第22話 熊、帰還

 城内では何度か清須からの伝令が届いていて、その度に家中に動きがある気配がしていた。そろそろ信行兄ちゃんが出陣かという時、俺が待ちに待っていた那古野からの謀反制圧の報が届いた。


 坂井孫八郎、佐々さっさ勝重により成敗される、と。


 そして信光叔父さんを殺した孫八郎一党の首は、那古野の城門に晒されたという。


 よくやった、熊! なんとか信長兄上に伝えてくれたんだな。


 俺はこれから帰ってくるであろう熊を労うために、台所へ行ってちょっと前に料理方に頼んで作っておいてもらったものを出してもらった。


 必殺・おにぎりの友、昆布の佃煮だ。


 昆布は陣中食としても採用されているくらいメジャーな食材なんで、最近の末森ではかつお節と共にだし取りの主役になっている。信長兄上にも教えてあるので、そのうち尾張でも昆布だしの効いたお吸い物とかがメジャーになるだろう。


 そして昆布の佃煮は、だしを取った後の昆布を使って作った。

 乾燥させて保存してある昆布は長期間保存ができるけど、だしを取った後の昆布はすぐ腐るらしい。だから今まではだしを取り終わったら捨てていたみたいなんだけど、それを見て、もしかしてこれ、再利用できるんじゃないかな、とひらめいた。


 決して夕飯ができるまでの間にひもじくなって、料理方からこれでも食べてないさいともらった、だしを取った後の昆布をかじっていたからひらめいたのではない。


 だしを取ってうにょっとしている昆布を3センチくらいの幅に切って、それを細切りにする。すぐ食べるならそれに塩をかけるだけでもいいけど、保存するならひと手間かけないといけない。


 ひと手間かけて、おいしい佃煮にするのだ。

 多分、醤油と酒と、あと砂糖が必要だと思うんだけど、砂糖はないから、味噌だまりと酒で煮込んでもらった。


 ほんと、味噌だまりって、万能だな。味噌蔵の皆さん、一刻も早い醤油の発明を頼みます。


 そうやって作ってみたら、甘味はないけど立派な昆布の佃煮になった。


 それで、何度か失敗した後の成功だから、今度こそは信長兄上に取られないように隠しておいたってわけだ。もちろん、いずれは信長兄上にも分けてあげるつもりだけどさ。でも一番最初に食べる権利は、俺の物だと思う。おかかおにぎりの恨み、思い知れ。


 熊は今回、俺のために働いてくれたからな。俺と一緒に初の昆布の佃煮おにぎりを食す栄誉を与えてやろう。俺ってほんと、家臣思いのいい主人だよなぁ。




 熊が戻ってきたのは、お昼を少し回った頃だった。

 女中に湯を用意させて、手足を拭かせてあげた。それから喉が渇いているだろうから、白湯を渡した。


 こういう時に、茶の湯じゃないお茶が欲しいなぁ。いわゆる普通の緑茶が飲みたい。おーい、お茶くれ、って言いたいとこだ。ひょっとして農民とかは普通のお茶を飲んでるのかな。末森城では今のところ、抹茶しか見た事がないんだよな。


 でも抹茶があるっていうことは、茶葉自体はあるんだから、急須を作れば普通のお茶を飲めるんだろうか。抹茶のお茶碗だと飲みにくそうだから、湯飲みも作ってもらうといいのかもしれない。


 末森にも窯があるから、急須は無理にしても、湯飲みは頼めばすぐに作ってもらえそうだよな。なんでも、いい黄土が掘れるらしい。だから末森城で使われている皿類はほとんど黄色だ。


 いざとなったら急須じゃなくて、茶こしを作ってもらってしのぐ、って手もあるしな。


 そういえば、白いお皿って見たことがないな。まだ作れる技術がないのかもしれんね。


「勝家殿。ご苦労でした」

「はっ」

「それで、清須はどうでしたか?」

「清須に行きましたら、始めは末森も謀反かと騒がれました」


 ん? なんでいきなりそうなるんだ?

