午睡

葛城 惶


 ふぅ......と息をついて筆を投げるように置き、畳の上に寝転がる。

 何気なく見上げた天井の板目がぐらりと揺れて、真っ暗な空間に変わる。背中に触れた畳の感触が消え、無限の谷底に落ちていく心地がする。


―まさか......!―


 私は眼を瞑り、感覚のブレが収まるのを待つ。やがて引き摺り込まれる感覚が鈍り、ゆっくりと漂いながら、柔らかな地面のようなところに着地する。とは言え背中からだから、やはり痛いと言えば痛い。

 辺りを見回せば、岩壁とおぼしきところが、柔らかに虹色に光を放っている。


「久方ぶりじゃな、四代目」


 おっとりとふくよかだが、凛とした芯の通った声が耳許に触れる。


「息災であったか?」


「お陰様で......」


 私は、いきなりの重力の負荷で痛む後ろ頭を撫で擦りながら応える。眼を開ければ臈たけた美貌の婦人。柔らかな絹の長衣の裾を床一面に波打たせ、肩に掛けた比礼を優雅に翻えす様は優美の一言に尽きる。痩せすぎず太りすぎず、程よいふくよかさを保った肢体は官能的でもあり、同時に豊かさ......という言葉そのものの奥深さ、思慮深さを伺わせる。


「原初の母君のご加護をいただいておりますから...」


と言えば、さも可笑しそうに笑う。


「しばらく見ぬうちに追従も巧うなったのう......」


 私は少しだけ口をへの字に曲げて抗議する。


「追従などではございません。生き物が皆、生命をいただき、存分に生きらるるは、母君さまが生命を授けてくださるお陰」


「存じておるなら、よろしい。記録には、あの男が成したように書かれておるが、何、男に生命など作れよう筈もない。生命の苗床を持つは、我らよ。......まぁ死を与えもするがな」


 ふっくらとした頬に皮肉めいた笑みが浮かぶ。

 

「人間は生と死を繰り返す。それはこの宇宙の摂理。ことわりの裡に存在するものの宿命さだめじゃ。母者が悪いわけではない」


 首を巡らせると厳つい顔がにっ...と笑う。背後に腕組みをして立つ男は、肩も胸も筋肉筋肉が盛り上がり、衣がはち切れそうだ。背丈も普通の人間の倍近くある。これが偉丈夫というヤツかと改めて思う。

 

