第6話「泣いてもいいよ」






   6話「泣いてもいいよ」






 周と出会って1週間が経ったこの日。

 カフェでは、ホストの練習をするのが目立つ事がわかり、吹雪の提案でカラオケに行く事にした。前回、周がとても甘い言葉を囁き続けたので、隣にいた女の子達に苦笑されていたのに、吹雪は気づいていた。そのため、個室の方がいいと思ったのだ。

 2人きりになるのは恥ずかしいと思いつつも、この方法が1番良いのではないかと考え、提案すると、周も「そうですねー!確かにカフェでホストも恥ずかしいですもんね」と言ってくれたので、安心した。

 意を決して2人で密室であるカラオケルームに入る。彼ならば大丈夫だろうと思いながらも、向かい合って座ろうと決めていたが………それを周は許してはくれなかった。



 「あの!吹雪さんに聞きたいことがあるだけど」

 「………何………かな?」



 吹雪の隣に座り、かつかなり接近して声を掛けてくる周は、真剣そのものだった。

 彼が何を話し始めるのか。吹雪にはわからずドキドキしながら周の瞳を見つめる。彼も緊張しているようで、瞳が揺らいでいるのがわかった。

 もしかして………と、期待してしまう自分がいる事に気づいて、吹雪は自分自身の考えにため息が出そうになる。

 また、すぐに人を信じて誰かとの恋を想像する。それが自分のだめな所だとわかっているはずなのに。



 「俺と初めて会った日の事、聞きたい………。聞いていいいか迷ってたけど、やっぱり気になるから」

 「え………」

 「少し目が赤くなってたし、アイメイクも落ちてたから………何かあった?」



 まさか、出会った時の事を言われると思わず、吹雪は言葉に詰まってしまう。

 すると、彼は眉毛を下げて悲しげな表情で、吹雪の顔を覗き込んでくる。



 「えっと………大したことじゃない、から………」

 「目が赤くなるほど泣いたのに?俺に聞かせて。練習に協力してもらってるから、少しでも吹雪さんの役に立ちたい。それに、ホストはそういう話を話して、癒してあげるのも大切だと思うんだよね。だから、教えて………」

 「………そう、だね」



 どうしてだろうか。

 優しい言葉のはずなのに、少しだけ胸が痛むのは。

 周はきっと優しさから言っているとわかっているのに、吹雪は素直に喜べなかった。その理由に気づかないフリをしながら口を開いた。

 そんな風にモヤモヤとした気持ちが残っているはずなのに、彼に話したいと思ってしまう。

 吹雪にとって周は、やはりとても不思議な存在だった。


 

 「………楽しくない話だけどいいかな?」

 「いいよ。何があったの?」

 「友達の紹介で男の人と会ったの。とても紳士的で落ち着いてて感じのいい人だったよ。けど、実は婚約者が居て……その………愛人関係にならないかって言われたの。断ったら高級ディナーのお金取られちゃった………」

 「………そんな事があったんだ。辛かったね」

 「でも、それよりも………私はその人の事いいなって思ったわけでもないのに、付き合わなきゃ損だな、とか、これを逃したら結婚出来ないかもしれないって心の中で思ってた。昔みたいに、本当に好きになってからダメになるより、こういう人と結婚すればいいのかなって思っちゃったの………本当に最低でしょ?」



 自分のドロドロとした醜い感情。

 それをさらけ出してしまったら周はどう思うだろうか?失望するだろうか。それとも1人の客として慰めるのだろうか。

 そんな後悔が後から襲ってくるけれど、もう今の言葉は彼の耳に入ってしまっている。言わなければ良かったと思っても遅いのだ。


 彼の次の言葉が怖い。

 視線が怖い。

 表情が怖い。


 そう思ったけれど、次に感じたのはそのどれでもなかった。

 気づくと周に引き寄せられ、そのまま吹雪の体は彼の腕に包まれていた。

 彼の温かいぬくもりを感じ、驚いて、吹雪は体を硬直させてしまう。



 「あ、周くん………あの………」

 「そうやって好きな人を探していくのも、恋愛の1つのあり方だと思うよ」

 「……ぇ……」

 「全ての人が始めから相手を好きだったり、一目惚れだったりするわけじゃないと思う。まだ知らない段階で、知るために恋人になる人もいるんだから………。辛いことをされたのに、そうやって自分を責めないで」

 「………周くん………」



 周の言葉が胸に染み込んでくる。

 ゆっくりと語りかける優しい声。「間違ってないよ」と言ってくれる彼の気持ちが、吹雪にとってとても安心できるものだった。

 耳元で語る周の声を、彼の体温を感じながら聞いていると、何故だか視界がボヤけてきた。そこで、吹雪は自分が泣いているのだとやっと気づくことが出来た。

 涙を拭こうと手を動かそうとしたけれど、周が強く抱きしめており、吹雪は涙を拭う事が出来なかった。



 「周くん………私………」

 「……本当は昔の話も聞きたい。けど、もう1つ辛い事を思い出すのは吹雪さんにとって悲しい事だから………その傷を俺が癒せたら………また、聞かせてください。そうしたら、また癒してあげられるから」



 そう言うと、周の腕の力がまた強くなる。

 吹雪の耳は、ドクンドクンッと彼の鼓動に支配されてしまう。

 だけど、それが今の吹雪には何よりも安心出来る場所だった。



 「………怖かった………」

 「……うん……」

 「冷たい目も、鋭い言葉も、周りの視線も………怖かったの………」

 「そうだね………吹雪さんは間違ってない」



 周の言葉とぬくもりに甘え、吹雪はその日やっと泣く事が出来た。


 大人になると涙を我慢する。

 大人になると独りで泣こうとする。

 大人になると甘えるのが恥ずかしくなる。


 そんな、立派な大人というレッテルを剥がしてくれる。周は、不思議な存在だった。



 ホストの男性は甘い香りがすると思っていた。気高く、花のような高貴な香りを纏っているようなイメージだが、周は違った。

 どこか懐かしい、自然の香りがしたのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る