 ああ、そうか。那古野に呼応して末森が謀反を企てて、それを知った熊が信長兄上に注進しに行ったと思われたわけだ。

 確かにそれを疑って熊を行かせたわけだから、間違ってはいないけどな。


「殿にお会いして喜六郎さまのお言葉を伝えたところ、しばらくお考えになった殿は、佐々勝通と佐々勝重の兄弟に討伐をお命じになりました」

「お二方とも、信長兄上の馬廻うままわりの方でしたか?」


 佐々兄弟は勇猛果敢で有名な武将だ。末森にもその名前は聞こえてくるくらいだ。


「さようでござりますな。どちらも豊後守さまと同じ小豆坂七本槍でいらっしゃったので、敵討ちには並々ならぬ意欲を持っておりました」


 ああ、信光叔父さんの戦友だった人が討伐に行ったのか。なるほど。さすが信長兄上、いい人選だな。


「殿は早馬の伝令を、末森城と那古野の村にそれぞれ走らせ、佐々兄弟は途中の村で手勢を増やし那古野へと向かいもうした」


 なるほど。清須はまだ信長兄上の統治になって日が浅いから、足軽を招集してもすぐには集まらないからか。それだったら佐々兄弟だけ送り出して、那古野城の近くの村で足軽を集めた方が早い。


「それがしも、微力ながら助成いたそうと佐々殿にお供いたしました」

「え……でも勝家殿は鎧を身につけてはいらっしゃらなかったのでは?」


 急いで信長兄上に伝えてくれとお願いしたから、末森を出発する時に鎧とか具足を身につけていた時間はないはずだ。


「ですから、殿にお借りしました」

「信長兄上の鎧を、ですか?」

「いえ。城に常備してあるものでござる」


 それって、足軽たちに貸す鎧じゃないのか……? 普通はみんな自分の鎧にこだわりがあって、それぞれ工夫を凝らしてるくらいなんだが、熊はこだわりがないのかな。


「馬もそのまま乗り続けると潰れてしまいますのでな。清須の馬をお借りしたので、返しにいかねばなりません」


 確かに末森から清須って距離があるもんな。そこからまた那古野に行くんじゃ、いくら熊の馬が夜叉鹿毛と呼ばれるほどの名馬だったとしても、途中で倒れちゃうかもしれない。


 いやでも、普通はそこで佐々兄弟についていかないだろう。熊は何を考えてるんだ。


「別に兄上への報告だけで良かったのですよ。わざわざ勝家殿が行かなくても良かったでしょうに」

「しかし、くれぐれも頼むと喜六郎さまに申しつけられましたしな! 謀反を鎮圧するのであれば、それがしもお役に立ちたいと思ったのでござる。できればそれがしが坂井を討ち取りたかったのですが、佐々勝重殿に先を越されてしもうて、残念でござった」


 いかにも暴れたりないというように、熊は残念そうに首を振った。計画的ではなくて突発的な謀反だったのか、坂井の手の者はこちらが拍子抜けするほど少なかったらしい。


 この脳筋め。楽に勝てれば、そっちのほうがいいだろうに。もう少し手ごたえのある相手と戦いたかったでござるじゃねーよ。足軽程度の装備しか着てなくて、怪我でもしたらどーするんだよ。


 まったく……

 ほら。腹が減ってるだろう? これを食え。


「喜六郎さま、かたじけない。おおっ。これはうまいでござるなぁ。この中に入っているのは何でござるか?」


 笹の葉に包んだ昆布の佃煮混ぜおにぎりを大きな手でつかんだ熊は、大きな口を開けてガツガツと食べた。

 なんかこう、でっかい野生の動物を餌付けしてる気分になってきたな。


 うん。俺も食べよう。

 はあ。久しぶりの昆布の佃煮。うますぎるー!

 やっぱりもーちょっと甘味が欲しいなぁ。ああ、砂糖が欲しい。


 来年くらいになったら、織田の家中も落ち着いてくるんじゃないかなぁ。そしたら津島の商人に砂糖の買い付けを頼めるようにならないかな。

 ああ、でも津島の商人って、琉球との貿易はしてないんだったか? そしたら買えたとしても高すぎるか。後は倭寇の私貿易くらいだしなぁ。うーん。砂糖への道は遠い。





 信光叔父さんは残念だったけど、とりあえず謀反は迅速に収まったし、信長兄上も無事だし、熊も怪我しなかったし。

 このまま平穏に過ごせればいいんだけどな。


 叔父さんには申し訳ないけど、やっぱりそんなに親しくなかった親戚より、俺には兄上のほうが大事なんだ。

 すまん、叔父さん。兄上が敵を討ったから、迷わず成仏してください。




 そう思っていたけど、信光叔父さんの葬儀が行われる頃に、何とも不穏な噂が聞こえ始めていた。


 それは、信光叔父さんを殺したのは、信長兄上のはかりごとだったというものだった。


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