第45話 織田信行

 俺の問いにしばらく沈黙していた信行兄ちゃんは、伏せていた顔を上げて俺を見た。


「信長兄上では、家中はまとまらん」


 うん。そうだね。このままじゃ、きっとそうなる。でもさ。


「私と信行兄上で、信長兄上を盛り立てて参りましょう。そうすれば織田は比することなき権勢を手に入れられることでしょう」

「兄上ならば、尾張を統一できるとでも言うのか」

「いえ」

「喜六もそう思うのなら、わしに味方せよ!」


 いつもは穏やかな信行兄ちゃんが、鋭い目つきでそう言い放つ。


「私が否定したのは、信長兄上が尾張一国のみを統一するということにございます」

「……どういう意味だ」

「信長兄上ならば―――」


 そこで俺は、緊張に乾いた唇をペロリとなめた。

 息をすうっと吸って、吐く息で一気に言葉を放つ。


「信長兄上ならば、天下をお取りになれましょう」


 あまりにも理解不能な言葉だったのか、さっきまでの覇気を霧散させて、信行兄ちゃんは目を見開いたまま言葉を失っていた。


「そのような大言壮語もいい加減にせい」


 あり得ぬ、と顔の前で手を振る信行兄ちゃんに、俺は首を傾げた。


「大言壮語などではありません。信長兄上は、はるか先を見ていらっしゃいます」

「なぜそれが分かる」

「私もまた、信長兄上の目指す太平の世を、胡蝶の夢でみたからでございます」

「戯言を―――」


 信行兄ちゃんの言葉を遮り、俺は部屋の中に飾ってある屏風を指した。金箔を貼られ、鶴の絵が描かれている豪華な屏風だ。父上が存命の時に、名のある絵師に描かせたものだという。


「たとえば末森で使っている器。以前もお話しましたが、私は夢で、もっと白く、あの屏風のような絵のついた皿を見ました」


 末森に窯があるという話を聞いた時に、信行兄ちゃんに現代では白い皿が普通に使われていたって話をしたことがある。

 そしてそれと同じ話を信長兄上にもしてみた。信行兄ちゃんと同じような反応をするのか、試してみたんだ。


「だが作り方が分からぬのでは、ただの夢だ」


 うん。あの時も兄ちゃんにはそう言われた。

 でも、信長兄上はさ―――


「そうですね。私にはその器の作り方は分かりません。でも同じ話を信長兄上にもいたしましたら、兄上は、それは何という名前だったのか。白いと言うが、どれほど白いのか。窯が違うのか、土が違うのか、温度が違うのか、と、次々に質問を投げかけられました」

「それが先を見る事と、何の関係がある」


 信行兄ちゃんは、イライラとしながら膝を手で叩いた。


「話しているうちに、その器が瀬戸物と呼ばれていたことを思い出しました。瀬戸……尾張の瀬戸にも窯があります。兄上は私の話を聞いて、瀬戸の近辺に陶器を焼くのに使える白い土はないかと探させました」


 俺がそこで言葉を切ると、信行兄ちゃんは今度は身を乗り出してきた。


「見つかったのか!?」

「はい。まだ白い陶器を作るには至っておりませんが、そのうちに白い器が作られることでしょう」

「……ただの夢物語ではなかったということか」

「はい。兄上は、ただ人ならば夢に過ぎないと思うことを実現できる力があります。それこそが天下人たる証ではないでしょうか」


 話し終って、俺は信行兄ちゃんの反応を見る。俺の気持ちが伝わったのかどうか、その表情からは感じ取れない。


「戦も飢えもない暮らし……」

「え?」

「以前、喜六が言っておっただろう」


 ああ、そうだ。うどんを初めて披露した時の話だ。たった半年ほど前のことなのに、凄く昔のことのように思える。


「喜六は兄上に戦も飢えもない暮らしを作ってくれと言っておった」

「はい。その気持ちは今でも変わっておりません」

「わしと喜六で信長兄上を支える……か」


 しばらく瞑目していた信行兄ちゃんは、ゆっくりと目を開くと、まだ迷いの残るまなざしで俺を見た。


「喜六の言いたいことはよう分かった。清須から帰ってきたばかりで疲れたであろう。ゆっくり休むがよい」


 それは、会話の終わりを告げる言葉だった。


 俺が退室する時も、信行兄ちゃんはじっと目をつぶって考えこんでいるようだった。

 これで、信長兄上と信行兄ちゃんの仲が改善されればいいけど、こればっかりはどうなるか分からんな。


 今の時点でこれ以上俺にできることはないし、仕方ない。


 でも、兄ちゃん。頼むから改心してくれ。

 でないと史実通りに、兄ちゃんは―――




 俺の言葉が信行兄ちゃんの心に響いたのかどうか。

 それが分かるのは、もう少し後のことになる。


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