ドナー

 2000万円の現金を手にし、松田聖子まつだしょうこはとりあえず引っ越すことにした。住んでいる四畳半一間ユニットバスのワンルームは、ひとりで暮らすには不自由ないが、決して快適とは言えない。

 不動産屋に行くと、近くにロフト付き十畳の洋室が入居者募集していたため、そこに決めた。家賃は3万円ほど高くなるが、問題ない。

 スーパーで大きめの段ボールをもらってきて、引っ越し作業をしていると、インターホンがなった。

 部屋着のまま「はーい」と言って玄関のドアを開けると、一目で高級とわかるスーツを着た中年の男と、若い一組の男女が立っていた。

「まつだ、しょうこさんですね?」と中年男が言った。

「そうですけど……」

「わたくし、こういう者です」

 そう言って名刺を手渡してきた。

 見ると、


 国立東京○○病院年末ジャンボ臓器宝くじ事務局長


 近藤総司


 と書いてあった。

 松田はとっさに、「やばい」と思った。

 きっと、当たりのくじ券を転売したことがバレたのだ。

 購入希望者とやり取りしていたツイッターのアカウントは削除済みだ。価格交渉などはDMを通じてやっていたので、第三者からは見えないはずだ。警察か役所が捜査したのだろうか。それとも、松田へ購入の意志を示したが、最高値を付けることができなかった数名のうちの誰かが密告したのだろうか。

 ここは、シラを切り通すしかない。

「何か御用ですか?」松田は精いっぱい威圧感を出して言った。

「少し、お話したいことがございますので、ご足労願えませんでしょうか。表に車を待たせておりますので」

「お断りします。いま引っ越しの準備してて、忙しいんです。それじゃ」

 ドアを閉めようとすると、若い男がドアの上部に手を掛けて強い力で引っ張った。ドアノブを手に握っていた松田はつられて引っ張られ、バランスを崩して倒れそうになった。

「何するんですか!」

「お願いしますよ。あまり手荒なことはしたくないんです。おとなしく従ってください」

 無視して部屋に戻ろうとすると、後ろから腕をつかまれ、外に引きずられた。

「連れていけ」と中年男が言った。

 若い男に右腕をつかまれて背中の後ろでねじられ、右腕は女に信じられないくらい強い握力で握られた。

「痛い、痛い。何なのよ、アンタたち。誰か、警察呼んでください!」

 そう叫んだが、引きずられながらアパートの外に連れていかれ、黒塗りの高級車の後部座席に押し込まれた。


 巨大な建物がいくつも並んでいる国立東京○○病院に到着すると、車を降りるように言われ、降りるとまた連行される凶悪犯のように左右の腕をつかまれ、一番大きな病棟の中に連れて行かれた。

 そしてエレベーターで最上階の部屋に押し込まれて、

「ここでしばらくお待ちください」と言われた。

 部屋の中には、ガラステーブルをはさむように革製のソファがある。

 表に出ようとしたが、ドアには向こう側から鍵が掛かっているらしく、ドアノブが回らない。

「こんなの、拉致監禁じゃないの! 開けなさいよ。アンタたち、ぜったい訴えてやる!」

 なんでこんな目に遭わなければならないのか。当選くじを転売したのが違法行為だとしても、警察が来るならともかく、病院の人間が勝手にこんなことをしていいはずがない。

 ドアノブをがちゃがちゃ回しながら何度もドアを叩いたが、何の反応もなかった。

 窓から逃げようにも、その部屋は8階で飛び降りることなどとうていできない。30分ほど、ドアの向こうに対して抗議の声を上げ続けたが、とうとう疲れてソファに座った。

 どれくらい時間が経過しただろう。窓の外の日が傾き始めたころ、おもむろにドアが開いた。

 顔を上げてそっちを見ると、もう老年の域に入ってそうな白衣を着た医師が部屋に入ってきた。続いて、アパートから松田を引きずり出した男女も入ってくる。さらに、松田に名刺を渡した臓器宝くじ事務局長の近藤という人物も入ってきた。

