第1話「嘘の顔」
1話「嘘の顔」
「ふぅー…………」
タワービルの高層部にあるおしゃれなレストラン。そこには着飾った若い女性や、スーツ姿の男性が多くおり、皆上品に微笑み、綺麗な仕草で料理を楽しんでいた。
吹雪は慣れない雰囲気に、明日見吹雪(あすみふぶき)は大きく溜め息をついた。自分のクローゼットの中で1番高級なドレスを着て、化粧も気合いを入れてきた。髪型は少し前に美容院に行って、ふるいパーマをかけてもらったばかりなので、艶があって自分では気に入っていた。それなのに、こんな場所に居ると妙に自信がなくなってしまう。
ここは高級レストランで、普段の吹雪ならば滅多に足を運ばない場所だった。
けれど今日は誘われてこの場所に連れてきて貰ったのだ。
「すみません……お待たせしました」
「あ、いえ………お仕事、大丈夫でしたか?」
「大丈夫です。簡単なトラブルだったので、直し方を伝えたら通常に戻ったみたいなんで」
「よかったですね」
スマホ片手に申し訳なさそうな表情で戻ってきたのは、林光弥(はやしみつや)という、少し年上のメガネがよく似合う男性だった。ダークグレーの細身のスーツを着こなした、紳士的な男性。話し上手であるし、清潔感もある。女性に人気がありそうだな、吹雪は思った。
「司書さんなんですよね?やっぱり本が好きなの?」
「えぇ、昔からよく読んでいました」
「そうなんだ。俺はビジネス書しか読まないから今度何かおすすめがあったら教えてよ」
「そうですね……私はミステリが好きなので………」
吹雪は、にっこりと微笑みながら会話をしていたが、内心ではとても緊張していた。光弥とはこの日が初対面なのだ。
なかなか恋人が出来ない吹雪を見て、友人が光弥を紹介してくれたのだ。「私の会社の取引先の人なんだけど、この間一緒にランチした時の写真を見せたら、「吹雪の事を綺麗な人だね」って言ってたんだ。どうかな?」と、話を掛けてくれたのだ。
あまり乗る気ではなかった吹雪だけれど、このままでは駄目だ、という気持ちもあったので断らずに受ける事にしたのだ。年齢もアラサーと呼ばれるようになったし、周りの友人や職場仲間も次々に恋人が出来たり、結婚したりしているので焦らないと言ったら嘘になる。
それに、いつまでも昔の事を気にしては駄目だ。少し思い出すだけで、心の奥底がチクリと痛んだ。
「吹雪さん……大丈夫?」
「あ………ごめんなさい。少し酔ってしまったみまいで。ここのワイン、とても美味しいから」
「大丈夫?無理しないで」
「すみません………」
吹雪はワインではなく水を飲んで、落ち着こうとグラスに手を伸ばした。すると、その手がグラスに触れる前に温かい感触に包まれてしまう。
「え、あの………」
「吹雪さん、俺は君と話をしてとても楽しかったんだ。吹雪さんは楽しんでくれた?」
「え、えぇ………それは、もちろん」
「ならよかった。俺として、もっと吹雪さんを知っていきたいんだけど、いいかな?」
「それは、嬉しいです。ありがとうございます」
優しくて、笑顔が素敵で、気配りも出来る。年上で落ち着いているのも魅力的だなと思う。だから、私も好きになったりするのだろうか。
………けれど、少しもドキドキしたり、これなら目の前の人と恋人になる未来を想像してしまう。けれど、何故か違和感を覚えてしまう。
そんな風に思いつつ光弥を顔を見返すと、彼に熱を帯びた瞳で見つめられ、吹雪は思わず目を逸らしてしまった。今、彼と視線を合わせては駄目だ。女の勘がそう言っていた。
「よかった。じゃあ、今夜はいいって事だよね?」
「え……今夜って……」
「ここは上がホテルになっているんだ。さっき予約してきたんだけど……そっちにも招待してもいいかな?」
「………今日、ですか………」
会ったばかりなのに誘うなんてルール違反だ。そう思いつつも、もう大人の恋愛なのだからそれぐらいは普通だともわかっている。
彼の手のひらがますます熱くなる。けれど、自分の体も同じぐらい熱くなっておるだろう。
きっといい人だ。
だから、ここで断ってしまったら勿体ない。
躊躇うなんて駄目だ。
ここでチャンスを逃したら………。
そう思って口を開いた瞬間。
テーブルの上に置いていた光弥のスマホがブブブッと鳴った。吹雪は驚き、ついそちらの方を向いてしまう。と、薄暗い店内に煌々と光るスマホの画面はとても見やすくなっており、吹雪はそのメッセージの内容が見えてしまった。
「………ぇ………」
予想外の文章に、吹雪は思わず小さく声を上げてしまった。
そこには、『次のウェディングドレス選びには一緒に行こうね』と、表示されていたのだ。
ウェディングドレスという事は結婚式だろう。まさか、モデルの話ではないだろう。吹雪は呆然としながらそのスマホを見つめてしまっていると、光弥の視線に気づき見るのを止め、そして彼が掴んでいる自分の手を膝の上に戻した。
ドクンドクンッと鼓動が大きくなっている。
「あー………バレちゃった?まぁ…………ちゃんと話さなきゃいけない事だったね」
「勝手に見てしまってすみません…………。あの、私………」
「実はさ、出世するために幹部の娘さんと結婚することになったんだ。まぁ、その相手が………俺の好みじゃないんだよ。だから、結婚しながらも恋愛したいなって思って。吹雪ちゃんは、美人だし趣味も会いそうだし、恋人にしたいなって思ってたんだよね。どうかな?隠れてだけど、デートはするし、プレゼントも買ってあげられる。愛していきたいんだ。だから、そういう関係にならない?」
微笑んでいた表情が少しずつ固まっていく。口元がひきつってしまいそうだった。
この人は何を話しているのだろうか?
