第19話 那古野城騒乱
弘治元年11月26日、織田家中に激震が走った。
那古野城主、織田
早朝に名古屋からきた伝令によってそれを知らされた信行兄ちゃんは、末森にいる織田の一族を全員評定の間に集めた。
青い顔をしている犬姉さまと市姉さま。そして母上とその隣に寄り添っている二歳下の弟の三十郎。そして信行兄ちゃんの正室の千代義姉さんと嫡子の御坊。
他にも林のジジイとか佐久間のおじさんとか熊とか、家老と呼ばれる重臣たちもいる。あ、熊はもう家老じゃないけど、オマケかな。
織田一族とはいっても、ここにいるのは嫡流の者だけだ。父上の側室とその子供とか、信行兄ちゃんの側室の人なんかは、別の部屋に集まっているらしい。
父上の側室とその子供って、いっぱいいるからね。もちろん父上が亡くなったから尼さんになって菩提を弔ってるって人もいるんだけど、子供がまだ小さい側室の人は末森城に残ってる。で、その残ってる人数が多くて全員はこの評定の間に入りきらないんだよ。だから別室で待機してもらってる。一応織田家の一大事だからね。
ここだけの話。父上の子供っていうか俺の兄弟って、正室腹の俺たち含めて二十人以上いるんだよな。だからさ、実は全員の名前を憶えてなかったりする。
いや。言い訳させてもらうとさ。ほら。俺ってば、これでも一応正室の息子でお坊ちゃまだろ。だから、父上が戯れに手を出した湯女から子をなして側室になったような方とは、住む場所も違うしあんまり会う機会がないんだよ。
向こうも、俺と会って何か粗相しちゃいけないとか思うらしくて、なんとなーく距離置かれてるし。
それにしても、父上ってどんだけ子だくさんなんだよ。しかも、年中戦に行ってて城にいない時の方が多かった気がするんだけどな。それで帰ってきたら、まとめてハッスルしたのかな。
あー。そういや、戦に行くと命の危険を感じて子孫を残そうとする本能が働くんだっけか。
……うむ。男として、ここは父を見習わねばなるまい。うむ。
「して、那古野の様子はどうなっておるのだ」
「は。城内はまだ混乱しておりまして、仔細が分からぬ状況でござります」
信行兄ちゃんが苛立たし気に膝を打ちながら聞くと、林のジジイがそれに答えた。
「那古野に小物の一人や二人は入れておろう。謀反人の名も分からぬと言うか?」
「それは分かりましてござります。坂井孫八郎とやら申す者でございます」
小物っていうのは、いわゆるスパイだな。信行兄ちゃん、そんなの那古野城に入れてたのかよ。まあこの戦国の世じゃ、身内も警戒対象だから仕方ないんだが、やるせないなぁ。
「誰だ、それは?」
「豊後守様の近習でござります」
「近習であれば、信光叔父上の信も篤かったであろうに。一体、何事が起ったのか……」
うーむ。信光叔父さんは、身辺警護役の近習に殺されちゃったのか。いわゆる、ボディーガードだからなぁ。まさか自分の身を護るはずの相手に殺されるとは、思わないもんなぁ。
「さて、それは分かりかねまする」
「して、城攻めの準備はできたか?」
「いましばらく、お待ちくだされ」
「
「はっ」
とりあえず分かっているのは、今朝早くに、那古野城で信光叔父さんが近習の坂井孫八郎ってヤツに殺されちゃったってことだ。
これが計画的な謀反だとすれば、那古野城は坂井の手によって支配されてるってことになる。平城だけど元々信長兄上の居城だっただけあって守りは固い。籠城されると、厄介な城だ。だからそれを見越して城攻めの準備をしてるってわけだ。
でも……と、ふと思う。
もし目の前にいるのが信長兄上だったらどうするだろう、って。
ちんたら戦の準備なんてしてないで、すぐに謀反人を討ちに行くぞとか言いそうだな。うん。目に浮かぶようだ。
那古野城はまだ混乱しているっていう話だ。だとすれば、坂井孫八郎の謀反は城内の支持を集めてから行われたものじゃないんだろう。今頃は必死に城内を把握しようとしてるってところか。
つまり、今現在進行形で、織田に謀反を起こしても身の安全が図れる、なにがしかの条件を提案してるとこなのかもな。
ということは、坂井は時間があればあるほど、味方を増やすことができるってことか。
だが那古野一城で籠城したって、いずれは落とされるだろう。織田の一族を殺されて、信長兄上も信行兄ちゃんも、相手に報復しないわけがない。
じゃあ味方がいればどうだ? 籠城している間に、外から味方がくればあるいは……もしくは近隣の城が呼応するとか。
待てよ。
那古野のすぐ北にも城があったな。田幡城か。あそこの城主は佐渡守、林秀貞だ。信長兄上の筆頭家老で、目の前にいる林のジジイの兄貴だな。
なんだか嫌な予感に襲われる。
もし……
もしも、だ。
その林秀貞が坂井と内応していたとしたら、どうなる?
籠城する坂井を攻める信長兄上の背後を襲えないか?
そしてそこに、林のジジイの甘言に騙された信行兄ちゃんが乗っちゃったら……?
信行兄ちゃんは、今、城攻めができるくらいの兵力を集めてる。きっと、信長兄上の兵力よりも多いはずだ。
今の様子を見るに、もしそういう陰謀があったとしても、信行兄ちゃんは知らないんだろう。
だとしたら。
「信行兄上。私は急に腹が痛くなりました。厠へ行ってよろしいですか?」
「もちろんじゃ。行って参れ」
こんな大事な時に、何を言いだすんだ、という皆の視線が突き刺さるけど、気にしない、気にしない。
「勝家殿。すまぬが肩を貸してもらえまいか? 足に力がなくて、立てませぬ」
「おお。それはいかん。ささ、それがしにつかまれなされ」
「申し訳ありません」
さらに、軟弱者よ、という蔑みの視線が林のジジイから向けられる。でもそんなのは無視して、評定の間から出て厠の方へと向かった。
でも厠へは向かわず、途中の部屋の障子を開けて中に入る。部屋の中に人はいなかった。
「勝家殿。耳を貸してください」
「きっ、喜六郎さま。何をなさるのでっ」
ちょっと待て熊。なんで赤くなるんだよ。変な誤解なんてするんじゃねーよ。
「今すぐ信長兄上に伝えてください。急いで那古野に向かって謀反人を捕えてください、と。そして狐狩りの後は、後門の狼に注意されたし、とも」
俺の言葉に、熊がギョロリとした目を、一層見開いた。
「それは……信行様に謀反の意思があるということでござるか?」
「いや。そこまでは分からない。でも、此度の事は、何かがおかしいような気がします」
「そう言われれば確かに……」
「ですから、急いで私の伝言を伝えてください。杞憂であればいいのですが、万が一ということもあります。勝家殿だけが頼りなのです」
俺一人で行ってもいいんだけど、多分、熊に行ってもらうのが一番早い。
だから任せたぞ、熊!
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