文化祭

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文化祭

 普段は通ることのない道や景色に新鮮な感を覚えながら、私は車で息子の通う中学校へ向かっていた。今日は文化祭だった。


 意外にも、駐車場はそんなに混んでいなかった。車をすいすいと進めていき、すばやく駐車できた時、私は道中歩いている大人が多かったことを思い出した。整った格好をしていた人が多かったので、奇妙に思っていたのだが、駐車場が空いていることで納得がいった。他の人はみんな歩いてきたのだ。私は、その事実が分かった瞬間、遠慮も気遣いも何もなかった自分が恥ずかしくなった。


 ウォーリーを探したくなるほど人がいる正面玄関へ、私はそそくさと向かい、何気ない動作で注目されないように人混みにまぎれた。車で来てしまったことを後ろめたく思いながら、その事実を周りに悟られないように行動する自分をさらに後ろめたく感じていた。私の履いたスリッパは、なんとなく薄汚くて、私にそう言っているように感じられた。


 しかし、そんな気分も文化祭の熱気と生徒たちの若さに吹き飛ばされた。お化け屋敷やかき氷屋などの企画をしている教室があるフロアの空気は、遊園地にいるみたいだった。それぞれの教室が、ジェットコースターやゴーカート、観覧車、文字通りお化け屋敷などの遊園地の施設を、空間ごと持ってきたような装いをしていた。文化祭のクオリティではあるのだが、少しへたっぴな段ボールの文字が、私をより一層メルヘンにした。


 一通り教室をまわり終えて、私は一階の休憩スペースで余韻に浸っていた。息子はシフトではなかったらしく、姿が見えず少し残念だったのだが、それも後の楽しみにとっておこうと思った。午後は息子が主役の劇があるのだ。息子の学年は、一クラスにつき一個の劇をやらなければならないらしく、息子のクラスは「白雪姫」をやるみたいだった。息子は主役だから、王子様の役だ。息子が本当に劇中でクラスの女子にキスする妄想をしながら、私は、こんなときにしか見られない息子の姿を私に提供してくれるクラスメートと文化祭に感謝するのだった。



 体育館に向かって歩く人と、体育館から出ていく人が列を作って整然と歩いている様は、蟻の行進のようだった。そう考えてしまい、とても気持ちわるい感触が私の背筋を走った。今日はどうもネガティブになってしまう傾向にあるようだった。


 私が最後に端の方に座って少しすると、女子生徒のとてもはきはきとしたきれいな声がアナウンスした。

 「本日はお越しいただき、ありがとうございます。まもなく、劇が始まりますので、携帯電話の電源はお切りください。次は、1年A組の「白雪姫」です。」

そのアナウンスの後、会場は暗くなって、照明が舞台を明るく照らした。機械の「ビーーー」という音が鳴り終わって、今度は鼻声で汚い声の女子生徒の声がアナウンスした。

 「『白雪姫』」

 「昔々、あるお城に、白雪姫というとても美しいお姫様が住んでいました…」


語り部の女子生徒の声が多少耳に障っていたが、大したアレンジもなく、幼稚園の学芸会のような子芝居を繰り広げる劇の中では、その声はさほど気になるものではなかった。私は、体育館の妙な蒸し暑さとうす暗さでうとうとし始めていた。劇は20分もないというのに、この時は、時間が餅のように引き伸ばされているように感じた。それでも、語り部の女子生徒の声と、場面ごとに明暗する照明のおかげで意識を保てていた。



 「…ああ!何ということだ!死んでしまっているではないか!」

私はそのセリフにぎょっとして目を覚ました。その声が息子の声に聞こえたから、というのもあったのかもしれない。

 「……様!……………姫を……てください!」

 「……姫!……姫!」

 「小人たちが………話………ても、白……は目を覚……ません……た。」

おぼろげに聞こえてくるセリフの意味を、まだぼやける脳で理解しようとした。後から聞いたセリフははっきりと聞こえなかったのに、私の耳はきちんと息子のセリフだけははっきりと拾っているようだった。

 「…そこで王子様は白雪姫にキスをしました。すると、白雪姫はリンゴのかけらを吐き出して生き返りました。」

鼻声の子のアナウンスが耳の奥まで届いてくるようだった。やっとはっきりさせられた意識の中で、その声が反芻しているようだった。その時、初めて私は息子のキスシーンが終わってしまっていたことを悟った。

 「わーい!わーい!」

 「小人たちは大喜びしました。王子様も白雪姫も一緒に笑顔になりました。」

私は「しまった!」と後悔した。私の気持ちは劇とは反対にしょんぼりとしていた。私の目にはだんだんと舞台が暗く見えていった。


 「ドンッ!」

小人たちが白雪姫と王子様を囲んで喜んでいる時、王子が突然倒れた。会場がざわついた。私は何かアクシデントが息子に起こったのではないか?と思い、焦った。しかし、物語は進行していく。

 「白雪姫と王子様が小人たちと喜んでいる時、王子様は突然倒れてしまいました。」

会場はまだざわついていたが、アクシデントではないことが分かって私も会場も焦ってはいなかった。

 「まあ!どうしてしまったのでしょう!王子様!」

 「王子様!王子様!」

 「王子様は白雪姫がいくら話しかけても起きませんでした。」

私の脳は完全に覚醒していた。これからどんな展開があるのかワクワクしていた。体育館の空気も、どことなく澄んできたように感じられた。

 「そうだ!王子様がしてくれたように、キスしてみるのはどうかしら?」

 「いいと思う!いいと思う!」

 「そう考えた白雪姫は、王子様にキスをしました。すると、王子様は生き返ったのです。」

今度は私は白雪姫と王子のキスを見逃さなかった。残念なことに、キスをしているふりだったが、私はそれよりも、どう展開していくのか?の方が気になっていた。学芸会が劇になった瞬間だった。

 「再び白雪姫と王子様、小人たちは喜びました。王子様は混乱していましたが、白雪姫は笑顔で王子様に抱きつこうとしました。」

小人たちが白雪姫と王子の周りで踊っていた。白雪姫が勢いよく王子のもとへかけていった。しかし、王子に抱きつく直前、王子の前で白雪姫は倒れてしまった。若干、痛そうでもあった。

 「しかし、王子様に抱きつく前に、今度は白雪姫が倒れてしまいました。再び倒れてしまった白雪姫に王子様と小人たちは困惑しました。」

 「どうしたんだ!白雪姫!」

 「白雪姫!白雪姫!」

白雪姫のもとに王子と小人たちが駆け寄った。

 「白雪姫を助けるために、王子様は再びキスをしてみることにしました。」

 「すると、白雪姫は生き返ることができました。しかし、王子様も小人たちも今度はあまり喜んではいません。白雪姫も、あまり喜んでいない王子様と小人たちを見て、黙ってしまいました。」

そうセリフが流れた瞬間、会場が一気にあたたかい雰囲気に包まれたような気がした。この後の展開はだいたい読めたが、中学生の劇にしては面白いネタを考えたな、というところだろうか。


 「どうしたの?」

白雪姫が聞いた。小人たちがそれに答えようとする動作をしたとき、案の定、小人たちが答える前に王子が倒れた。そして、王子にキスしようとする白雪姫を抑えて、小人たちが言った。

 「白雪姫。白雪姫が王子様にキスして助けると、白雪姫が倒れてしまうんだ。今度は白雪姫がキスして生き返った王子様が白雪姫にキスをすると王子様が倒れてしまうんだ。今までこれを繰り返しているんだ。」

 「白雪姫は驚きました。そして、悲壮な顔をしてベッドにへたり込んでしまいました。小人たちはただじっと見守ることしかできませんでした。」

このアナウンスで場面が終わり、暗転した。


 「…一時間程経ったころでしょうか。白雪姫がおもむろに立ち上がり、小人たちにこう言いました。」

 「私が今から王子様にキスをします。王子様が生き返ったら、こう伝えてください。」

白雪姫が何かを話す動作をした。

 「白雪姫からその内容を聞いた小人たちは驚きました。それは、白雪姫と王子様がキスをし続けて一緒に死ぬ、というものでした。白雪姫は王子様にそうしたいと思っていることを伝えて欲しかったのです。」

そうアナウンスされ、小人たちは驚いた動作をした。

 「小人たちはあっけにとられてしまいました。怒るでもなく、悲しそうにするでもなく、息を殺したかのような顔でただ黙ってうなずきました。」

今度は小さくこっくりと首を上下に動かした。一人がうなずき、その後を続いて残った小人たちがうなずいた。

 「ところが、白雪姫がなんだか変な顔をしています。何かに打ちひしがれているようにも見えました。」

 「どうしたの?」

小人が聞いた。

 「小人の内の一人がそう尋ねても、何も答えません。」

白雪姫は、小人たちと小人たちの後ろに視線を交互にせわしなく移動させているばかりで、答えようとしなかった。白雪姫は小人たちの後ろでもぞもぞと動く王子を見ていた。

 「そう思った瞬間。」

こうアナウンスされたとき、小人たちの後ろで起き上がり始めていた王子が立ち上がったのだった。

 「二度と俺の前に現れるな!この変態が!」

王子はこう言って、勢いよく走り去った。そして、舞台は暗転した。

会場は驚きと困惑に支配され、静まり返っていた。その静寂の中、鼻声の女子生徒の汚い声だけが音を立ててアナウンスした。

 「王子様はそう言ってその場を立ち去ってしまいました。その後、白雪姫は女王に殺されてしまい、王子様はそれから二度と城の外に出ることはなかったといいます。おしまい。」


 私はそのまま動かないロボットのように椅子に座り込んでいた。演技とは言え、息子があんなことを言ったのがショックだったのだ。それに、息子のあの一言は、私に向かって言っているようにも感じられた。もしかして、わざわざあのセリフのために、王子役に立候補したのではないか?そう想像して、私は頑張った息子に会うこともせずに、逃げるように帰っていった。


私は男だ。

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