「どうも、お待たせしました。わたし、当病院院長の山口と申します」

 着ている白衣の胸には「やまぐち」と書いたネームプレートが安全ピンで留めてあった。

「アンタが責任者ね。いったい、これはなんなのよ!」

 松田の絶叫に、山口はまったく関心を示さない様子で、近藤のほうをちらりと見た。

 近藤が意味ありげにうなずいた。

「臓器移植法特別措置法8条に基づき、住民基本台帳からコンピュータでランダムに抽選された年末ジャンボ臓器宝くじのドナーに、あなたが選ばれました。本日以降、申込期日まであなたのお世話は当病院がすべて致します。よろしくお願いします」

「え……、ドナー?」

 松田が臓器宝くじで当たったのは、ドナーではなく、臓器移植を受ける側のレシピエントになる権利だ。そのくじ券もすでに転売しているが。いったい、どういうことだろう。

「8年前から、年末ジャンボ臓器宝くじというのが試験的に導入されたことは、ご存知かと思います。くじに当選した方は、臓器移植を受ける権利を有します。一方で、臓器を提供する側となるドナーは、抽選日と同じ12月31日に、全国民、具体的には住民基本台帳のなかで臓器移植コーディネーターの移植希望登録をしている人を除き、成人している人を対象として、ひとりが自動的に抽出されます。そのドナーに、松田聖子さまが今回選ばれたために、こちらへお連れしました。手荒なことをして、たいへん申し訳ございませんでした」近藤が頭を下げた。

 まったく、理解が追い付かない。しばらく口を開けてぽかんとしていると、

「つまり、あなたの臓器が、年末ジャンボ臓器宝くじに当選した方への移植に使われることになります」

 松田はしばらくまばたきを繰り返したが、

「それって……、わたしの身体を解体して、わたしの肺とか肝臓を、今回くじに当選した人に分配するってこと……?」

「さようでございます」山口医師が言った。

「臓器を取られたら、死ぬんじゃないの……?」

「そのとおりです」眉ひとつ動かさない、平然とした態度。

「バ、バカなこと言ってるんじゃないわよ! あんたたち頭おかしいんじゃないの。そんなの、絶対拒否します!」30秒ほど沈黙した後、松田はガラステーブルを叩いて言った。

「残念ながら、あなたに拒否する権利はございません。法でそう決まっております」

「法だか何だか知らないけど、そんなの、わたしは合意してません。勝手に決めないでください。わたしの身体はわたしのものです。何なのよ、これ。冗談にもほどがあるわ。わたし、帰らせてもらいます」

 立ち上がろうとすると、近藤の横に控えていた若い男が、松田の顔を拳で殴ってきた。松田はその場に崩れ落ちるように倒れたが、意識はある。

 口の中が切れて、鉄っぽい血の味が満ちた。

「先ほど、山口医師がおっしゃったとおり、松田様は本日よりこの病院で生活していただきます。もちろん松田様の臓器は当選者に移植される可能性があるため、大事に扱っていただきます。具体的には、自傷行為や出された食事を拒否する断食行為、または脱走未遂などがあった場合は、待機の警察官より即座に射殺をする決まりとなっております。年末ジャンボ臓器宝くじの規約にあるとおり、当選者が一人でも移植を拒絶した場合は、すべての当選が取り消しとなり、移植は実行されず松田様は解放されます。全員が移植を希望した場合は、適性検査を経て担当医師による安楽死処置実施後に、臓器を取り出すことになります。以上、です。何かご質問はございますか?」事務的な口調で、近藤が言った。

 松田は顔を上げて、部屋のなかにいる人間の顔を一人ずつ見回した。誰もが能面のような感情がまったく感じられない表情をしている。

 ようやく、自分がとんでもないことに巻き込まれたことを自覚した。

 臓器宝くじが、そんな仕組みになっているとは知らなかった。近代国家でこんな野蛮で暴力的なことが許されてもいいんだろうか。くじで選ばれた人間の臓器を、強制的に奪うなんて。

 そして、まさか2000万円で売ったのが、自分の心臓だったなんて。他人の心臓に付いた値段であれば2000万円は高額だが、自分の生命に付ける値段としては、あまりに安すぎる。

「繰り返しますが、脱走だけは絶対に試みないよう、お願いいたします。その場合、射撃訓練で好成績を収めた警官により、警告なしで射殺されることになりますので」近藤が言った。