「息災であったか吾子あこよ。」


「今のところは...」


と私は応える。


「巷には外国とつくにから入った疫病はやりやまいが蔓延しておりますが......」


「相変わらず人は懲りぬのぅ.....」


 ふん......と座った鼻が大きな息を吐く。


疫神えみがみ跋扈ばっこするは、世のことわりに背くが故じゃ。水を汚し、地を汚し、気を汚せば人は病む。如何にも当然の事じゃ」


それに......と、太い眉をしかめる。


「なんと心根の浅ましきことよ。己が欲にかられ我れを忘れて物を独り占めせんと駆けずり回っておる」


「欲ではありません。自らを家族を守るために奔走しているのです」


 些かの反論を述べると、雷のような声でせせら笑う。


「日頃より備えておかぬからじゃ。危機に合わねば常日頃の安泰が『当たり前』では無いことにも気づかぬ」


「生命は、時には気づくための危機に合わねばならぬ」


 婦人が応ずるように頷く。


「幾ばくかの生命は、失われる。だが、そうせねば人は学ばぬ。生命は学ばぬ。『死』という最も恐ろしきものを目の当たりにせねば、意識は変わらぬ。だが......」


 婦人がふうぅ.....とやはり溜め息をつく。


「昨今はそれも儘ならぬ。......学ぶべきことを学ばず、要らぬ知恵ばかりつく。故に流言飛語に振り回される」


「まぁ、それも致し方ありますまい。残るべき者を残し去るべき者を去らせる指標が要りますから.....」


 すす......と杓子を手に生成りの直衣のうしの、いわゆる公達が歩み寄ってくる。


「達者であったか我が末裔すえよ。戯作は進んでおるか?」


「小説と言っていただきたい.....」


 遠慮がちに反論すると偉丈夫がカラカラと笑う。

「戯れに書くなら、物語であろうと詩歌であろうと戯作であろうよ。」


「では己が暮らしのために書くなら宜しいのですか?」


「それも違う」


 婦人が涼やかに笑う。


「金品のためでなく名利のためでなく、気晴らしのためでなく、ただ後世のために書き記し、残す。文字は其のためにある。同じ時を生き、瞬間瞬間に物事を伝播するのと同じように、文字を書き残す事により、人はあらゆる場所、あらゆる時と繋がる。」


「読まれなければ意味はありませんが......?」


「だが、書いているお前は、その時、同時に読んでいるであろう。一瞬前の自分と既に向き合うておる。生命は瞬間の連続じゃ。お前の書き記したものは、遺伝子に記録される、魂に記録される。そして、それは過去未来を問わずして、お前に繋がる全ての者に伝えられる」


「ある意味、恐ろしい話ですね」


「その通りじゃ。故に『覚悟』が要る。分かっておろう。......お前が書く時、お前は独りではない。お前を通して『伝えたい』思いを抱えた者と共にある。様々な生命の声と繋がり、その時を分かち合うのだ」


「随分と大層なことですねぇ.....」


 ふうぅ......と今度は私が溜め息をつく。公達が、まぁまぁ、と宥めるように穏やかな笑みを向けてくる。


「そろそろ浮き世暮らしで学ぶべきことも学んだ筈。父の言う戯作に専念させてやろうも良き頃合いかもしれぬな?」


衣の袖をひらりと翻し、公達が囁く。


「書いて欲しい御霊も数多おるゆえな。雑事にかまけてばかりでも.....な」


「そうよの。....残る時間もそうは多くはない。役目を疎かにもさせられぬ」


「現身の裡に出来るだけのことはさせておかねば、な。......こちらに来れば難儀な仕事ばかりじゃ。息抜きがてら戯作も良かろう」


 偉丈夫が、何やら錦の袋を私の膝にどすっ......と置く。中から何やら虹色の光が漏れている。


「お前の欲する『未来』であり、希望であるものだ。大事にいたせ。」


「ありがとうございます」


 私はぺこりと頭を下げる。婦人からも、公達からも、何やら手渡される。


「では.......」


 と婦人がすっ.....と椅子を立つ。


「一言主、送っておあげなさい。須佐之男、道開きを.....」


「承知」


 偉丈夫が、立ち上がり、沓でどん、と床を踏む。途端に地面が弛み、足下が開く。


「覚えておけ、吾子よ。『生』こそが、祭りぞ。生きてこその人じゃ。まぁ卒業まじかのお前ならわかろう.....」


「卒業式は?」


「あるか、馬鹿者。襲名披露の宴ならしてやる」


 私と偉丈夫の軽口に呆れたように婦人が苦笑し、ひらひらと袖を振る。


「いずれまた......次は黄泉津比良坂の扉の開く時に。」


婦人がひらひらと袖を振る。


「参りますよ。四代目黄泉津大神」


 公達が優雅に私の手を取る。しなやかだが、やはり体温はない。御霊だから当たり前なのだが.....。


「確定ですかぁ?」


と訊く私に、公達がにっこりと微笑んだ。


「当然です」






........と言われたところで目が覚めた。

傍らで猫がニャアと鳴く。

 庭先では桜がひとつ二つ咲き始めていた。


「はいはい、ご飯ね......」


 早い春の午睡の夢の話......のはずだった。


 平和な、なんでもない日常を送っていたはずなのに、とんでもないどんでん返しに合った、普通の庶民の午後の一幕...。





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午睡 葛城 惶 @nekomata28

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