かわのほとりで

ゆき

ゆっくり散歩

近所に川がある。


徒歩で十数分そこらで行ける距離。

休日に何もやる気が起きない時によく散歩しに行く。


川に行く理由は、川が静かだから。


もちろん、川の流れる音や鳥の鳴き声が聴こえてくるし、他にも散歩しにきているカップルや老夫婦、ジョギングをする人もいるから当然話し声だってするし、全くの無音というわけではない。


ただ、その空間が外からの圧力や世間の価値基準と無関係であるように思えるからそこに行くのだ。


日々の暮らしの中で、外からの雑音が多すぎて、そういうものから逃れたい時に川に行く。


正直なところ、川である必要なんてなくて、山でも神社でもなんだって良い。世間からの雑音を忘れられる場所であればどこだって良いのだ。


川のほとりを歩きながら眺める空はまるで絵に描いたように美しくて、ほっとする。太陽の光をキラキラと反射させながら流れる川面もきれいで、それを眺めているだけで、自分の頭に溜まったゴミのような雑音の塊が流されていくように感じられる。


ただベンチに腰掛けてぼーっとする時間。


そういう時間が自分にとっては何より大切で、子供の頃にはそういう逃げ場がたくさんあった。今はいつでもどこでも、何かに追われているような気持ちになることが多くて、少しずつ精神的な逃げ場が削り取られていくように感じられる。


昔は好きだったことが、なんだか楽しめなくなったり、ずっとしたかったことももうどうでもよくなってきたり。


そういう時こそ、ただ散歩したりして、自分自身の声をきちんと聞く必要があるような気がするのだ。


自分の人生を誰かが肩代わりしてくれることはないし、結局は自分自身が責任を取るしかない。もちろん幼少期の環境等は自分の責任ではないような気がするのに人生に多大なる影響を与えているように感じるけれど、それでも誰かがそれを汲み取ってくれることもないので、自分が引き受けるしかなくて。


自分自身が本当に感じていることややりたいと思っていることを聞いてあげて、なるべく真の自分がやりたいことを実現させる方向に人生を舵をとってあげないと、生きていてもなんだか自分とずれているような感覚を感じたまま日々の生活を送るようになってしまう。


なので、週に1日でもいいから、川にいくと自分には良い気がする。自分自身とゆっくりと対話できる静かな時間。


実際のところ、自分自身と対話できているのかは知らないけれど、とりあえず自分自身に質問を投げかけたりしてみる。そうすると、忘れた頃にふと返事が返ってくるようなことがあることもある。


そんな感じの逃げ場があるだけありがたいのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かわのほとりで ゆき @merumeruk1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る