 さっき松田を殴った男の腰のあたりに、ジャケットの下から拳銃のホルダーが覗いているのが見えた。

 冗談やハッタリではないらしい。下手に逆らうと、本当に殺される。そう思うと、急に膝から指先までが恐怖で震え始めた。

 松田はまるで命乞いをするかのような口調で、

「あの、ちょっとだけ教えてください。当選者が一人でも拒絶した場合は、わたしは帰れるんですよね? どうなんですか。当選者のうちで、誰か拒絶しそうな人はいるんですか……?」と言った。

「現時点では、肝臓に当選された方から、拒絶したいというご連絡を事務局にいただいております」

「それじゃ、移植はされないんですよね? わたしはもう帰してもらってもいいんじゃ……」

「規約第八条により、申込期間内であれば、拒絶の意思決定を変更できることになっています。ですので、申込期間が終了するまでは、こちらで生活していただくことになります」

 申込期間は、たしかくじ券の裏に5月末と書いていた記憶がある。3か月以上、監禁生活を続けなければならない。

「今回で臓器宝くじは8回目だったと思いますが、これまで何人が実際に臓器ドナーになって殺されたんですか?」

「これまでの臓器宝くじの移植に関しましては、すべて拒絶者が現れたために、一度も移植が実行されたことはございません」

 それを聞いて、松田は少し安心した。

「わかりました。従います。でも、家に帰って着替えだけでも取りにいってもいいでしょうか?」

「御用があればごちらで承ります。私に申しつけてくだされば、週に70万円の予算を上限として、洋服その他娯楽用品は購入して参ります。もちろん、それらの品は申込期間後に帰宅するとき、お持ち帰りいただいでもかまいません。ただし、健康管理の面から、食料品とタバコ・アルコール類などの嗜好品及び刃物・鈍器など自殺に用いることができる物のご購入はご遠慮いただくことになります」


※※※


 松田は病院の診察室に連れていかれ、殴られた傷口の手当てを受けた。

 その後、病院の最上階にある一室に連れていかれた。毛の長いじゅうたんが敷かれた、まるで高級ホテルのスイートルームのような部屋に、キングサイズのベッドが置いてある。窓は開かないようになっているが、空調はちゃんと聞いてある。

 テレビやパソコンもある。冷蔵庫の中には高級な外国産のミネラルウォーターがちょうど10本入っていた。

 バスルームは広く、脚を伸ばして入ってもおつりが来そうだ。

 出入口は施錠されているが、それ以外はひとり過ごすには贅沢すぎるような部屋だった。

「失礼いたします。ご夕食をお持ちいたしました」

 そんな声が聞こえて出入口が開くと、メイド服を着た女が入ってきた。

 メイドは手際よく、テーブルの上に皿をいくつも並べていく。

「本日のご夕食は、フレンチシェフ水口浩二監修の料理でございます。2時間後にお皿を下げに参ります」

 末尾に、ごゆっくりどうぞ、と付け加えて、メイドは深々とお辞儀をすると、部屋から出ていった。

 水口浩二といえば、某有名ホテルのシェフで、コース料理を頼めばワイン付きでウン十万円するというので有名だった。

「至れり尽くせりじゃん……」独り言を言う。

 さっきとは一転して、いきなり金持ちのお嬢様のような扱いを受けるようになった。

 自分よりも臓器を大事に扱うためにこういう環境に置かれているということは理解しているが、悪い気はしなかった。

 しかも、週に70万円つまり一日当たり10万円の予算を、制限付きながら自由に使えるらしい。そのカネの出所はおそらく、松田も支払った臓器宝くじの売り上げがもとになってるのだろう。

 さっき近藤は、「臓器宝くじの肝臓が当選した人が拒絶している」というようなことを言っていた。

 人間、自分の意志で誰かの生死を決するなど、なかなかできるものではない。殺してさらに臓器を奪うなど、よっぽどの狂人でなければ、決断できないに違いない。

 自分の身体がバラされることはなさそうだ。

 銀のフォークを右手に持って、キャビアの乗ったフォアグラのソテーを突き刺して口の中に入れた。まるで歯が解けるんじゃないかというくらいの、旨味とちょうどいい塩気が口の中に広がる。こんな美味しいものは、今まで食べたことがない。

「しばらくここで暮らすの、悪くないかも」

 松田はソファに座って、料理をガツガツ食べ始めた。

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