婚約者がいるのに、愛人をつくろうとしている。先ほどまでの笑顔と優しさは、偽りの恋愛を楽しむための言葉の罠だった。
光弥という男は嘘をついていた。
その瞬間。ずっとずっと忘れたいと思って心の深い深い奥底に隠していた思い出が、蘇ってくる。冷たい声と、聞いたこともないような本音。今でもその言葉を思い出す度に、何度でも吹雪を傷つけるのだ。
その記憶からも、目の前の彼からも逃げ出そうと、吹雪は鞄を手に取り、財布から一万円札を取り出すと、テーブルの上に置いて、立ち上がった。
「光弥さん………ごめんなさい。私は、そういう関係にはなれません」
紳士的でかっこいいと思っていた顔を見ることも出来ず、うつ向いたままそう伝えると、吹雪はその場から立ち去ろうとした。
「吹雪ちゃん、ちょっと待って!」
「ごめんなさい………私、そういうのは苦手で………」
立ち去ろうとした吹雪の手首を光弥に掴まれ、咄嗟に体を強く引いた。けれど、相手は男の人。敵うわけもなく、吹雪は彼の顔を見た。
すると、光弥は先ほどと変わらず微笑んでいる。こんな場面で笑っていられるのは何故なのか。吹雪は怖いと思ってしまった。
「離してください」
「あのさ、ここのディナーそんなに安くないんだ。お金、全然足りないよ?」
「っっ!!」
顔が沸騰しそうに熱くなるとはこういう事を言うのだろう。吹雪は顔を真っ赤にし、涙を浮かべながらキッと光弥を睨むと、財布からもう1枚万札を取り出して、彼の手に強く押した。何も罪のないお札がぐしゃりと丸まってしまう。お札に描かれている顔が潰れるのを、涙を堪えながら見つめ、吹雪は周りの客や店員が何事かと見ている中、足場やにレストランから去ったのだった。
何をやっているのだろうか?
優しい言葉と、華やかな笑顔。雰囲気のあるレストランで落ち着いて食事と会話を楽しむ。この時はまだ恋をするとも思えていなかったけれど、もしかして光弥が恋人になるのだろうか。甘い言葉で告白されてしまうのだろうか。
そんな淡い期待を抱いていた自分が恥ずかしくなった。
ドキドキもしないし、楽しいとも思えなかった。けれど、いい人だから。チャンスだから付き合ってみてもいいかもしれない。
そんな不純な理由だったから、上手くいかなかったんだろうか。騙されてしまったのだろうか。
吹雪は悲しくて、空しくて………そして、悔しくて………涙が出てきてしまう。それをゴシゴシと手で擦り、吹雪はまだ寒い初春の夜街を歩いた。
どれぐらい歩いただろうか。
気づくと賑やかな繁華街に来ていた。送別会や卒業シーズンのため、飲み会帰りの若者や社会人が多くいた。盛り上がっている集団から離れるように道の端を、トボトボと歩いていた。
早く家に帰ればいいのだが、今一人になると大泣きしてしまい、寂しくなってしまうような気がして、あてもなく夜道を歩く。
そんな時だった。
豪華な看板と、キラキラと艶やかに光るとある店の入り口が目に入った。
そこには「ホストクラブ」の文字があった。
今まで全く縁のない世界。
その時、吹雪はその店から目が離せなくなっていた。
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