流星の刹那に刻印は叫ぶ
白湊ユキ
THE SIGNS STORY
第1話 はじまり
Scene I [日常]
白――ただひたすらに、真っ白な世界だった。
永遠に世界を塗りつぶさんとばかりに雪が舞い落ちる。
その中で、少女は立ち尽くす。
瞳に映るのは、黒。芸術的なまでに黒く長い髪。そして、鮮血を滴らせてなお漆黒たる直剣。
少女の唇が動く。
不意に呼吸が詰まったように苦しくなる。
私は……。
*
*
*
高層ビルの群れが視界を音もなく流れていく。
電車は地上3センチメートルを線路に沿って滑るように走っている。
彼女は両開きのドアに寄りかかって、車内を見渡した。
壁の電子パネルには環状の路線図が表示されており、現在地を示す赤い矢印が点滅しながら動いている。
閑散とした車両内には男女が一人ずつ座っている。どちらも首に嵌めたリング状のデバイスに夢中らしく、誰もお互いの事を気にしていない様子だった。
不意に、彼女の視線がある一点で止まる。深みのある黒い瞳に、忽ちレッドヴァイオレットの輝きが瞬いた。
その先には、長い黒髪と白磁のような肌をした少女が立っている。飾り気のない白いワンピースを着た少女の首には、他の乗客のようなデバイスが付いていない。少女は彼女の事など意に介さずといった風で、窓の方に身体を背けてしまう。ついでにように肩にかかった髪を払う。何気ない所作だが、一切の無駄がない。
空調が少し暑いのか、彼女はマフラーを緩めた。
紺色のキャスケットから伸びるざっくりとしたショートヘア。その明るい栗毛が軽そうに揺れる。
腰のあたりが膨らんだ鮮やかなブルーのサロペットを着こなし、その上にネイビーのテーラードジャケットを羽織った佇まいは、絵の具とキャンバスが非常に似合いそうだ。
彼女はサロペットの腹部のポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出した。
――着いたよー。いつものところで。
空中にポップアップしたメッセージに彼女は口許を緩め、白い兎が前足を伸ばして丸を作るイラストが描かれたスタンプを送った。
それから、目を細めて窓の外のビル街を眺める。
――間もなく、
アナウンスと共に電車が停まる。震動は殆ど感じなかった。
ごく僅かな駆動音をさせて発車する汎用リニアモーターカー――略してGL系の流線型の車体を背に、彼女はホームの階段を段飛ばしで降りていく。そして、およそ地上3階の高さをあっという間に下り切った。
自動改札を走り抜けると果たして、待ち合わせの相手はすぐに見つかった。
逆立ちで本を読み耽る二宮金次郎像――通称『ヤミノニさん』の足元で、濃紺の着物に赤い羽織を羽織った女性が手を振っている。
「せーい!」
自分を呼ぶ声に彼女は駆け出す。
「おはよー」
「おはよ、万里」
彼女――
***
いつもの黒いリュックを揺らして走ってきた星から、ふわりと柑橘の香りが漂った。
平日朝8時の駅前の往来は両側4車線の歩行者天国がごった返す程度には忙しない。
行き交うのは殆どが学生である。
一口に学生と言っても、小学生から大学生まで年齢層は幅広い。この付近には全寮制で小中高大一貫の超名門学園を筆頭として、20以上の学校・研究機関が存在しているのだ。さながら学園都市である。
昼間は広くて落ち着いた雰囲気のカフェだが、この時間帯は午前中の暇を潰しに集まった大学生で埋まってしまう。
テーブルに課題らしきプリントを広げてお喋りをしている男子4人組の隣、窓際に何とか座席を確保したわたし達は、テーラードジャケットと長羽織をハンガーに掛けて腰を落ち着ける。
「何にする? わたしは、モーニングプレートにしようかな」
向かいの席に座る星に訊ねる。
彼女は見開きいた紙のメニューを覗き込み、大真面目に悩んでいた。眉間に小さく皺が寄っている。
「うーん。それも捨てがたい……。あ、こっちのサンドイッチも美味しそう」
