フリーライダー問題

カクヨムは物書きの集う場所ですから、『フリーライダー』という言葉、きっとご存知のかたが多いと思います。経済学用語で、『活動に必要なコストを負担せず利益だけを受ける者。 不労所得者。 交通機関にただ乗りする者』(Wikipedia)のことです。わたしはつい先ほど知り、調べてみたという流れです。


自分の作品がなぜ読まれないのか……その重大な理由のひとつに気づき始めてはいたのですけど、確信に変わりました。


フリーライダーだからですよ。


人の作品に感想を書いたり応援のハートを贈るなどの行動をしていないのに、自分の作品にはしっかり評価を求めている。要するに、自分は苦労をせず、いいとこ取りをしようとしているんですね。そんなつもりはないのでそう見られたくないのですが、人の目には、そして実績としてはそういう結果になっているのです。


たまたま覗いてみた某投稿サイトの参加規約に、フリーライダーは歓迎しないという記述がありまして、なるほど、ものすごく嫌われる在りかたなんだ、と大きな衝撃を受けました。わたしはそもそも嫌われる立場にある作家なんだということを、強く自覚しました。


交換条件としての応援やコメントなのか。そんなことを考え始めるとメンタリティがいいほうへ行かないんですけど、現実として自分の状況を鑑みると、自分の作品を読んでもらうためには、自分を知ってもらうためには、まず人の作品への反応は不可欠なのか……


端的に言うと、自分の創作時間を削ってでも誰かの作品を読んでレビューを書いたりしないと、めぐりめぐって自分の作品のためにならないのだ。そういうふうな理解になってきました。というか、実際そんな感じだよね。


息苦しい。


前述の某投稿サイトの記述を読んで、必須であり義務と化した人への評価や感想は、正直自分への負担になりそうで息苦しく感じ、肌に合わないと思って早々にウィンドウを閉じたのでしたが、決まりごとにではないにしても、カクヨムでも暗黙の了解なのだろうか。


書くの好きだけど読むのは苦手。そういうユーザはいないのかなぁ。書くの好きな人は大概読むこともしていると思いますが(資料をあたったり趣味で読んだり)、マイノリティなのかな。時間があれば創作に充てたいと考えるのはエゴになるのか……


苦手だったら許されるとかっていう問題ではないのですけども。自分が求めてやまないように、書き手は自分の作品に対してリアクションをもらえるとやっぱり嬉しくて、創作活動を頑張ろうって思えて、益々楽しくなるだろうなぁ。自分だったらそう思うので、人にもその喜びを感じてもらうためにも、レビューや応援はするに越したことはないだろう。


できる範囲内からでも行動をしていくのがいいのだろうな。息苦しいけど、人間はなんらかのコミュニティに属していないと生きづらいので、創作を進めつつ、人づきあいもうまくやっていくべきなんだろう。


ギブアンドテイクなんだよねぇ。わたしは人気作家じゃないので、コツコツ作品や近況報告を更新してもそれだけじゃ読んでくれる人がおらず、プラスα要素を付加しないと関心を持ってもらえないのだ。好きなことを好きなようにやっているだけでは駄目なのですよ(苦笑)


そう簡単に現状は変えられないだろうけど、どうにかしたい。

詩の勉強もしようとしている(近況ノート:https://kakuyomu.jp/users/soiboshi/news/1177354054922202625)。

不名誉な肩書きを返上したいし、作品を読んでもらいたい……

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