛利勢と対峙する羽柴秀吉預かる織田家中国方面軍に激震が走る。
急ぎ与力・有力家臣を集めての会議を開こうとした秀吉。
しかしながら深夜。
「……みんな寝てしもうとるがな」
誰一人として、緊急会議にやってこないのだった。
そう、織田家中国方面軍はとってもホワイトな職場。
草履取りから出世した秀吉の、真面目が一番やという言葉に感化されて、右も左もお仕事エンジョイ勢。仕事は定時で終わり、日が沈むころにはちゃんと就寝。朝は日の出と共に起き出す健康重視。
理想的かつ規範的な軍隊だった。
その仕上がりがよりにもよってこの局面で裏目に出た。
誰も、深夜の緊急会議に、出てこないのである。
「……中国美人と夜遊びしてたワシだけしかこんてもぉ」
真面目が一番と言っていた羽柴秀吉であるが夜遊びはしていた。
嫁を置いての長期出張のため、まぁ、そこそこ夜遊びはしていた。
していたけれど、まぁ、流石におさわりまでよねと我慢していた。
夜遊びも真面目である。
そんな真面目な秀吉が、そろそろ日付変わるし寝ようとした所にこの一報。
嘘だろおいというモノであった。
時間的に。
と、そんな所に駆け付けた男がいる。脚を引きずるその特徴的な歩き方に、秀吉は一耳でそれが誰か分かる。
「……秀吉さま!! 一大事ですぞ!!」
「官兵衛!!」
黒田官兵衛。
羽柴秀吉の股肱の家臣にして大軍師だ。
しかしながら、この男、有岡城に幽閉されること一年。
足を悪くしている。
劣悪な幽閉環境下で萎えた足。
それを引きずって駆け付けた忠臣。
そのとび色をした目の下に、いかな策謀を巡らせているのか。まずは彼がやって来てくれたことを、秀吉は嬉しく思った。
嬉しく思った。
だが。
「あかんやないか官兵衛!! お前、そんな、脚悪いのに無理したら!!」
「秀吉さま!?」
「ちゃんと寝とらなあかんて、病人だがや!! 仕事なんてええから、なっ、今はちゃんと寝とき!!」
「しかし、今は殿が天下を取るか取れぬかの大勝負」
「お前の身の方がワシの天下より大事やがな!!」
言い切った。
羽柴秀吉は言い切った。
自分の栄枯盛衰より部下の身の方が大切。
生来の人たらし、何もしなくても周りから慕われる男。
根っからのお人よしは、この家中の一大事で自分の部下を優先した。
羽柴秀吉、この男、できるホワイト経営者であった。
部下のことを思いやることができるのは、自分も現場あがりだから。
苦労を知っているたたき上げ、なのに抜群の指揮センスを持ち合わせた、現代社会に最も求められる、パーフェクト優しい上司。
そんな上司の殺し文句。
官兵衛、流石に感極まった。
「……殿。そこまでおっしゃるならば」
「なっ。自慢の策は明日の朝でかまわんから、今日はもう寝とき。というか、半兵衛みたいなことなったら、ワシもつらいねん」
「……そうですね、半兵衛どののようになってはいけませんね」
官兵衛、すごすごと引き下がった。
先年、やめろやめろというのに、ショートスリーパーをやめずぽっくりと逝ってしまった、ワーカーホリックな同僚、竹中半兵衛を出されては何も言えなかった。
黒田官兵衛。
とるものもとりあえず駆け付けたというのに、すごすごと陣を後にする。
しかし、いっそすがすがしい――俺はいい殿を持ったぞという良い顔であった。
とんだ茶番である。
「あかんがな、病人をこんな時間まで働かせたら。もっと健康な人を働かせんと」
「藤吉郎おるかー?」
「おるぞー。小六っつぁん」
次。
官兵衛と入れ替わりで入って来たのは長年の秀吉の相棒。
かつては上司。今は同僚。気がついたら斬っても斬れない腐れ縁。
川並衆を率いていたインテリ経営者でありながら、あらくれの部下に舐められたら負けよと筋肉を鍛えるマッスル信奉者。
蜂須賀正勝だ。
しかし。
「……飯ぁ、まだかのう」
「もう食べたでしょう!! 寝る時間よ、小六っつあん!!」
御年五十六歳。
パンチドランカー確定の無茶をしてきた男は、もはや正気があいまいなくらいにボケていた。いや、ボケているけど身体はしっかりしているから、なんか居てくれると話がまとまりやすいので重宝している。軍にいる意味はあった。
あったが、やっぱり、ボケていた。
「いい加減、息子に家督譲って隠居しよーやもう」
ちなみに、息子の家政もバリバリのバキバキのマッスル経営者。
安心して家督を譲れる感じの頼りになる男である。
だが。
「ワシは将来現役じゃー!!」
「生涯でしょ!! じゃから、夜中に叫ぶんじゃにゃーて!!」
この調子である。
とても偏屈な爺であった。
そして、偏屈とボケが混じると、もはや会議に参集しても仕方なかった。
秀吉。ため息を吐いて床几から腰をあげる。
ほらお爺ちゃん早く寝ましょうねと、手ずから正勝の介助をすると、近くの若い衆に彼を預けた。
とぼとぼと、ボケた元上司の背中が消えたのを確認して、ほっと一息ついたのもつかの間。