確かに美味しそうだ。あまりに真剣なので、わたしも自分事のように考えてしまう。
「――決めた、ハンバーグセット」
「朝から重いのいくわね」
今日も平常運転の彼女に吹き出しつつ、空中に浮かんだメニューから料理を選択する。
親指で「注文」ボタンを押したのと、首のデバイスが震えたのは同時だった。
――チケット送っといたよ。あの子にもヨロシク。
メニューの手前にポップアップする。メッセージアプリの着信だ。
つい1時間程前のやり取りを思い出しながら、星に話しかける。
「今朝、彼方さんに会ったよ」
「あたしも会ったよ」
「いや、キミは同じ屋根の下でしょ」
彼方さんこと――氷崎彼方は星のお姉さんである。
星はごそごそとリュックを探りながら口を尖らせる。
「3日ぶりですよー。あんまり居ないんだ、お姉ちゃん」
「仕方ないわよ。もうすぐ初演だもんね」
「ん」
おや――と直感が告げる。しかし、それを確認する前に、「お待たせ致しました」と店員がドリンクを運んでくる。わたしはアイスティー、星は――バジルオレンジジュースとかいう少し味覚を疑う飲み物を頼んでいた。
星はB5サイズのノートを開き、左手のカラーペンを走らせている。
夢中な彼女の肩が動く度、左耳でピアス――エメラルドグリーンの四葉のクローバーが揺れる。
わたしは苦味のあるストレートティーのストローから口を離して訊ねる。
「また何か思いついたの?」
「うっふっふー。実はですね、来る途中で良い子を見かけたんだ」
星は世紀の大発見でもしたかのように胸を張って――揺らして――言う。
「へぇー、どんな?」
「んー、そうだねぇ。雪、みたいな感じかな。こう、ぴりっとしてて。でも思い出すときゅーってなる感じ」
「あはは。全然わからん」
ノートの上には、黒髪の少女が剣を持って鎧の騎士と闘っている――演劇のワンシーンを切り取ったと思われる――ストーリーボードが広がりつつあった。
(もしかして……。モデルはあの子かなぁ?)
カフェに向かう道すがら、足早に過ぎる人波に逆行して一人、ゆったりとした速度で歩く女の子を見かけた。長い黒髪と対照的に白いワンピースを揺らす高校生くらいの少女。まるで少女の周りだけ時間が止まったかのようだった。
すれ違う間際、視線が一瞬交わったように感じた。
気になって振り返ってみたけれど、既にその子は雑踏に紛れてしまっていた。
手元のグラスで氷がカランと音を立てる。
「まだ描いてるんだ、そのノート」
「――劇団は辞めちゃったのに」
言うつもりの無かった一言がうっかり漏れる。
窓の外を流れる人波は店に入った頃と大差ない。
今日はお互い1限がないので、9時を過ぎるくらいまではこのカフェに居座りたいのだけれど。
――それにしても、なかなか料理が届かない。
不意に、星はそれまでノンストップで走らせていた筆を止めて、わたしを見つめる。
「万里はあたしの最初のファンだよ。ずっとね」
「うん、そうだった。ごめん。事情は話してくれたから良いの。星が決めた事だし、反対ってわけじゃないんだ」
私は右耳の四葉を弄びつつ呟く。
「でも、ちょっと勿体ないかなって思う」
それは今年の秋に遡る。星は小学生の頃から入っていた劇団を辞めた。
わたしは舞台の上の彼女が好きだったし、彼女の紡ぐ物語も好きだった。それこそ幼い頃から見てきた、一番のファンだ。そして何よりも――彼女のお父さんが遺してくれた劇団なのだ。
しんみりとしてしまいそうな空気を振り払いたくて、笑顔を作る。
「週末空いてる? 彼方さんがstellaのチケット、2枚確保してくれたって。一緒に行こーよ」
きらりと――、彼女は瞳の中にレッドヴァイオレットの星を輝かせる。
「行くっ」
彼女が弾んだ声を上げた直後、朝食が運ばれてきた。
*
*
*
〜第1話 はじまり〜
*
*
*
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます