催眠アプリ【健全版】
サヨナキドリ
先輩に催眠術をかけよう
「お、おぉ」
僕は感嘆の声を漏らして自分のスマホを見た。夕陽の差し込む教室。目の前では、憧れの古都莉子先輩が居眠りをするように俯いている。エロ漫画では定番の『なぜかスマホに入ってた催眠アプリ』なんてシチュエーションが、まさか現実に起こるなんて。これで僕は、先輩にどんな命令もすることができる。どんな命令でも
「先輩……」
高鳴る胸を押さえながら、僕は先輩に言った。
「手を、繋いでください」
「うん、日辻くん……」
僕が躊躇いながらも命令すると、古都先輩は眠たげな声で返事をして、緩慢な動作で僕が差し出した手を握った。先輩の手。自分のものとは少し違う、少し冷たい体温を感じる。握る力を強くしたり、弱くしたりして感触を確かめる。柔らかい、小さい。女の子の手。そんなことをしていると、先輩が僕の指と指の間に自分の指を滑り込ませた。いわゆる恋人つなぎだ。背中をぞくぞくっと震えが走る。
「先輩、僕の名前を呼んでください」
「……日辻くん?」
先輩は僕の言葉に、不思議そうに語尾を上げながら答えた。僕は首を振る。
「そうじゃなくて、下の名前です」
「……和人くん」
心臓が飛び跳ねる。頬が熱くなる。
「莉子先輩」
「和人くん」
「莉子先輩、抱きしめてもいいですか?」
「うん。おいで、和人くん」
先輩が両手を広げる。僕はその中に飛び込んだ。真正面から触れる柔らかな感触もさることながら、先輩がすっぽりと腕の中にいる幸福感。細くて、温かくて、しなやかで、女の子は猫に似ていると思った。頭から爪先まで幸せで、溶けてしまいそうだ。どんな欲望も先輩は受け止めてくれる。
「先輩、頭撫でてください」
「いいよ、和人くん。いいこいいこ」
そう言って先輩は僕の頭を撫でてくれた。ああ、ああ。
「先輩!好きって言ってください!」
「好きだよ。和人くん、大好き」
パきり、と何かが割れる音がした。これは、いけないことだ。催眠術で人の心を操るなんて。しかも今僕は先輩の身体に無遠慮に触れている。催眠で操られている先輩に。
「先輩……ごめんなさい、ごめんなさい」
「日辻くん。大丈夫、大丈夫だよ。」
先輩はそんな僕の頬を優しく撫でた。
「でも、僕は先輩を——」
「催眠術って、ちょっとスマホの画面を見せたくらいでかかるものではないから」
…………え?
「え?」
さっきまでの朦朧とした様子とはうってかわってはきはきした口調で先輩は僕の耳元でささやいた。
「さて、ここで日辻くんに問題です。そんなインチキ催眠アプリを日辻くんのスマホに勝手にインストールしたのは、一体誰でしょうか?」
僕は、真っ赤になった。
「それにしても」
帰り道、隣を歩く先輩が話を切り出した。僕は先輩と手を恋人つなぎで繋いでいる。先輩がこれをすると言って聞かなかったのだ。
「せっかく催眠術でなんでもいうことを聞かせられるっていうのに、ずいぶん純情な命令ばっかりだったね。ふふっ、キスくらいしても良かったのに」
からかうように先輩がそういう。僕は不満に頬を膨らませながら言った。
「僕だって男です。ここがカクヨムじゃなくてpixivだったら、もっと凄いこと命令してたんですからね」
それを聞いた先輩は少し目を丸くして、それから眩しいものを見るように目を細めて、僕の耳元でささやいた。
「わたしはそれでもいいよ」
ああ、やっぱり勝てない。僕はそう思った。
催眠アプリ【健全版】 サヨナキドリ @sayonaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます