第14話:鼻血が出ている

 南東の方角から火の手が上がっている。

 そう俺の胸倉を背伸びして必死に掴んでいたダークエルフに伝えると、彼女は血相を変えて走り出した。

 それとほぼ同時に、森の一部を囲っていた結界が消滅するのを感じた。


「セレナ、後を追おう」

「え? に、荷物はどうしますか?」

「俺がテントの周辺に結界を張っているから、盗まれる心配もない。行くぞっ」

「は、はいっ」


 セレナの手を引き、俺自身と彼女に『速度増加スピードアップ』の魔法を付与した。


「わっ、わっ、わっ」

「魔法の効果だ。俺の手をしっかり握っていろ。木にぶつからないよう、誘導するから」

「は、はい。お、お願いします」


 そう返事して、彼女は俺の手をきゅっと握り返した。


 前方を走るダークエルフに追いつき、こちらにも──


「移動速度を飛躍的に高める補助魔法を付けるぞ。ぶつからないよう、気を付けて走れ"速度増加"」

「なっ──ぬ、ぬわぁぁっ」


 おっと。もともと速度の速い人だったから、凄いスピードになったな。

 あ、ぶつかった。


「おい、大丈夫か?」

「大丈夫ですか?」

「ひぎ……いたひ」


 そうだろうな。鼻血がでている。

 

 賢者という職業柄、ルーン魔法、精霊魔法、あと死霊術に召喚術、そして神聖魔法も全て習得している俺だが、神聖魔法は一番苦手だった。

 聖女である聖良が一発で治癒してしまう瀕死の重傷は、俺の場合に数回のヒールを要する。

 だが鼻血程度なら一発だ。


「"癒しの光ヒール"。さ、走れるか?」

「か、回復魔法!? お、お前は魔術師ではないのか?」

「魔術師というか……賢者だな」

「けっ──」

「さぁ行くぞっ。行く必要があるのだろう?」


 ダークエルフを立たせて促すと、彼女は一度キっとこちらを睨んでから、ぷいっとそっぽを向いて走り出した。

 その後ろを俺たちも追う。


「ついてくるなっ」

「そうはいかない。森が燃えては、俺たちも困る」

「そ、そうですっ。助け合えるのなら、助け合うべきです」

「いいこと言うなぁセレナは」

「そ、そうですか!」


 嬉しそうなセレナとは対照的に、ダークエルフの女は思いっきり不快感をあらわにした表情だ。

 

「嫌なら速度増加の効果を切ってやってもいいんだぞ」

「うぐっ……ひ、卑怯だ!」


 卑怯って君……魔法だけ寄こせってか。


「いやいやいや。っと、火の手が見えてきた」

「なに!? あぁ、里が!」


 里──ダークエルフの里か?


 燃え盛る炎に照らされ、家のようなものが確かに見える。

 そして炎のさらに奥から、チクチクとした嫌な気配も感じた。


「まずは消火だ」

「消せるわけがないだろう!」

「そうか?」


 特に難しいことではない。

 その準備として、まず空間倉庫に入れてある水筒を取り出した。

 きゅぽんっと栓を外し、地面に向かって中身を滴らせる。


「クラーケン」


 その呼びかけに答え、水筒から零れ落ちた水は地面に浸み込むことなく──


 巨大なイカへと姿を変える。


「ひいいい、ひいいぃぃぃぃぃっ!?」

「あはっ。クラーケンさんに火を消して貰うんですね」

「あぁ。というわけでクラーケン。一帯の炎を消すために力を貸してくれ。水浸しにしないよう、そこだけ注意して欲しいんだ」

『ぶくぶくぶく。オッケー』


 ふわっ!?

 ク、クラーケンが喋った!!

 こいつ、滅多に喋らないから、今のは凄いレアだぞ。

 しかもなんかノリが軽い。


 だが仕事はしっかりしてくれた。

 大粒の雨──に見えるがただの水が降り注ぎ、あっという間に燃え盛る炎を消してゆく。


「す、凄い……水の上位精霊、初めてみた」

「お前の仲間は無事か、確認してきたらどうだ?」

「う、うんっ」


 クラーケンに驚いていたが、ダークエルフの女はすぐに建物のほうへと向かった。

 俺の勘だと、誰かが風の上位精霊を召喚して、炎の侵入を防いでいたように感じた。


 ダークエルフもまた精霊魔法の使い手、というのはあるあるな話だ。

 族長クラスになれば上位精霊と契約している者もいるだろう。


 里の炎が完全に沈下すると、さっきのダークエルフの女が数人の大人のダークエルフを連れて戻って来た。


「長老、この男です。森に入って来た魔術──賢者です」


 長老のお出ましか。いきなり大物登場だな。

 しっかしエルフ系種族ってのは、どうして世界が異なるのにみんなして美男美女なのか。

 そして若作りだ。

 どうせこの長老ってのも、数百歳なんだろう。


「外の者よ。我が里を救ってくれて助かる」

「いや、俺たちもこの森には恩恵を貰っている立場です。燃えてしまうのは困るので」

「そうか。だが脅威はまだ去ってはいない」

「ですよねー。なんか東のほうから、嫌な気配がしますから」


 そういうと、ダークエルフたちは驚いた様子だった。


「なんとっ。気づいていたか」

「長老」

「……外の者に頼るのは、我らダークエルフの恥。だが一族の存亡がかかっていれば、恥だの誇りだの言ってはおられぬ」


 見た目は30歳かそこいらのダークエルフの長老が、俺に対し深々と頭を下げた。


「頼む。里を救って欲しい。もちろん見返りは支払う」

「いいですよ」

「え、そんなあっさり?」

「言ったでしょう。俺たちもこの森には恩恵を貰っている身です。それに村は森の北西にある。その脅威が村に来られても、困るのでね」


 長老が頷くと、後に控えていた若いダークエルフを呼んだ。


「襲撃者を目撃した者だ。彼に敵のことを教えてやれ」

「はっ。敵は十数体の──悪魔デーモンです」


 なるほど。デーモンか。

 それなら火事の原因も納得できる。

 悪魔種族の魔物は、下級クラスであっても魔法を操ることができる。

 もちろん下位の魔法だが。


 さっきの炎の勢いからすると、かなり上位の魔法が使われたはずだ。


 となると。


上位悪魔グレーター・デーモンも?」


 俺の問いに若いダークエルフの男は、青ざめた顔で頷く。

 そして、


「二体だ」


 そう振り絞るような声で言った。


「賢者殿、倒せるだろうか? もちろん我らも全力で戦おう」

「いや、俺ひとりでいいです。そのほうが周りを気にしないで戦えますんで」

「……は? い、今なんと?」


 その長い耳は飾りなのだろうか。

 ダークエルフは耳が遠いとか?


「俺ひとりでいいです。あ、念のため、案内をひとりつけてください。グレーター・デーモンが現れた場所に案内していただければいいので」


 デーモン退治か。

 久しぶりにいい運動ができそうだ。

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