「殿!! 今こそ好機!! 明智軍を討ち取って名をあげましょう!!」
「叔父上!! 我ら準備は万端です!!」
「佐吉も、虎之助も覚悟はできています!! 今こそ出陣のご命令を!!」
今度は若い衆が飛び込んできた。
血気逸る若い衆が飛び込んできた。
佐吉、虎之助、市松。
後の豊臣政権三バカラスと呼ばれる、石田三成、加藤清正、福島正則である。
彼らは当時20歳前後。
ちゃっきちゃっきの新社会人だった。
秀吉。またため息。
「佐吉、虎之助、市松」
「「「はい!!」」」
「駆け付けてくれたのは嬉しく思う。しかしな、お前ら――これからなにしちゃぁええかわかっとーのか?」
三人の若武者。
首を捻って、それから一人ずつ一言。
「……水攻め?」
「……築城?」
「……酒を呑んで槍を失う?」
「お前らまだ仕事がわかっとらんのにでしゃばーでにゃーよ!! いいからさっさと寝て、明日に備えときぃ!!」
発想が若すぎた。
いささか会議に出るには若すぎた。
未来の秀吉軍団の重鎮たちも経験の足りない若造であった。
なので、秀吉追い返す。
若いのも考えものだと、陣から追い返す。
くそでかため息を吐きだして秀吉。いよいよ、にっちもさっちもいかない現状に、彼は頭を抱えた。
「あぁもう、なーんでうちの軍団にはえぇ感じの働き盛りがおらんのよ。徹夜しても大丈夫って感じの人材がおらんのよ」
「それはどんな人でも受け入れる殿のご人徳ですよ」
「ええだがねそういうお世辞は!!」
近習に怒鳴りながらもまんざらでもない秀吉。
そう、まんざらでもなかった。
秀吉、一大事にも関わらずまんざらでもなかった。
まぁこういうことも起こったけれど、ウチの軍団は元気やし、今までもなんとかなったしこれからもなんとかなるだろう。いささか楽観的であった。
基本的に、秀吉、フィーリングで生きている人間であった。
なんにしても。
「これじゃ大殿の仇を取りにいけないよもー。どうしたらええだがや」
中国大返しはここに来て、最大の危機を迎えていた。
作戦会議ができない。
会議して、方針をきめないことには動けない。
合議制の軍団という弱味がここに来て秀吉を苛んでいた。
いや、それよりも人材の乏しさが秀吉を苛んでいた。
生涯に渡って、秀吉はこれに悩まされることになる。
だが、それはまた別の話。
そして――。
「兄者!! 話は聞いたぞ!! 大殿が討たれたと!!」
「小一郎ォ!! やっと来てくれたかぁ!!」
この時代にはまだ、頼れる参謀がいた。
秀吉の隣で的確に彼を補佐して、天下人まで上り詰めさせた男。
王の介添え人。
羽柴小一郎、後の秀長である。
この頼りになる弟の到着を、秀吉はずっと待っていた。
彼ならばこの局面を乗り切る妙案を自分と共に考えてくれると期待していた。
年齢的にも働き盛り、彼が来てくれれば安心だと思っていた。
そう――。
「しかしどういうことだ――惟任殿はうちで既に預かっているというのに!!」
「藤吉郎ぉ。飯はまだかのぉ」
「……」
彼が下手人の明智光秀を一緒に連れてくるまで。
ボケた感じにふがふがと口を動かす明智惟任日向守を連れてくるまで。
実際ボケている明智惟任の肩を抱き、大混乱という顔で陣に入ってくるまで。
秀吉、猿のように目を見開く。
実際、ひどい猿顔であった。
見ざる、聞かざる、言わざる。
全部破って、猿が叫ぶ。
「……誰!?」
「いや、惟任殿ですよ。ほら、大殿から、ちょっと最近ボケが激しいから、軍団に先行して先に連れてってあげてって、安土の饗応を機に預かったじゃないですか」
「……だとしたら、京都で大殿を倒したのは誰!?」
「だから困ってるんじゃないですか!!」
「藤吉郎ぉ。いま、たすけにいくぞぉ。えい。やぁっ」
「……誰、いったい誰なの!!」
はたして。
本能寺の変がどうして起こったのか、その定説は未だにない。
そして、天海光秀説のように、山崎の合戦後に明智光秀がどうなったかも明らかではない。
ただ一つ。
確かなのは秀吉が中国大返しを行ったという事実だけである。
そして、なぜ彼が急速に大返しを行ったのか、その理由もまた――。
「誰なのぉ!!」
「あっ、兄者!! いったいどこへ行くんですか!! 待ってください!!」
「藤吉郎はまっことよく働くのぉ。働き者じゃのぉ」
「秀吉さま!! やはり出陣ですか!!」
「叔父上!! そんなに血気に逸って!!」
「槍だ!! 槍もってこーい!!」
「なんじゃ!! なんじゃなんじゃ!! 火事か!! 火事なのか藤吉郎!!」
「秀吉さま、やはり御出陣を!! やはりあなたこそ天下人にふさわし……」
「誰なの気になるぅぅぅううううう!!!!」
実のところ不明なので、まぁ、こんなこともあるのかなということを考えてしまう作者なのであった。
どっとはらい。
中国どんでん返し kattern @kattern
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます