第82話 桃園の誓い

 よくよく辺りを見回せば、すぐ近くにいた信長兄上方の足軽たちは、地面に座って体を休めた状態のまま、目を丸くして俺を見ていた。


 あ、うん。君たちだけじゃなくて、俺もびっくりしてるからね?

 こんな両陣営のど真ん中にくる予定じゃなかったし。


「何をしておる、喜六! ここは子供の来る場所ではないぞ!」


 右手にある本陣から、よく通る少し高い声が響く。信長兄上の声だ。馬に騎乗したまま、こっちを見ている。


 うっわ。めっちゃ怒ってるな、あの顔は。


「私は、この戦を止めに参りました!」


 大声でそう叫ぶ。


「もう遅いわ! どちらかの首が落ちねば、戦は終わらん!」

「なぜです! なぜ兄弟なのに、戦わなくてはならないのですか!」

「俺に聞くな。信行にでも聞け」


 聞けって言われても、信行兄ちゃんはどこにいるんだよ。

 信長兄上の兵は七百だから本陣にいる兄上が見えたけど、信行兄ちゃんの兵は二千もいるから、どこが本陣か分かんないじゃないか。


 さっきまでの日差しは雲の切れ間の間だけだったのか、また日が陰ってきた。


 くそ。また雷雨になりそうだな。


「かつて三国志の時代におきまして。一人で一万の兵に匹敵すると言われたほどの武勇で知られる張飛殿は、禁酒の誓いを破って酒に酔ったことによって、呂布に徐州の城を奪われてしまいました。ですが蜀の劉備玄徳公は、義兄弟の張飛が責任を取って自刃しようとするのを、兄弟は手足の如く妻子は衣服の如し、と言って止めました。衣服はたとえ破れても繕って修繕することができる。しかし、切れてしまった手足を再び元のようにつなぐことは出来ません。その手足と同じように自分にとっては大事なのだから、死に急いではならないと諫めたのです。このように、桃園の誓いを結びし義兄弟であれば、手足のごとく大事に思うのが当然であるのです。であるならば、信長兄上と信行兄上は実の兄弟でいらっしゃるのですから、なおさらお互いを大事に思わないといけないのではないでしょうか」


 俺は声を張り上げて言う。

 多分、どこかで俺の言葉を信行兄ちゃんも聞いているはずだ。


 これ、妻子は取り換えが効くけど、兄弟は取り換えが効かないっていう、わりとひどい話なんだけど、他の、兄弟が手を取り合ってがんばろうって意味のことわざを知らなかったから仕方がない。


 いやだって、他のことわざって「兄弟は他人の始まり」とか「遠くの親戚より近くの他人」とか、火に油を注ぐようなのしか思いつかないんだよ。それはさすがに使えないからな。


「はて。それがしはそのような話を聞いたことはございませんが」


 左側から、忘れようのない不快な声が聞こえてくる。頬当てをしていて顔は隠れているけど、声で分かる。林のクソジジイだ。


 林通具は騎乗したまま、ゆっくりと人垣の前に出てきた。

 だけど出過ぎないのは、多分、信長兄上の兵に弓で射られない距離をキープしているからだろう。


「三国志といえば儂も嗜みましたがな。いくら何でも作り話とは感心いたしませんなぁ」


 作り話だと!?

 このエピソードは、三国志の中でも一、二を争う人気の話である、桃園とうえんの誓いから派生してる話だ。俺でも知ってるくらいだから、この時代でも当然人気だろう。


 桃園の誓いのエピソード自体は、劉備、関羽、張飛の三人が、桃園で酒を飲みながら義兄弟となる誓いを結び、生死を共にすると宣言したっていう話だ。


 そして俺は、劉備が言ったセリフを口にした。義兄弟じゃなくて血の繋がった本当の兄弟だけど、まさに俺たち三人の今の状況にぴったりだからな。


「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」


 くーっ。しびれるだろう?

 この後も、関羽と張飛は死ぬまで劉備によく仕えるわけだ。


 そこら辺が、多分、日本人の義を重んじる風潮にマッチしたんだろうな。現代でも三国志は人気がある。漫画とか小説とか、あとはゲームだな。信長が野望を持つゲームの会社が三国志のゲームも作ってたんじゃないかね。


 それを知らないとか、ありえないだろう!?

 

「聞いたことがありませぬな。与太話もいい加減にしていただこう」


 いらいらしたように林のジジイが吐き捨てる。


 え? 本当に知らないのか?


 俺はちょっと焦って、俺の背中を守ってる熊にこっそり聞いた。


「勝家殿。三国志のこの話は聞いたことがありませんか?」

「申し訳ありませぬ。三国志は習い申したが、不勉強であいにくその話は聞いたことがござりませぬ」


 もしかして。俺ってばこんな人がいっぱいいるところで赤っ恥をかいちゃったって事か?

 ま、まずい……かな?

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